銀色の雲の上

第38話 領域

ゲオルグは、まず手始めにミハエルの人間関係を奪うことにした。

ダミッシュ邸へ引っ越した直後、二人は同じギムナジウムに入学することになった。

ゲオルグは舌打ちをする。
わざわざ同じ教室で過ごすなど、詮索されに行くようなものではないか。

(実科に行けば良いものを)

ミハエルは予備学校(フォアシューレ)で、相当に成績優秀だったと聞かされている。

自分たちの繊細な関係を周囲から尋ねられたら、ミハエルはいったいどのように説明するつもりなのだろう。

―――愛人の子と一緒に暮らすことになっちゃってさ、まいったね。
か?

しかしゲオルグには、今となっては自分の立場の方が上だという思いがあった。

ギムナジウム入学当日、教会の華やかな祭壇の前で荘厳な礼拝が執り行われ、学舎で学校長の厳粛な挨拶を聞かされた後、子どもたちは一同に第一学年(ゼックスタ)の教室に集められる。

いよいよギムナジウム生としての生活の始まりである。

教室には様々な生徒がいた。

やんちゃな者、大人しい者、ひょうきんな者、泣き虫な者。
進学してしばらくは、誰しもが新しい環境に興奮し、ソワソワと落ち着きなく過ごした。 

賑やかな教室の中で、徐々に仲の良い友だちのかたまりが出来ていく。
席は二人掛けだ。
仲の良い者同士で隣り合ったり、前後でかたまったりして、大小様々な群れが出来ていく。
ミハエルも日毎(ひごと)いろんな級友たちと席に隣り合って座っている。

ゲオルグは真っ先に思った。
かつての学校で受けた仕打ちをギムナジウムで再現するようなことは絶対に避けなければならない、と。

望むと望まざるとに関わらず、家庭内の事情はいつか他の生徒たちに知れ渡ることだ。
人は面白半分に話題に上げ、無責任に評価するものだということを、ゲオルグは痛いほど知っている。

先手を打つべきだ。

優秀美麗なミハエルは、すでに級友たちから一目置かれ始めていた。

(俺様が味わった辛苦を、お前にも()めさせてやる)

教室でのミハエルの挙動をつぶさに観察していると、ミハエルが級友たちにためらいがちに接していること気がついた。

初対面の日、握手を交わす手がかすかに震えていた通り、ミハエルは内気な性格らしい。
彼は話しかけられれば卒なく返すが、心を開いて自ら人の輪を広げるのは苦手な(たち)のようだ。

ゲオルグはすぐさま行動に出た。

級友たちに、ミハエルが自身の優秀さを鼻にかけ、皆のことを蔑んでいるという嘘の噂を、まことしやかに流した。

人は自分の目や耳で実際に確かめたこともないことを、いとも容易(たやす)く信じ込んでしまうものだ。
ミハエルの良くない噂は、教室の子どもたちの間にさざ波のように広がっていった。

しかしある時、数人の級友たちがミハエルを取り囲んで言いがかりをつけている場に出くわす。

「何をしているんだ?」

ゲオルグは声をかけた。

モーリッツが口を開く。

「だって、こいつが俺たちのことを陰で馬鹿にしているんだろう?」

ゲオルグは血の気の引く思いがした。

モーリッツは白黒はっきりした性格だ。
ミハエルに蔑まれているらしいことに腹を立て、まさに本人に事実を確認しているらしかった。

ミハエルが真相を話せば、いとも簡単にゲオルグの嘘に辿り着いてしまう。

モーリッツたちが暴走して傍目にも分かりやすくミハエルが虐められるような状況に陥れば、大人たち含め、ゲオルグこそ信用を失ってしまう可能性がある。

そういった事態は、なんとしても避けなければならない。

その場はなんとか事を収めたが、こちらに害が及ばないよう状況はうまく操作(コントロール)するべきだと、初めて考え至った。

ミハエルとの関係は、最初にゲオルグが予想した通り、すでに教室中に知れ渡っていた。
同情や好奇心の目に晒されるが、今や正妻の子であるということがゲオルグの気持ちを強くした。

ゲオルグは、決定的な何かが起きないようミハエルを薄っすらと悪者にしておきながら、自分には同情心が集まるよう巧妙に手綱を引き始めた。

級友たちとの会話に、ミハエルとの関係に葛藤を抱えていることを、そっと織り交ぜる。

自分はミハエルのことを懸命に受け入れようとしているのに、彼は受け入れようと努力すらしてくれず辛いのだと。

それから仕上げにこう付け加える。

「ミハエルもきっと辛いんだ。きっと僕たちは兄弟として心を通わせられる日がくる。だからそっと見守ってあげて、ね?」

わざとミハエルのことを庇ってみせる。
こうしておけば、何かしら明るみになったところでゲオルグは不利にはならない。

先に、ミハエルが己の優秀さを鼻にかける嫌な奴だという印象を植え付けてあるのが効いて、あくまで遠巻きにするに(とど)めさせることに成功した。

しかし、このやり方では時間が経つと、不意にミハエルが級友たちの輪に引き入れられそうになる。
そのたびに、ゲオルグはさりげなく級友たちを(そそのか)して輪の外に追い出す。

ゲオルグは執拗にやった。

ミハエルの評判を貶めながら、かつ、級友たちが暴動に出ない程度の噂を、薄紙を積み重ねるように綿密に繰り返していった。

ミハエルはついに孤立した。

席についてジッと(うつむ)いている。

―――ざまぁみやがれ。

ゲオルグは、声を立てて笑いたくなった。

誰もが未熟で信じやすかった。

こんな風に人を巻き込む方法があるのなら、進学前の学校でも、もっと上手く立ち回るんだった。

ゲオルグはその後、級友たちの信頼を計算高く勝ち取っていった。
皆に笑顔で接し、たまにじゃれ合い、取りまとめ役は自ら買って出る。
素直に頼み事をし、相手の要望も聞き入れてやる。

誰からも蔑まれることなく教室に居場所があるというのは、なんと快適なことだろう。

ミハエルを完全に牽制することに成功したある日、ギムナジウムの階段を上がる途中でミハエルとすれ違った。

教材を持ち歩き、これから教師の元に質問に行くところのようだ。

ミハエルは教室で孤立して以降、脇目も振らず勉強に打ち込むようになった。 

ゲオルグは、辺りに誰もいないのを確認すると、すれ違いざまに耳打ちする。

「どうだ? 独りぼっちに追いやられた気分は?」

ミハエルはハッと立ち止まる。

踊り場に差し掛かった時、ゲオルグはもう一度振り返ってみた。

見ると、ミハエルは茫然と立ち尽くし、項垂(うなだ)れている。

ゲオルグは、ミハエルの背中に向かってせせら(わら)った。

ミハエル、人間関係はな、こうやって上手く築いていくんだよ、バ――――――カ。
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