【番外編集】鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜

八千草雪乃は、今夜、八年越しの恋を終わらせたい 後編

どうしてここがわかったの?

なんで来たの?

とか、言いたいことがあるのに、名前を呼ぶしかできない。
 
和巳は視線だけ動かしたあと、まっすぐこちらを射抜く。

全部を、一瞬で見て取った顔。

「……デートか」
 
低く怖いくらい冷えた声に、体が一瞬で縛られた。

「……違う」
 
反射的に否定するも、逃げ道を塞ぐみたいに隣に立つ。
 
「違わねえだろ、誘ったのはお前だろうが」
 
(……なんで知ってるの)

和巳の一言に、心臓が跳ねる。

すると松原が、ゆっくり立ち上がる。
 
「真鍋さん、今、いいとこなんで」
 
「帰ってもらっていいですか」
 
さっきまでとは違う、遠慮のない強い言葉。

「わかった」
 
「これ、俺のだから、――帰るぞ」
 
(……は?)

「……何言って」

言い終わる前に、強い力で腕を掴まれる。
 
「じゃあな、松原」
 
「ちょっと、離して!」
 
ぐっと、引き寄せられ、ウッディでモスな香りがあたしを捕える。 
 
「……他の男と飯食ってる余裕あるなら」
 
低く押し殺した声に、ぞくりと体がふるえる。
 
「こっち来い」
 
(……もうやだ)

決心した途端これだ。
  
強引で。
勝手で。
 
でも。
 
(……振りほどけない)

松原が、静かに口を開く。
 
「……八千草さん」

振り返えると、あの穏やかな松原の笑顔。
 
「行ってください」

「……え」
 
「ちゃんと、答えをもらってきてください」
 
その一言に、背中を押される。
 
(……ずるい……最後まで、優しい)
 
「……ありがと」
 
小さく呟いたあと、和巳に引かれるまま、店を出た。

***
 
一言も交わさないまま、まだ正月感が残る街を歩いていく。  
外の空気が、刺すように冷たい。
 
――ただ、繋がれた右手だけが、やけにあたたかい。
目的地を知らされないまま、辿り着いたのは和巳のマンションだった。

鍵を開けた和巳に促されて中に入る。

――その瞬間。

ドアを背に、逃げ場を塞ぐように一歩、踏み込まれる。   
  
「……で、どういう状況だ、さっきのは」
 
ようやく和巳から出た声に、息が詰まる。

「デートに誘うとか、お前正気か」
 
「……だから違うって」
 
「違わねえよ」
 
被せるように、いつもより荒い口調になる。
 
(……なにそれ)
 
「なんでそんな怒ってんのよ」
 
「怒ってねえよ」
 
でも瞳には明らかに怒っている色が滲みでている。
すると和巳は、項垂れて深い息を吐いた。
 
「……嘘」

少しだけ見上げ、あたしを静かに見つめる。
 
「すげぇ怒ってる」

和巳の顔が、歪む。
 
「……当たり前だろ」
 
「他の男に……しかも後輩に取られそうになってんのに」

苛立ちを隠さないその言葉に、ただただ心臓が止まる。
 
「昨日、何もなかったことにするって言われて」
 
「はいそうですかって引けるほど」
 
「俺、できた人間じゃない」
 
顎を捉えられ、逃げ場がない。
 
「……雪乃」

やめて。
そんな風に名前を呼ばないで。
 
それだけで、全部が揺れる。

「……やめて」
 
「やめない」
 
これ以上のない距離に、和巳の香りに乱されていく。
息が触れそうなくらい近くて。
視線が、絡んで離れない。

(……離れないと)
 
分かってる。
ここで踏み込んだら、終われなくなる。
 
「……あたし、終わらせるって――」
 
言いかけた言葉は、最後まで続かなかった。
 
唇が、重なったから。

一瞬。
なのに、離れても呼吸がうまくできない。
 
「……っ」
 
視界が揺れて、目線が同じ高さになる。 
パンプスが脱げ落ちる音が遠くで聞こえた。

そのままベッドに連れていかれ、覆い被さってきた。
     
「それでも終わらせたいなら」
 
「俺ごと終わらせてみろよ」
 
胸の奥に、和巳の言葉がまっすぐ突き刺さる。
 
――ずるい、そんなこと言われたら。
 
「……無理に決まってるでしょ」
 
気づいたときには、掴んでいた。
和巳のシャツを、ぎゅっと。
 
「終わらせられるなら、とっくに終わってる……」

視界が滲んで、声もうまく出せない。
それでも、せきがきったように言葉が溢れる。
  
「八年よ……?」
 
ずっと、隣にいて。
ずっと、好きで。
 
「簡単に切れるわけないでしょ……」
 
そのまま、額を押しつける。
 
「……遅いのよ」
 
「ちゃんと選ばれたいって、言ったでしょ」
 
一瞬、間が空くも、和巳が迷いなく返す。
 
「選んでる」
 
「……遅い、ほんと、遅い」
 
「知ってる」

目の奥が、じんわり熱くなる。
 
「でも」
 
少しだけ、息を吸って気持ちを整える。
 
「それでもいいって思ったのは、あたし」
 
和巳の目が、わずかに揺れる。
 
「……だから」
 
「簡単に“好き”とか言わないで」
 
和巳が眉を寄せて、「……は?」と漏らす。
あたしは視線を逸らさずに、言い切る。
 
「ちゃんと欲しいの」
 
「中途半端じゃなくて、ちゃんと、“あたしを選んだ”って言って」
 
黙っていた和巳が、ゆっくり息を吐く。
 
「……めんどくさ」
 
「は?」
 
「でも」
 
あたしの髪を撫でながら、少しだけ笑う。
 
「そういうとこ、好きだけどな」
 
(……ばか)
 
「……ほんと、ずるい」
 
「知ってる」

また、それ。
でも、大丈夫。
 
――今度は、ちゃんと受け取れる。
 
和巳が、起き上がって、少しだけ距離を取る。
あたしもつられて、体を起こす。
 
「ちゃんとするから」
 
「……なにを?」
 
「雪乃が欲しがってるやつ」

その言葉に、胸が高鳴る。
 
「……時間かかっても、文句言うなよ」
 
「……うん」
 
初めて、目を見たまま素直に頷けた。

――そのあと。
 
少しだけ、ぎこちなく。 
でも確かに、指先が、絡んだ。

和巳が、ほんの少しだけ息を吸う。
 
――「選んでる。――お前だけだし、他に渡す気もない」 

和巳の想いが耳の奥で、甘く響いてとけていく。
あたしも彼に唇を寄せて伝える。
  
終わらせたのは、片想い。

――始まったのは両想い。 
8年越しの恋は。
  
思ってたよりずっと、甘くて。
 
――逃げ場なんて、どこにもなかった。
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