【改稿版】記憶を失くした御曹司と偽りの妻
私は思わず呼吸を浅くした。
その瞬間、隣の怜央の手が、そっと私の手を包む。

「大丈夫」

低く短い声。
それだけなのに、不思議と少しだけ足が前へ出る。

案内された広間の前には、すでに会長夫妻がいた。
夫人が私の姿を見るなり、安心したように微笑む。

「よく似合ってるわ、梨音さん」

「ありがとうございます……でも、緊張でたぶん顔が引きつってます」

「それくらいのほうが上品に見える場合もある」

会長の慰めは、だいぶ雑だった。
でも、その不器用さに少しだけ笑ってしまう。
怜央が横で「父さん」と小さくたしなめ、会長が「事実だ」と真顔で返した。

そのやり取りのおかげで、さっきまで喉のところで固まっていた緊張が、ほんの少しほどける。

広間の中からは、食器の触れ合う小さな音と、何人かの低い話し声が聞こえていた。
いよいよだ、と思った瞬間。

廊下の向こうから、早足の靴音が近づいてきた。

御堂だった。
いつもの無表情のままなのに、空気だけがわずかに硬い。
彼は会長のそばまで来ると、声を落として告げた。

「……予定外のご来客です」

会長の眉が動く。

「誰だ」

会長の問いに、御堂は一拍だけ置いた。

「沙羅様です」

その名が落ちた瞬間、扉の向こうで、女物の高いヒールがぴたりと止まった。
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