永遠のイスラエル

第1話 隣り合わせの戦場 -Ben Gurion International Airport

 乾いた風が吹いていた。夜だというのにそれは熱気を孕んでいる。生暖かく、それでいてどこか鋭利な風。オレンジ色の燈火がターミナルの建物をぼんやりと照らし出す。他には何もない。ただ黒く高い空が拡がっているだけだ。まるで軍事基地のように殺風景な眺め。それがこの国の玄関口、ベン・グリオン国際空港だった。

 イミグレーションの窓口には若い女性の係官が並んでいた。全員が軍服を着ている。兵士なのだろうか。国民皆兵のこの国では、男女を問わず若い時期に数年間の兵役が義務付けられている。とはいえ、Tシャツにジーンズの方が似合いそうな彼女たちが泥まみれになって銃を構える姿は容易に想像しづらい。

 パスポートを差し出すと「ノースタンプ?」と訊いてきた。周辺のアラブ諸国の中にはイスラエルのスタンプがあると入れない国もある。そこで希望者には他の紙に押してくれるのだが、せっかくの記念だ。僕は胸を張って「プリーズ・スタンプ」と言った。金髪の彼女は「サンキュー」とはにかむと嬉しそうに判を押した。誰だって自分の国を認めてもらいたい。国際社会におけるイスラエルは「加害者」のイメージが強いが、ひとりひとりの国民は僕たちと同じ「普通の」人々なのだ。

 外の通路でガイドが待っていた。用意されたマイクロバスに乗り込む。急に眠気が襲ってきた。そういえば今朝は早起きだった。成田からソウルを乗り継いで、丸一日かけてやって来たのだ。日本なら日付が替わっている。ホテルへと向かう車中でひととおりの説明を受けながら、僕はぼんやりと窓の外を眺めていた。

「ところで、皆さん落ち着かれているようなのでお知らせしておきますが、今日イスラエル各地で大規模な衝突が発生しました。死者も何人か出ています。日本のマスコミでも大きく報道されているようです」

 一瞬の空白が車内を包んだ。

「皆さんの行くところは問題ないと思いますが、今後の展開によっては一部スケジュールを変更することがあるかもしれません。でも、まあ大丈夫でしょう」

 ガイドは冷静だった。他のツアー客も取り乱したりはしなかった。眠かっただけかもしれない。あるいはイスラエルに行こうと思う時点でみなこれくらいのことは織り込み済みなのか。

 投石をするパレスチナ住民。彼らに銃を向けるイスラエル軍の兵士。それらは昨日まで別世界の出来事だった。テレビのニュースや記録写真の数々も、いくら見たからといって異国の人間にはリアルな体験になりえない。だが、ここからさほど離れていないどこかの街で、それはつい数時間前に起こったのだ。

 ふとイミグレーションの女性兵士が頭に浮かんだ。今日の事件の概要を彼女は知っているだろうか。友人が負傷しているかもしれない。けれども彼女の笑顔には屈託がなかった。生き生きと輝いているようにさえ見えた。テロや衝突が幾度となく繰り返されてきたこの国では、誰もが明日を保証されない。戦場と隣り合わせの日常。

 どちらが幸せなのだろうかと考えた。ドブネズミ色の背広に身を包み、スシ詰めの電車に揺られ、死んだ魚のような目をして代わり映えのしない毎日をやり過ごす。僕たちの「平和な」日常。

 着いた早々さっそくの洗礼だった。それとも、「歓迎」と受け取るべきなのだろうか。
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