【忙しい人のための】シン・安倍晴明物語~Dream of Heian~

第1話 陰陽道への誘い

 延長八年(930)七月、満月丸(後の安倍晴明)のもとに父の安倍益材に仕える陰陽師賀茂忠行が訪ねてきた。忠行いわく、来たる満月丸の誕辰は暦道において最凶の黒日にあたる。この日は門戸を厳重に閉ざし、慎んで物忌を行わなければならない。だが、満月丸は何の恐怖も感じていなかった。庶子である彼は正室の一家と反りが合わず、一日のほとんどを対の屋の中で過ごしていたからだ。彼は、普段どおり生活していれば災いが降りかかることはないだろうと考えていた。

 誕辰の日、満月丸は下腹部に鈍い痛みを感じた。これまでの人生で感じたことのない種類の痛みだった。痛みは徐々に増し、満月丸は床に臥したまま起き上がれなくなってしまう。苦痛に悶える彼は、初めて恐怖を感じた。この痛みこそが黒日の災いで、自分はこのまま死んでしまうのではないかと。真夜中を迎える前、とうとう満月丸は意識を失ってしまう。

 気がつくと、満月丸は広大な川の岸辺に倒れていた。彼は三途の川にたどり着いたのだと察し、自らの死を悟る。満月丸は己の運命に絶望しながらも、このままじっとしているわけにもいかないので、辺りを散策する。少し進んだ先に、若い女が下腹部から血を流して倒れていた。満月丸は女を揺り起こし、事情を尋ねようとする。

 ちょうどそのとき、対岸から鐘の音が鳴り響いた。女は血相を変え、満月丸の手を引いて対岸に渡ろうとする。命日のうちに忘川を渡れなければ、永遠に忘川を漂う遊霊となり、生まれ変わることもできないのだと。満月丸は、なぜ女がそのようなことを知っているのか分からなかったが、今はただ彼女の言うとおりにするしかなかった。

 二人が奈何橋を渡っている途中で、再び対岸から鐘の音が鳴り響いた。満月丸の全身から淡い光が放たれ、徐々に体が透けていく。女は満月丸の手の感触がなくなっていくのを感じ、思わず振り向いた。女は法術で満月丸をその場に繋ぎ止めようとしたが、彼は跡形もなく消え去ってしまう。

 目覚めた満月丸を待ち受けていたのは、突然の父の訃報だった。忠行が葬儀を手配し、益材は鳥辺野に葬られた。葬儀が終わり皆が帰るなか、満月丸は物憂げな様子で木陰にしゃがみ込んでいた。忠行から帰るように促された満月丸は、事情を説明する。両親を失った今、自分が屋敷に帰っても苦しい生活が待っているだけだと。それから、彼は忠行に黒日の臨死体験のことを話し、恨み言を口にした。忠行の言いつけに従い物忌をしたところで、結局は災難に見舞われてしまったのだと。だが、忠行は満月丸の言葉を気に留めなかった。物忌をしていたから三途の川から戻ってこられたのだと。

 満月丸が絶望に沈んでいると、彼の心を表すかのように雨が降ってきた。このまま鳥辺野に留まり続けていると、風邪を引いてしまう。満月丸は忠行に連れられて賀茂邸に向かった。

 二人が賀茂邸に帰ると、忠行の息子保憲が出迎えた。満月丸が事情を説明すると、保憲は彼を不憫に思い、忠行を説得する。満月丸を自分の従者として受け入れてくれないかと。忠行は渋々息子の頼みを聞き入れ、満月丸は何とか賀茂邸で暮らしていけることになった。

 その日の夜、満月丸は不思議な夢を見た。荘厳な宮殿の一室で目覚めた彼は、すぐに夢の中にいると悟った。満月丸は寝台の上で眠っている玉屑を発見し、安らかな彼女の寝顔に魅入られた。そうしているうちに、誰かが部屋に入ってきた。玉屑の兄の炳霊帝君である。満月丸は慌てて身を隠そうとするが、玉屑と炳霊には彼の存在を感知していないようだ。仕方なく、満月丸は部屋の隅に身を置いた。

 目覚めた玉屑は、炳霊から丸一日眠りに就いていたと知らされる。玉屑は倒れるまでの経緯を説明した。突然激しい腹痛に襲われ、忘川の岸辺で倒れていたのだと。そして、一人の童子を忘川の遊霊にしてしまったと自責の念に駆られた。炳霊は玉屑を宥める。前日の死籍に記されている死者は全員無事にあの世へ渡った。時に、まだ天寿を迎えていない人間が死の淵をさまようことがある。玉屑が出会った童子もその一人だったのだと。それを聞いて、玉屑は安堵した。

 翌朝、夢から醒めた満月丸は朝餉の場で夢の内容を話題にした。保憲は、満月丸の心が映し出した幻なのだと推し量る。夢というものは、往々にしてその人の精神状態を反映するのだと。それを聞いた満月丸は、己の中にあのような幻想的な光景を生み出す心があったのかと信じられない気持ちでいた。

 数年が経過し、満月丸は元服のときを迎えた。彼は忠行から成人の証として晴明という名を賜った。賀茂氏は暦道を生業とする一族であり、保憲は陰陽寮に入り暦道の生徒となった。晴明もまた保憲に付き従ったが、彼は賀茂氏の者ではないため、陰陽史生として雑用や事務を担うことになった。

 承平八年(938)四月、晴明が陰陽寮で事務仕事をしていると、上空に黒雲が立ち込めた。晴明は硯の墨が揺らめくのを目にして地震を予期したが、陰陽寮の誰も本気にしなかった。ところが、まもなくして地が震え始めたのである。
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