今夜は君の夜屑
 
 
  
 
「……新田」
「ねぇ待って、ありえないんだけど」
「…今回はちょっと覚えてるみたい、俺」
「えっねぇ、ほんと、なに、ねぇ」

白くてパリッとした、硬い布団は、ご丁寧に詩乃と橘の体の上に被さっていた。
それを詩乃が肩まで引っ張り上げたまま、橘と言葉を交わす。

詩乃は橘を見れない。橘も、詩乃をきっと見ていない。
布団の上に不自然に乗っている紺色の布の塊は、橘のスラックスだろう。

布団の中で、そっと自分の足を動かしてみる。
シーツと自分の肌が、遮るものなく直接こすれ合う心細い感触。 昨日の今日なのに、学習能力のなさに指先が冷たくなる。

自分への呆れが、胃の奥に広がった。
裸だ。下着すら履いていない。

まずは下着をつけるところか?ていうか、どこにある?
探したいんだけど、橘にはあっち向いてて欲しいし、っていうか待って、覚えてるとか言ってた?いやでもまずパンツか?


「ごめん」

パニックになりかけていた頭の中を、橘の言葉が止めた。

「…なんでごめん?」
「友達でいたいって言った矢先に、また酔って、こんなことなって」
「…」
「新田が許してくれて嬉しくてさ、金曜だし、良いか、もう気にしないでおこうって、それで俺、また飲みすぎて」

ベッドの中で、詩乃と橘の距離は、人ひとり分ほど、空いている。
橘は布団を顔に押し当てたまま、声を絞り出すように言葉を続けた。

「…私も、ごめん」
「…」
「私だって、気をつけなきゃいけなかったのに…橘だけが謝ることじゃないよ」


詩乃の記憶はまたしても曖昧で、こうなった経緯も、最中のこともあまり覚えていない。どうしてあんなに早く酔いが回ったんだろう。

ただ、少しだけ断片的に覚えているところもあって、昨日の、何が起こったか分からなかった時よりかはマシだな、と思った。

「…シャワー、浴びてくるね」


橘がそう言って、詩乃の方をちらりと見た。
その顔は優しく笑っているようで、どこか歪んでいるような気もする。

布団の中でゴソゴソと体勢を変え始めた橘に、詩乃はわざと背中を向けた。
しばらくするとベッドから人の気配が消え、ぺたりぺたりと、裸足で床を歩く音が聞こえた。

遠くでドアが閉まって、しばらくしてから響いてきた水音。
その音に何故か安堵して、詩乃は深く息を吐いて、体勢を変えて天井を見つめた。


「あー…やらかした…」

溢れた本音が、部屋の空気に溶けた。
窓から微かに光は漏れ出ているが、枕元のパネルを操作して電気をつけた。
あたりを見渡すと、ヨーロピアン調のデザインの部屋だった。

詩乃は、ぐしゃりと前髪をつぶすように握った。
何やってんだ、ほんとに。いい年した大人二人、二日連続で。自分が情けない。

詩乃はとりあえず起き上がり、橘がシャワーから出てくる前にと、床に転がっていた服を身に着けた。
隣に脱ぎ捨てられていた橘の服も、軽く畳んで洗面台の上に置いた。

化粧もきっと落としていない。
そう思って洗面所に視線をやるも、まだシャワーの音がしている。

二回もしておいて今更だが、裸の橘と鉢合わせたくはないので、一旦後でにしよう。詩乃はそう思い、窓の扉を開き、太陽光を部屋に取り入れた。

時計を見ると、短針が八を指していた。
昨日よりもぐっすり寝てるじゃんか。そう思うと、再度ため息が漏れた。

「とりあえずテレビでも見るか…」

詩乃は誰に言うでもなく呟き、ソファに座ってテレビのスイッチを入れた。
土曜の朝、エンタメニュースが流れるが頭の中にはなんの情報も残らない。

詩乃は、ソファの上で体操座りをして、膝の間に顔を伏せた。
とてもひどく疲れた気がするのに、頭はすっきりしている。

「…新田、着替え、ありがとね」
「あ、ううん。適当に畳んだだけだけど」

テレビの音でかき消されていたのか、いつの間にか橘がシャワーを終えて、近くに立っていた。
濡れている髪の毛をタオルで擦るように拭きながら、スラックスとワイシャツを、ふわりと羽織るようにして、詩乃の隣に腰掛けた。

隣に座った橘から、ホテルの安いボディーソープの安っぽい香りと、湿った体温が漂ってくる。
拭ききれていない水滴が、彼の鎖骨からまだ開いたままのワイシャツの奥へ、すうっと線を引いて落ちていった。

「新田もどうぞ」
「あー、うん。ありがと」

簡単な化粧道具を入れたメイクポーチはカバンに常に入っているし、もう電車も動いているだろうから、軽く化粧もしてから電車に乗ろうかな。

そう思った詩乃は、橘の顔は見ないようにして立ち上がった。
ボタンを留めていないワイシャツから見えた、橘の肌のことは、思い出す必要はないのだと、言い聞かせながら。

















「橘はさ、」
「うん」
「どこまで覚えてるの。さっき覚えてるって言ってたけど」
「俺も曖昧ではあるんだけどね」

シャワーを浴びて、簡単に化粧をした詩乃は、橘とは反対側のソファに座った。
詩乃の問いに、橘は気まずそうに口を開いた。

それでもちゃんと詩乃に身体を向けて、目を見て話す。

「酔って、昨日のこともネタみたいになって、昨日はワインで変なことなったから、今日は焼酎にしようとか言って、調子乗って俺ら飲んでさ、」
「あー…そんな会話もしたような…」
「そしたら二人とも眠くなってきて、終電ぎりぎりで、駅まで急ぐの面倒だねってなって…もういっかーって、なった気がするんだよね」
「そうだったっけ…」

詩乃は自分の記憶をたどろうとしても、橘の言うことが何となく分かるような、分からないような。

「とりあえず近くのラブホで寝ようってなって…ていう感じだったと思うんだけど…」
「なるほど…」
「でもそれで、何でこうなったのかは覚えてない、ごめん」
「や、別に、うん」


また重くなりかけた雰囲気を振り払うように、橘は、とりあえず出る?と詩乃に言った。

「払う」
「いいって、本当に」
「でも、」
「昨日も置いてったでしょ」
「…」

自動ドアが開いた瞬間、容赦のない土曜日の日差しが、寝不足の目に刺さった。
少しだけ伸びる影が二つ並んで、昼間にこうやって並んで歩いたことなんてなかったな、と詩乃は無意識に思う。

爽やかな青空の下、昨夜の過ちがより強調されている気がして、詩乃は思わず俯いた。
やけにまぶしいと思いながら、詩乃は橘と並んで、駅の方面に歩き出した。
 



 
 
 
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