『ドリアン山の最後の二等兵』~桃色の寺の菩提樹の下で~

第十三章 ドリアンの風に消えて(最終章)



 老僧・相沢義信が死んだのは、二〇一五年の四月の乾いた朝だった。

 ピンクの寺の本堂で、仏像に向かって座ったまま、息が止まっていた。

 発見したのは若い見習い僧だった。

 肩を揺すっても動かないと気づいた時、青年はただ静かに手を合わせ、鐘を一つ鳴らした。

 音が山に響き、村へ下りていった。

 人が集まってくるのに、時間はかからなかった。

 村の老人たちは皆、相沢のことを知っていた。

 タイ語を片言しか話せないまま、五十年近く石段を掃き続けた、あの日本人僧侶のことを。

 托鉢に来るたびに深く頭を下げ、米一粒こぼさず受け取り、雨の日も風の日も同じ顔で歩いた男のことを。
 
 棺は村の大工が作った。

 花はジャングルの縁から摘んできた白いものを使った。

 読経が始まると、ドリアンの実がどさりと落ちる音がした。

 誰も笑わなかったが、誰かが小さく微笑んだ。

 プラ・アーチャンはとうに死んでいた。

 相沢が師と呼んだ老僧は、相沢が寺に来て十二年目の乾季に静かに逝った。

 その後、相沢が寺を守った。
 
 日本から人が来たことは、一度もなかった。

 家族がいたかどうか、誰も知らなかった。

 相沢自身も、語らなかった。

 ただ一度だけ、死の数年前、村の子どもに問われたことがある。

「なぜここにいるの?」

 相沢はしばらく考えてから、片言のタイ語で答えた。

「誰かに、聞いていてもらわなければならないことがあるから……」

 子どもには意味が分からなかった。

 大人たちにも、正確には分からなかった。

 だが誰も、それ以上聞かなかった。

 葬儀が終わり、人々が山を下り始めた頃。

 境内の端に、一人の老女が立っていた。

 村の者は皆知っている顔だった。だが誰も声をかけなかった。

 老女は仏龕の前に白い花を一輪供え、古びた布の包みを置いた。

 そしてゆっくりと手を合わせ、目を閉じた。

 どれほどそうしていただろうか。

 布の色はもう分からないほど褪せていたが、丁寧に何度も折り直された跡がある。

 老女はその包みを指先で整え、もう一度だけ手を合わせた。

 風が吹いた。

 布の端がめくれた。

 中から現れたのは、錆びた鉄の認識票だった。

 日本語が刻まれていた。

 若い見習い僧がそれを拾い上げた。

 意味は分からなかったが、人の名であることだけは分かった。

 裏には、乾いた赤黒い染みが残っていた。

 老女は村へと続く坂道を降りて行く。

 途中で一度だけ立ち止まり、振り返った。

 ピンクの寺――掃き清められた石段。

 仏像の静かな金の目。

 そして――老女は目を閉じた。

 ただ風だけが、甘く香ばしいドリアンの匂いを運んでいった。


(完)
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