こっちを向いて、ヴェルランド。
深い森の中、そう遠くへは行っていない筈なのにリーリエの姿は見当たらない。
ヴェルランドは草木をかき分けながら獣道を進んで行く。
ライターの光は既に消え、優しい月明かりだけが森の中を優しく包みこむ。
月が出ているというのに、人間の形を保てている事に改めて彼女の魔法の凄さを感じる。
(一体、何処までいった?)
ヴェルランドは参ったと言った様子で、周囲を見渡す。こんな事なら彼女に仕事を振るべきでは無かった。
「リーリエ、リーリエ!」
何度か名前を呼ぶと、前方に微かな人影が過ぎる。
ヴェルランドは念の為、銃を構えると慎重に人の気配がした方へと進んでいく。
葉を掻き分けながら道なき道を突き進むと、辺り一面に開けた場所へと辿り着いた。
(ここは…)
視線の先には美しい花々が咲き誇り、色とりどり花びらが宙に舞っている。
ヴェルランドは不意に空を見上げる。先ほどまで闇を照らしていた月はなく、綺麗な青空だけが遥か遠くまで広がっている。
「幻か…」
ヴェルランド冷静にそう判断すると、空に向けて銃を構える。
こんな幻、この愛銃で掻き消してやる。
そう思い、銃の引き金に指を伸ばした時だったー。
「まぁ、空に何か恨みでもあるのかしら?」
突然、投げかけられた声にヴェルランドは勢いよく振り返る。
そこには昔懐かしい愛する人の姿があった。
「リリィ…」
ヴェルランドは思わず口を開く。
「ご機嫌よう、ヴェルランド。今日はとてもいい天気ね」
リリィはそういうと、嬉しそうに微笑んだ。
「それとも、貴方は雨の方が好きなのかしら?」
「…」
リリィの言葉にヴェルランドは視線を逸らす。ここで変に会話をしてしまえば幻に呑まれてしまうに違いない。
「まぁ、無視…。ではこれでどうかしら?」
ヴェルランドの反応が気に入らなかったのか、リリィは腕を引っ張ると自身の方へと無理やり顔を向かせる。
「…っ」
「ほら、もっと愛おしい顔を見せて頂戴」
「…貴様は、リリィではない。私を惑わそうとしても無駄だ」
ヴェルランドはそう言ってリリィの腕を振り払う。するとリリィは今にも泣きそうな顔でヴェルランドを見つめた。
「…私の事がお嫌い?」
「…」
「ねぇ…、教えて頂戴。貴方は私の事がお嫌い?」
「…私はー」
ヴェルランドは言葉を返そうと口を開く。しかし、その言葉は突然抱きついてきたリリィによって遮られてしまった。
「私は好きよ。貴方のことが、ずっと、ずっと。だからここで一人待っていたの」
これは本当に幻なのか。もしかしたら、あの時死んでしまったリリィはダンゼルの魔法で、本物のリリィはここで生き延びていたのではないだろうか。そんな都合のいい妄想がヴェルランドの頭を支配する。
「私、シリウスからこっそり逃げ出していたの。カノープスに一人お友達がいてね、その子が私を逃して下さったの。ほら、貴方もお会いになりましたでしょ?確か名前はリーリエ」
リリィの言葉にヴェルランドは首を傾げる。
「…リーリエ」
「えぇ。彼女が貴方をここまで導いて下さったのよ」
「リーリエ…」
「そう、リーリエ」
「…」
誰だ、それー。
ヴェルランドは一人混乱する。
(私は、一体ここで何をしている…)
先ほどまで、確かに何かをしていた筈なのに。今はとんと思い出すことが出来ない。
そんなヴェルランドの心中を見抜いたのかリリィは怪しく微笑む。
「まぁ、今となってはどうでもいい話ね。さぁ、早く帰りましょう」
「…帰る?何処に?」
「何を言っているの?二人の家よ」
「…二人の?」
「ほら、初夏に二人きりでよく過ごしたあのお屋敷よ。忘れてしまったの?」
リリィはそう言ってヴェルランドの首元に抱きつく。
「あぁ…あぁ、もちろん。忘れてなどいない」
何かに魅入られた様にヴェルランドはリリィの瞳を見つめる。
「これからはずっと一緒。貴方と私、二人きり…」
「あぁ…、そうだな…、お前と二人…」
ヴェルランドは堪らずリリィに口付けしようと屈み込む。リリィもそれに応えようと瞳を閉じる。しかし、口付ける直前で何故かヴェルランドの動きが止まった。
「…どうしたの?」
中々やってこない口付けに、リリィは不安そうに瞳を開く。ヴェルランドは数秒何か考え込んだ様子で首を横に振る。
「…どうやら、ここまでのようだ」
ヴェルランドはそういうとリリィから体を離した。
「ちょ、ちょっと、どうしたのですか?」
リリィは動揺した様子でヴェルランドを呼び止める。
「これが私に本来の目的を教えてくれた…」
ヴェルランドはそう言うと、手に持った簪をリリィへ見せる。
「ただの髪飾りではありませんか…」
「あぁ、だがこれでよく思い出せた。私は叫びの森にリーリエを探しにきた。悪いが先を急がせてもらう…」
ヴェルランドはそういうと、その場から立ち去ろうとする。しかし、リリィはヴェルランドを逃すまいと前へ回り込み行く手を阻む。
「私を置いていくのですか?」
「そうだ。お前は所詮幻、ただの幻影に過ぎん」
「納得できません、何故そこまで言い切れるのですか?」
「答える義理は無い」
ヴェルランドは通せんぼするリリィの横を通り過ぎようとする。
「お待ちください!待って!お願い!行かないで!」
リリィが大声で叫ぶと、ヴェルランドは静かにその場に脚を止めた。そして困った様に小さく溜息を吐く。
「本物のリリィは、私が口づけようとすれば顔を赤くして動揺する。しかし、お前にはそう言った恥じらいと言うものが一つも感じられない」
そう。本来のリリィは自分の気持ちに素直であれ、こちらがその気になれば顔を真っ赤にして恥じらった。
揶揄うのはやめてくださいー。
昔、よくリリィが言っていた言葉だ。
「私とリリィは所詮それだけの関係だ…。もう行く…」
決して抱き合う事も、口付ける事も出来なかった。唯の護衛と女王陛下。それが他でもない愛しい人との距離感。
ヴェルランドは再び歩き始める。幻は諦めたように口を噤んだままだった。
これが現実なら、どれほど良かったかー。
さようなら。愛しい人。