幼馴染への三度目の失恋を回避したい 〜激重な片思いを隠さなくなってきた彼に、心臓がもたなくなってきた彼女。〜【完結】
今日も破壊力100%の笑顔と進展0の現実に、精神的ダメージを受けている

第1話

 窓の隙間から入り込む風が、薄手のカーテンを柔らかく揺らす。
 ぽかぽかとした陽だまりの微熱と、画用紙に擦り付けられるクレヨンの匂いが満ちた僕の部屋。
 床に敷かれたキルトラグの上で、六歳の二人は、並んで寝そべるようにしてお絵描きをしていた。

 ドクン、ドクンと、耳の奥でうるさいほど鳴る心臓の音。

 僕は、握りしめた水色のクレヨンの先をじっと見つめながら、震える息を吐き出した。

「……めぐ。ぼく……めぐのことが、だいすき」

 恐る恐る隣に視線を向けると、彼女は手を止め、くるくるとよく動く大きな瞳で僕をじっと見つめていた。

 そしてすぐに、喜びいっぱいの笑顔が花開く。

「うん! わたしもなっちゃんがだいすき!」

 その言葉を聞いた瞬間、周りの空気がきらきらと輝き出した気がした。

 僕は天にも昇る心地だった。

(やったあ! 僕とめぐは『りょうおもい』なんだ!)

(今日からめぐは、僕だけのお姫さまなんだ!)

 そう、本気で思っていた。

 けれど、たった一日で、その有頂天は粉々に打ち砕かれることになる。


 翌日の教室。

 もう顔もろくに思い出せないクラスメイトの男子が、ニコニコしながらめぐみに尋ねた。

「ねえ、めぐみちゃん! ぼくのことすき!?」

 僕は息を呑んで、少し離れた席からそのやりとりを見つめていた。

「えっ?」

 彼女はきょとんとした後、昨日僕に向けたのと同じ、屈託のない満面の笑みで答えたのだ。

「うん、だいすきだよ!」

 ガラガラガラッ! と、僕の中で築き上げられていた淡いお城が音を立てて崩れ落ちた。

 周りの喧騒が遠のき、足元から冷たい風が吹き抜けていく。

 昨日、僕に「大好き」と言ってくれたのは……「人類みな大好きだよ!」のノリだったのか?
 あの、心臓が爆発しそうになりながら伝えた僕の覚悟は?
 浮かれて何度もベッドの上で寝返りを打ち、ちっとも眠れなかった夜はどうなるんだ!

 ◇

「——……っ!」

 ハッ、と息を呑んで跳ね起きた。

 額にはうっすらと嫌な汗が滲み、背中を冷たいものが伝っていく。

 薄暗い自室の天井を睨みつけながら、僕は重いため息を吐き出した。

(……また、あの夢かよ)

 小学一年の時の、めぐみへの一度目の失恋。
 あれから九年が経とうとしているのに。
 そして夢であるにもかかわらず、毎回まるで現実の録画を再生しているかのように、嫌になるほど再現度が高い。

 心底うんざりしながらベッドから這い出し、洗面所へ向かう。

 蛇口を捻って冷たい水を両手にすくい、勢いよく顔に叩きつけた。
 顔についた水分と一緒に、この最悪な気分まで拭き取ってしまえるようにと、僕はタオルを強く押し付けた。

 鏡の中には、少し鋭くなった黒い瞳を持つ中学三年の自分が、不機嫌そうにこちらを見返していた。

 リビングに向かうと、焼けたトーストの香ばしい匂いと、目玉焼きが放つ油の匂いが混ざり合っている。

 今日は学年末テストの初日だ。

「夏樹《なつき》、テスト今日からよね!? エスカレーター式だからって、油断しないでよ!?」

 リビングをバタバタと移動しながら、自分の仕事の支度と同時に、小学四年の弟の学校準備を手伝う母さんの甲高い声が飛んできた。

 適当にトーストを口に運びながら、息を吐いて応えた。
「……わかってるって!」

 もう十回は同じことを言われた気がする。
 僕は成績はいいほうなのだから、心配なんていらない。
 深い人付き合いが面倒で優等生を演じているおかげで、学校では先生や同級生から勝手に一目置かれているくらいだ。
 これ以上のおせっかいは無用だ。

