ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される
 その音が聞こえて、ようやく虚ろだった意識がはっとする。

(……いや、なんで乗ってるんだ僕は)

 気付いた頃には、リムジンは静かに走り出していた。
 扉が閉まった時の重い音が、まだ耳の奥に残っている。
 柔らかなシートに身体を預けながら、しばらく呆然としていた。
 何だか現実感が薄い。
 ゲームセンターにいたはずなのに、気づけばリムジンの中。 
 窓の外には見慣れた街並みが流れていくが、そのどれもが妙に遠く感じられた。

「あ、あのー……」

 座席の上を滑るように移動し、小窓から見える運転席に座るあの男に向けて声を出す。

「これから、何処に行くんでしょう……?」

 自分にしては頑張って勇気を出して言ったのに、男からの返事はない。
 ハンドルを握る手は微動だにせず、ただ前だけを見ている。

「えっと……その……僕の家、こっちじゃないんですけどー……」

 少しだけ語尾を伸ばしてみる。軽く言えばどうにかなるかもしれない、という浅い期待があった。
 だが、やはり何も返ってこない。
 それどころか、明らかに男の機嫌が悪くなっていった。

(無視だ……)

 分かりやすいほどの沈黙。そっちが無理矢理連れてきたくせにと、思わず言ってしまいそうだった。
 喉まで言葉が出かかって、なんとか口を閉じる。これ以上話しかけても意味が無いと、本能的に悟った。
 リムジンはそのまま、街中を抜けていく。
 見慣れた景色が、少しずつ変わっていった。ビルが減り、住宅が減り、やがて道の周囲には木々が増え始める。

「……あれ」

 ぽつりと声が漏れる。
 カーテン越しの窓の外に視線を向けると、どういうわけか辺りが木々で囲まれていた。
 いつの間にか、リムジンは山道に入っていたのだ。
 カーブの多い道を、ぐんぐんと進んでいく。窓の外は緑ばかりで、さっきまでの街の気配はもう何処にもない。

(え、ちょっと待って……)

 小さかったはずの不安が、じわじわと胸の奥に広がっていく。
 同時に、胃の辺りがむかついた。揺れが思っていた以上にきつい。

「う……」

 青年は思わず口元を押さえる。鞄をぎゅっと抱きしめ、身体を丸めるようにしてシートに沈み込んだ。
 車酔いと、得体のしれない恐怖。
 どちらが原因なのか分からないが、頭がぐらぐらと揺れる。
 感覚が曖昧になりかけた頃、不意にリムジンがゆっくりと減速した。
 やがて、完全に停止する。
 エンジン音が僅かに落ち着き、周囲の静けさが際立った。

「……止まった?」

 まだ少し気分は悪いけれど、ゆっくりと顔を上げる。
 その直後、後部座席のドアが開き、外の空気が流れ込んできた。

「降りろ」
「……は、はい……」

 ふらつく足で、なんとか立ち上がる。地面に足を付けた瞬間、少しだけ視界が揺れた。
 それでも、強く地を踏みしめて意地で踏み留まる。
 そして、顔を上げたその瞬間に掠れた声が出た。

「……え」

 思考が止まり、中庭らしき場所の真ん中で立ち止まる。
 目の前に広がっていたのは、ファンタージの世界を描いた漫画でしか見たことのない、大きな西洋風の屋敷だった。
 見上げても、見渡しても、全体が視界に収まりきらない。
 広大な敷地に、重厚な建物が鎮座している。まるで映画か何かのセットのような、現実離れした光景。
 門からここまでの距離すら、異様に長かったことに今さら気づく。
 理解が追いつかず、口が勝手に開いた。

「……な、なななななんじゃこりゃあああ!!」
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