キミと歌姫はじめました!
「有栖」
外から声がする。
零だ。
「準備できた?」
「うん、今行く!」
軽く返事をして、タッセルが揺れるのを感じながら立ち上がる。
鈴がちりん、と鳴った。
(よし)
鏡の中のIrisを一度だけ見て、扉へ向かう。
ここから先は――
歌う自分の時間だ。
部屋を出た瞬間、有栖は一瞬だけ足を止めた。
そこに立っていたのは――
黒いスーツに、黒いネクタイ。
そして、自分と同じ形の狐面をつけた成早零だった。
ただし、それは白ではない。
深い闇のような黒。
まるで影そのものが形を持ったような、もう一人の誰か。
(……Noir)
有栖は小さく息を飲む。
いつも隣にいるはずの零なのに、
そこにいるのは別の存在のように見えた。
黒狐の面の奥から、静かな視線が向けられる。
その手には、アコースティックギター。
公民館の舞台袖に置かせてもらっている楽器の中から、
持ってきたのだろう。
「それ」
有栖が視線で示すと、零は軽く頷いた。
「エレキよりこっちのほうが、今日の雰囲気に合うと思って」
淡々とした声。
でもその一言だけで、すべてが決まっている気がした。
(……ほんと、そういうとこだよね)
有栖は小さく笑う。
白い狐面の自分と、黒い狐面の零。
光と影みたいに並んで立つ二人。
――IrisとNoir。
ただの名前じゃない。
これは、もう一人の私達を形作る骨子だった。
「行こっか」
零が短く言う。
「うん」
有栖も頷く。
タッセルの鈴が、ちり、と小さく鳴った。
カメラの前に座る。
赤いランプが灯った瞬間、空気が変わった。
「……いくよ」
小さく零が言う。
有栖は仮面の奥で息を整えた。
配信開始。
一瞬の無音のあと、コメント欄が爆発するように流れ始める。
《きたあああああ!!》
《LCだ!!》
《待ってた!!》
《Irisーー!!》
画面の向こうの熱量に、有栖はほんの少しだけ目を細めた。
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