車窓、同担、隣席
 新幹線のとなり。そこに座るのが男性でも、同世代で清潔感、それがあるだけで、旅の予感を明るいものにしてしまう。けど心臓がバクバクするのはどんな人か、ではない。
 隣の座席の男性客の見ているスマホの画面、また横目で見てしまう。
 やばい。私が見ていたチラシの内容と一緒だ。
 監視でもされている気がして、心臓の鼓動が機関車みたいな急ぎ足。乗っているのは新幹線だけど。
 「す、すいません……」

 ほんの僅かに腰を浮かしただけの気配でその人は膝を寄せてくれた。気の利く人のようだ。それはともかく落ち着きたい。視界に入りたくないので後方の手洗いを目指したら、一両分余計に歩くことになったが。歩行のリズムですこし落ち着けたから結果オーライ。
 それでもいつまでもここにいられない。仕方なく指定席に戻ると、男は車掌と何やら話し込んでいた。車掌に何を言ったんだろう?いや何か言われたのだろうか。

 ともかく席に座ると不意に話しかけられた。
 「今日は出端市までですか?」
 やっぱりこいつ、チラシを検索した!
 しかし、そいつ、わたしの返事を待たずにスマホの画面を見せてきた。
 「あ……」
 電子チケット。何度も見返した画面だからすぐに分かった。目的地が同じ。
 いや、待てよ。手洗いに行っている間にリザーブしたとか?

 いや違う。それはすぐに否定できる。チケットに表示されたこのエリアは最初に完売している。というかここは争奪戦の最激戦区だ。わたしも更新連打でなんとか買えたのだ。
 「は、はい。わたしもそれ、見に行くんです」
 「ですよね。さっきチラシ見てたから」
 むむ。僅かに色を軽くしたニュアンスパーマ。銀縁のメガネのレンズがきれい。Vネックのサマーニット。アクセサリーを付けない色白の首元が爽やか。

 「推し活遠征ですか?」
 彼が聞いてきた。
 「そんなガチ勢じゃないですけど、先月も別のところで……中止になっちゃったけど」
 「ああ、北陸ですか?ボクも行ったんですよ。金曜夜だったんで駅前のホテル予約しておいたから結局一泊して」
 「え?ウソ、わたしもそこ泊まった!」
 いかんいかん。声が大きくなっちゃった。
 「でも、今日は大丈夫かなあ……」

 爆破予告。ひと月前の話だ。結局警察が来て厳重に探し回ったが、爆弾のようなものは見つからなかったとその夜のニュースで言っていた。シングルルームから窓の外を見ると遠くでパトランプがまだ明滅していた。自分でも自覚していなかった。ガラスに映っていた口角の歪み。あの夜、遠くのパトランプをきれいと思ってしまった。
 「加地さん、ビジュアルもいいからね。ヤバめなファンもいるんでしょうね」
 ピアニスト加地アズナ。奏でる曲だけではない。透き通るような美白。シックなドレスに身を包み、ピアノの傍に立てばそれだけで別世界を演出してしまう。自分では決して立てない世界。彼女の見ている景色を思い浮かべて別世界の夢を見る。
 「美白……ね」
 「え……」
 男の呟きにちょっと険を感じて饒舌だった舌がたじろいだ。同意しやすい話をしたつもりなのに。なんだか、余計なことをいったみたい。
 「あ、いや、ごめん。なんかで読んだんですよ。彼女、周囲が思うより自分を地黒だと思っていて、それがコンプレックスだったらしいよ」

 あの白さでコンプレックス。さすがにそれは贅沢。ふと悲しくなる。コンプレックスの意味をアズナはきっと知らないんだ、と。おっと切り替えないと。
 「あ。ああ~、そうなんですね。さすがくわしい~」
 ガチ勢に下手な発言は出来ないな。聞き役に回るか……。
 「加地さんの一番の魅力、どこにあると思いますか?」
 「ボクが初めて彼女のピアノを聞いた時……」

 どこまでいっても客観性の乏しい礼賛の応酬になってしまうのだが、それだって同担の二人なら楽しいひと時なのだ。
 「それに左利きの彼女は、ゴージャスすぎる伴奏を抑えるのに苦労したんだとか」
 え?それ本当?左利きなんて、聞いたこと無い。サイン貰ったとき、右手で書いてたし。まさか、知ったか、してる?
 その時、不意に彼がコーヒーの入ったカップを倒し、袖を濡らしてしまった。
 「だ、大丈夫ですか?熱くなかったですか?」
 ホットだ。火傷はしていないだろうか。彼にハンカチを差し出した。

 「ははは。大丈夫なんだよ」
 ハンカチを受け取った指が長い。
 「後で新しいの、買って返しますから」
 彼は袖を拭き、そしてサマーニットを腕まくりした。
 う……。
 火傷の痕だろうか。右腕に大きく、そして長く走るその痕跡。

 「あ、ごめんなさい……」
 「え?謝る要素あった?」
 「いえ、その……」
 「ああ、これ?ちょっと硫酸で……」
 え?りゅうさん……?
 「間違って水に混ぜちゃって」
 「ど、どうなるんですか?」
 「知らなかった?混ぜると危険。聞いたこと無い?知らないか……」
 冷たい汗が背中を伝った。
 「そ、そうなんですか。わたしも昔熱湯こぼして、股関節からふともも、そんな感じなんですよ。あ、見せませんよ。絶対」
 「え、うん……」
 「疑ってます?あ、写真ならちょっとだけ」

 患部の拡大写真。そこだけ見せた。彼の腕を見た後だと、なんとなくそれがフェアに思えたから。
 「キミのだという証拠は……」
 なんでこいつは素直に相槌打てねえんだ?共感のシーンだろ。
 「別に信じてほしいわけじゃない。プール休んで、海にも行けない。恋もしたくない。似たような感情、あったのかなーって」
 わたしは写真を出して、思い出した。その話、どう切り出すか。ちょっと冷静になろう。
 「もう一度チケットの座席表見せてもらえますか?」

 そう言って私もスマホの電子チケットを彼に見せる。
 「あ、隣……」
 「爆破予告、まさか今回は無いですよね~」
 「さあ?ボクに聞かれても分からないよ」
 彼の視線がちょっと泳ぐ。
 「わたし、峰村スズカ。よろしくね、お隣さん」
 「山田ヨシタカです。ボクもピアノしてたんだよ」
 「そうなんですか」
 「辞めたけどね。火傷してブランクがあいて、そのまま……」
 「そ、そっか……」
 彼にも彼だけの喪失があるのだろう。加地アズナのピアノはそういうものたちを引きつける何かを持っているのだろうか。もうすぐ出端市だ。

 あの肌の白さでコンプレックス?笑えるんだけど。
 わたしはもう一度手洗いに立ち、歪な肌を手のひらで撫でる。

 最後のメールを入れる。そして個室から出たその場にスタンドカラーのコートを着た山田ヨシタカがいた。わたしは腕をひねられ、その場に押さえつけられる。
 「爆破予告、威力業務妨害の現行犯。逮捕する」
 そして山田ヨシタカはスタンドカラーに仕込んだインカムに囁いた。
 「容疑者確保。9号車トイレ個室前」
 到着五分前を告げるアナウンスが流れ、駆け寄ってくる数人の足音が聞こえた。送信したばかりのスマホがその画面のまま転がった。
 そこへ車掌もやってきた。
 「捜査協力、ありがとうございました。駅長にもよろしくお伝え下さい」
 ちくしょう、こいつ最初から……。

 本名ではないのだろうが、山田の膝が背中に強くのしかかる。捜査員たちがいつの間にか周囲を囲んでいた。
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