万華鏡は月を巻き戻す
店内のざわめきの奥――
少し離れた廊下の向こうから、ゆっくりと足音が近づいてくる。

その足音は妙に耳に残り、
胸の奥がざわついた。

やがて、その人影が個室の前で立ち止まる。

「こんばんは。
 来週からお世話になります。
 七瀬 朔です。よろしくお願いします」

柔らかな声が響き、
軽く頭を下げて笑ったその瞬間――
私は息を飲んだ。

な、なんで。

喉がひゅっと締まる。
心臓が痛いほど跳ねる。
世界の音が遠のいていく。

そして、ふと目が合った。

朔の表情がふわっと揺れ、
泣きそうな顔になる。

その瞬間、
11年分の時間が一気に崩れ落ちた。

「お待たせ……羽瑠。
 好きです!付き合ってください。
 一目惚れしました!」

あの頃と同じ声。
同じ言い方。
同じ真っ直ぐさ。

茶色の髪がやわらかく揺れ、
無邪気な笑顔は昔のままなのに、
大人になった彼は驚くほどかっこよくて――
ずっと焦がれていた人が、そこにいた。

「……朔……
 私も好き。ずっと忘れられなかった」

「うん」

朔は迷いなく私を抱きしめた。
その腕の温度が、
“生きている”という事実を確かに伝えてくる。

ふと朔が周りを見回し、頭を下げる。

「すみません!抜けます!
 来週からよろしくお願いします!
 いこ、羽瑠!」

そう言って、私の手を取った。

「す、すみません!失礼します!」

私も慌てて頭を下げる。

「ちょっと待ってー!」
「説明してー!」
「黒木先生!? なんで笑ってるんですか!?」

浅葱先生が叫び、
他の先生たちは口を開けたまま固まり、
黒木は肩を震わせて笑っていた。

私は朔に引っ張られながら、
こぼれそうになる涙を必死でこらえた。
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