幻想のトルコ

第12話 トイレ番の少年 -Pamukkale

 いよいよツアー前半のハイライト、パムッカレにやって来た。旅行会社のパンフレットに必ずと言っていいほど載っている、トルコが世界に誇る奇観だ。ヒエラポリスから流れ出る温泉水に含まれる石灰成分が長い年月をかけて地表を覆うことで形成されたのだという。

「後はホテルに行くだけですから、時間を気にする必要はありません。思う存分、楽しんできてください」

 というわけで、まずは準備万端を期しトイレに行っておくことにした。石灰棚には裸足で入るので、遊び終わるまで戻らなくても済むようにだ。

 イスラム圏の公衆トイレはチップ制のところが多い。入口に係がいて、入る前か入った後に小銭を渡すのだ。あいにく紙幣しかなかったりすると対応に窮するので、普段から財布の中身には気を配っておかなくてはならない。

 エジプトでは大人の仕事だったが、ここで番をしていたのは少年だった。テーブルの上に金庫を置き、その傍らの椅子にちょこんと座っている。小学校の高学年といったところか、しもやけて赤く染まった頬が可愛らしい。硬貨を取り出して渡すと、はにかんだように礼をしてくれた。

 用を済ませて出てくると、当の少年が何やら困った顔をしていた。ちょうど大型のツアーバスが到着したところで、欧米系らしき白人の団体客がぞろぞろと降りてきている。彼らの国ではチップ制のトイレなどないのだろう。少年には一瞥もくれず、真っ直ぐにトイレへと向かっていく。

 どうしよう、このままでは誰も払ってくれない。少年の顔には明らかにそう書いてある。きっと英語も喋れないのだろう。おろおろする姿を見ているうちにだんだん可哀想に思えてきた。

「レディース・アンド・ジェントルマン!」

 少年の隣の椅子にどっかりと腰を下ろすと、僕は白人たちに向かって英語で呼びかけた。

「このトイレはチップ制です。皆さんの国ではなじみがないかもしれませんが、トルコでは一般的なスタイルです。郷に入っては郷に従え。ぜひ御用の前にこちらまでお心付けをいただきますようお願いします。オリエンタルなカルチャーショックが、きっと旅の良き思い出となることでしょう」

 効果は思いのほかてきめんだった。老紳士から妙齢のご婦人まで、今まで僕たちの存在にすら気づいていなかった人々が「おやまあ、そうだったの」という顔で続々とやってくるではないか。少年は途端に大忙しとなった。

 思うに、僕も少年の一味だと勘違いされたようだ。まあ、民族学的には日本人もトルコ人も同じウラル・アルタイ系だと言われているから、欧米人にしてみれば区別がつかなくても仕方がない。それが良い方の目に出たというところか。

 団体客が去っていった後で少年と僕はがっちりと握手を交わした。言葉は通じなくても、互いに相手の気持ちが手に取るようにわかった。彼の笑顔が嬉しかった。久し振りに心の底から満足感が湧いてきた。これぞ人と人とのふれあいだ。

「せっかくだから、記念写真を撮ろうよ」

 妻にカメラを持たせると、ふたりでテーブルを前に並んで座った。国籍など関係ない。僕たちは戦友だ。同じアジア人として、力を合わせて欧米の列強に対峙したのだ。
< 12 / 12 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

流星群

総文字数/52,810

恋愛(純愛)17ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
女子大生のミヤコは、サークルの合宿で訪れた湖畔の町で、奇妙な格好をした三人組と出会う。価値観も生き方も異なる彼らとの交流は、平凡だった彼女の日常に新たな彩りを与えていく。ふとしたきっかけで一日だけ彼らの仲間に入れてもらったミヤコは、やがて三人組の一人であるツヤカに心惹かれていくが……。 ペルセウス座流星群が降り注ぐ空の下、ひと夏のほろ苦い出会いと別れを描く、友だち以上恋人未満の物語。 <写真>© Yuichi Ichikawa
流星群II

総文字数/37,573

恋愛(学園)12ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
ツヤカたち文科九組は、秋の学園祭に演劇と模擬店の二本立てで参加することになり、アングラ路線を志向する演劇では、ツヤカが女役を演じるという奇抜なアイディアが採用される。前日のリハーサル、ツヤカの女装演技は大きな話題となり、予告動画やSNSで盛んに取り上げられることに。しかし当日、思いもかけないアクシデントが発生して……。 しし座流星群に導かれ、偶然の出会いが新しい自分を連れてくる、代役以上主人公未満のラブコメ群像劇。 <写真>© Yuichi Ichikawa
悠久のインド

総文字数/16,236

ノンフィクション・実話12ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
ネジから人工衛星まで、造れないものは何もない。インド人はそう言って、自慢気に胸を張ります。路上にたむろする物乞いと病人や不具者。それでも彼らが生きていける不思議。この圧倒的な懐の深さに、旅行者たちはしばし唖然とさせられます。夥しい数の宗教と神々。美しい文化遺産の傍らで猛烈に進む自然破壊。発展するIT産業と犯罪。何が善で何が悪なのか、考えれば考えるほど頭が混乱してきます。あらゆるものを飲み込んで流れゆくインド。それは人類の縮図であり、地球の縮図でもあるのです。

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop