きみの文字が好き


最初に気づいたのは、会議室の隅に落ちていた一枚のメモだった。

几帳面なのに、どこか温かみがある。「ありがとう」の「が」だけ、少しだけ跳ねている。
その字を見た瞬間、なぜかどきどきした。こんなことは初めてだ。

「それ、私の……です」
振り返ると、佐々木さんが少し恥ずかしそうに手を伸ばしていた。

「あ、きれいな字ですね」
思わず口から出た言葉に、彼女は目を丸くした。
「え、そんなこと、言われたことないです。子供っぽいと思っていたんですけど」
子供っぽくない。全然子供っぽくない。

それからというもの、気がつけば、いつも彼女の字を探していた。
付箋でも、議事録でも、ランチのメモでも。

「鈴木さん」
と差し出された書類には、小さな黄色いステッカーが貼られていた。
「よろしくお願いします。佐々木はるか」

それだけで、午後の仕事が三割増しではかどった。

ぼくはアパートに帰ると、「佐々木はるか」のステッカーをおでこに貼って歩き回ったり、お風呂にはいったりした。
それが湯気でふやけて、浴槽に落ちた。慌てて拾いあげたが、インクがで字が歪んでしまった。
ぼくはものすごく落ち込んで、その夜、その丸い「字」の夢まで見た。

ある日、ぼくは思い切った。
「佐々木さん、ぼくの名前を書いてもらえませんか」
「え?」

「ぼくは悪筆なので、佐々木さんがどんなふうに書かれるのか、見たくて」
ぼくは変人に思われ、彼女は遠ざかっていくのだろうか。

佐々木さんはしばらく固まっていたが、ゆっくりとペンを手に取った。
そして、白い紙の上に、「鈴木誠」と書いてくれた。
「が」の字と同じで、少し丸い。「誠」の最後の払いが跳ねていた。

その字を見ると、ぼくの気持ちも跳ねて、元気が出た。
「……大事にします」

「鈴木さんって、変な人ですね」
佐々木さん笑っていた。でも、その耳が赤くなっていた。

ぼくは財布の中に、その紙をいれて、とても大切にしている。
時々、眺めて、元気をもらっている。

ぼくは今、考えている。次はどうやって、彼女の名前を書いてもらおうか。
婚姻届け?
だとしたら、まず、デートに誘わなければならないだろう。
よし、次はそれでいくぞ。
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