春の終わりと君と花火
「ねえ、さえ、今夜も花火大会があるよ。一緒に見に行かない?」隣にいる彼女、紗英香(さえか)に声をかける。もう何年も付き合っている。
「うん、行きたい」彼女はそう答えた。
そして俺が自転車を漕ぎ、彼女は浴衣を着て後ろにまたがって座った。
潮のにおいのする海風が俺の頬と彼女の髪をなびかせる。その風に乗って、初めて二人で花火大会に行ったときのことが思い出された。
今日は4月のある日、突然彼女のさえから花火大会に誘われた。
まだ実感がわかない。
俺たちは付き合ってまだ一ヶ月だし、体の関係も持ったけど、今でもまるで夢のように感じる。
カレンダーを見ると、あと一ヵ月ほどで夏だ。それなのに桜はもう散り始めている。そんなどうでもいいことを考えながら、次々と神社に集まってくる人々を眺めていた。
このとき俺はまだ、春がもう終わろうとしていることに気づいていなかった。
ただ一つだけ確かなのは、今、彼女が俺の恋人になってくれたことだけだ。
「お待たせ!」
すぐそばからそんな声が聞こえ、俺は顔を上げた。
そこには質素なシンプルな浴衣を着た彼女、さえがいた。
午後5時の夕日が彼女の顔と髪に降り注いで、髪の毛が金色に輝き、まるでキラキラ光っているようだった。顔は夕日に照らされてほんのり赤く染まっている。それが俺に会えて照れているからなのか、ただ夕日のせいなのかは分からなかった。
だけど俺の頬が赤く染まっているのは、間違いなく彼女と一緒にいるからだ。口ではいつも強がっているけど、やっぱり少し照れ臭くて。こんなに可愛い彼女を俺が手に入れたんだもの。
「お待たせ」
すぐそばからそんな声が聞こえ、俺は顔を上げた。
「大丈夫だよ」
本当は彼女を褒める言葉を言おうと思っていたのに、照れくささに言葉にできず、心の中で自分の臆病さを責めていた。だけど体は心よりずっと大胆だった。俺は黙って手を伸ばし、彼女の手を握った。俺の手に触れた瞬間、彼女は少し驚いたようにして、すぐに握り返してくれた。俺たちはこうして言葉もなく手を取り合い、並んで神社へと歩いていった。
神社は人で溢れかえっていて、色んな音が聞こえてくる。屋台の呼び込み声や、おもちゃの売り込み声が響いている。空気中には焼きそば、りんご飴、たこ焼きのいい匂いが充満していた。人が多いのは分かっていたけど、ここまで多いとは思わなかった。
そこで俺は用意していた秘密兵器、「赤い紐」を取り出した。自分の手首と彼女の手首にそれを結びつけた。これで人混みにはぐれる心配はない。
わざわざ紐を使うのは、手をつなぐよりも、思いっきり祭りを楽しみたいからだ。
夕日はついに海に沈み、空には月が姿を現した。今日は幸いにも満月で、神社の提灯も一つずつ灯り始めた。俺たちは思う存分祭りを楽しんだ。
一緒に金魚すくいに挑戦したけれど、残念ながら二人とも不得手で、金魚はすくえなかったけど、楽しさだけがいっぱいに詰まっていた。その後、射的で遊んだ。これはちょうど俺の得意なもので、さえの好きなパンダのぬいぐるみを勝ち取ってあげた。
そして俺は彼女を神社の奥へと導いていった。心の中に、どうしても伝えたい言葉があったから。彼女は少しも疑うことなく、素直に俺に従って奥へと進んでいった。
俺たちは石のベンチを見つけて並んで座った。月の光の下、桜の木はこの上なく穏やかで美しく、神社の喧騒はまるで他人事のように感じられた。
このとき月光が彼女の横顔と髪に降り注ぎ、髪は銀色に輝く絹の糸のようになっていた。月に照らされた部分は白く浮かび上がり、影になった側はほんのりと赤いままだ。
それが好きな人と一緒にいるからなのか、さっきからずっと遊び回って体が熱くなったからなのか、僕には分からなかった。
「どう?今日はちゃんと楽しめた?」
「うん」
彼女は小さく声に出して答えた。しばらく二人で黙ったままだった。
今、絶対に何か言わなきゃ、今しか言えない言葉を、そう思った。
「ねえ、さえ」
突然俺は声を出した。
「うん?どうしたの?」
彼女は相変わらず、俺の好きな声で返してくる。
その瞬間、「パチッ」という音と共に夜空に小さな光の玉が浮かび、それがはじけて一面の花吹雪へと変わった。
花火だ。
その後も次々と光の玉が増え、続けざまに夜空に咲き乱れた。遠くの神社の人ごみからは「玉屋ー」という歓声も上がっていた。夜空に咲き誇る花火が、二人の顔を照らし、頭上の夜桜も照らし出していた。
俺たちは黙ったまま指を絡め合い、
最後の桜を告げるような花火の宴を見上げていた。
人を好きになることは、時にとても嬉しく、時に切なくもなる。
でも、誰のせいでもない。恋ってそういうものだ。どんなに幸せでも、少しの切なさがついてくる。この幸せな時間をもう少しだけ長く続かせたい、そう思わずにはいられない。
まるでこの瞬間を閉じ込めたいかのように、俺は突然さえを自分の胸に抱き寄せた。彼女は一瞬驚いたけれど、すぐに大人しい子羊のように僕の胸に寄り添ってきた。
こうして俺の言いかけた言葉は花火に遮られた。花火がはじけた刹那、俺の心の中も一緒に熱い想いで燃え上がった。
物語に終幕があるように、花火大会もこれでおしまい。祭りも終わり、この春ももうすぐ終わりを告げる。だけど、今こうして抱きしめ合っている俺たちだけは、ずっと終わらない。
そうして俺は彼女に言った。
「今日は誘ってくれてありがとう。
こんなに素敵な花火大会、終わりゆく春と、そして最後の桜まで見せてくれて」
彼女は何も言わず、ただ顔を上げてきた。俺はすぐに意味を悟り、腕の中にいる彼女に唇を重ねた。
このまま家まで送っていっても別にいいんだけど、どうにも心残りで、何も残せなかった気がした。だから俺は一つ、行動を起こした。
草と桜の花で桜の冠を編んで、さえの頭に載せてあげた。どうせこの桜はいずれ枯れてしまうなら、せめて花飾りにしようと思ったのだ。
月光の下で、彼女はまるで日本神話と西洋神話が合わさった女神のように見えた。この光景を、俺は脳裏に強く焼きつけた。
その瞬間、昔聞いた歌詞の意味が、急に分かった気がした。
「初めてルーブル美術館に行っても別に何とも思わなかった。
なぜなら、俺だけのモナリザは、とっくに出会っていたから」