 ふと、母さんが思い出したように手を打った。

「あっ、そうだ! めぐちゃんのお母さんが、今日早番で先に出かけちゃうから、めぐちゃんが自分で起きられるか心配って言ってたのよ。寄っていってあげて!」

「…………」

 その言葉を聞いた僕は無言でサッと立ち上がり、空いた食器を流し台に置いた。
 洗面所で手早く歯を磨き、リュックをひょいと肩に引っ掛ける。

「……いってきます」

 小声でそう言い残し、そそくさと家を出る。

 玄関のドアを閉める寸前、部屋の奥から「あれ? さっきのお願い、兄ちゃん聞こえてたかな?」という弟の不思議そうな声と、「もちろん、聞こえてたわよっ」とフフッと笑う母さんの声が聞こえた気がした。

 そのままバタンと扉を閉めた。


 僕は小走りで階段を駆け上がり、真上の部屋の前に立つ。
 息を少し整えて、インターホンを押した。

 ——ピーンポーン。

 しばらくすると、中からパタパタッと小さな足音が近づいてきた。

 ガチャッ。
 確認もなく、あっさりとドアが開く。

 そこに彼女の顔がのぞいた。

「……めぐ。お前また確認せずに開けたろ?」

 顔を見るなり、つい小言が出てしまった。

「あっ、ごめんつい! でも大丈夫じゃない? うちのマンションオートロックだし」

 あっけらかんとした顔で言う彼女に、僕は呆れて言葉を失う。

「なんでそれで大丈夫なんだよ? もう十回くらい言ったろ……」

 そこまで言って、同じ小言を繰り返す母さんと自分が重なってしまった。

(……俺は母さんか!)

 心の内でツッコミを入れ、大きくため息をこぼす。

「それで、どうしたの? なっちゃん」

 めぐみはキョトンと首を傾げる。

「……めぐがちゃんと起きてるか、おばさんが心配してるから見に行けって。母さんが」

 そう言いながら、僕は玄関にお邪魔し、少しひんやりとしたドアの内側にもたれかかった。

 めぐみの家の柔軟剤の甘い匂いが、ほのかに漂ってくる。

 彼女は小走りで、さっきまでいたであろう洗面所に戻っていった。
 廊下に「起きられたけど、寝癖が全然直らなくてー!」と焦ったような声が響く。

(寝癖なんてついてたか?)

 さっき見た彼女の姿を思い返す。

 本人はひどく気にしているが、めぐみは天パで、ふわふわと大きめにカールしている髪を鎖骨のあたりまで伸ばしている。
 寝癖なのか癖っ毛なのか、僕にはあまり見分けがつかないし……正直どっちだって可愛い。

「……光くんは?」

 彼女の兄について、少し大きめの声で尋ねた。

「昨日の夜飲みに行って帰ってこなかったよー! 大学生って自由で緩いよねえー」

 ジャーッという水の音と一緒に、めぐみの大きな声が返ってくる。

 しばらく待っていても、彼女が洗面所から出てくる気配はない。

「……まだ行かないの?」

 ふと聞いてみると、水の音がぴたりと止まった。

「え? 一緒には行かないよね? 一緒に行ったりしたら、私がなっちゃんファンに何言われるかわかんないよ〜」

 怯えたような声が飛んでくる。

 小学生まではマンションの登校班があって、毎日一緒に通っていた。
 けれど、中学生になってからは、たまたまタイミングが重なって並んで歩いていただけで、翌日大騒ぎになったことがある。

 僕が学校で無駄に優等生を演じているせいで、なぜか女子から騒がれることが多いのだ。

 何も気にせず、ただ隣を歩けたらいいのに。

(面倒くさいな)

「……じゃあ先行くな。遅刻すんなよ」

 僕がぶっきらぼうにそう言ってドアノブに手をかけると、「うん!」と元気な声が返ってきた。

 そして洗面所からひょこっと顔を出しためぐみが、無邪気な笑顔を向けてくる。

「ありがとうっ!」

「…………」

(…………ずるい)

 僕は無言のままドアの外に出た。

 バタンと閉まった冷たい鉄の扉の前で、少しだけ立ち尽くす。

 なんなんだよ、あれ。
 可愛いな。

 僕はなぜか苛々した足取りで階段を降り、一人で学校に向かうのだった。
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