GWの悲劇

二日目

朝六時。
 別荘の中は、まだ静まり返っていた。

 僕はそっと布団から抜け出し、リビングへ向かった。

 窓の外は薄暗く、福島の朝の空気は少し冷たい。
 静かな空間の中で、僕は小さな音で音楽を流した。

 けれど、ソファではNさんがまだ眠っている。

「……起こしちゃいそうだな」

 僕は小さく呟き、音量をさらに下げた。

 それでも落ち着かなくて、一階にある別の部屋へ移動した。
 パソコンを開きながら、静かな時間を過ごした。

 しばらくして、みんなが起き始めた。

「おはよー」

 モンちゃんが眠そうな声で言う。

「おはようございます」

 僕もリビングへ戻り、みんなの輪に入った。

 するとモンちゃんが言った。

「ラーメン食べたあと温泉行くから、温泉の準備しといてー」

「分かった」

 僕はその言葉を聞いて、“ラーメンの後はそのまま温泉へ行く”のだと思い込んだ。

 前日に言っていた“鶴ヶ城”や“ガラス館”のことなんて、完全に頭から抜け落ちていた。

 それが、このあと自分を苦しめることになるとも知らずに。

     ◇

 みんなで車に乗り、会津若松へ向かった。

「今日は空いてるといいなー」

 モンちゃんがハンドルを握りながら言う。

 人気店らしく、普段はかなり並ぶらしい。

 けれど今日は奇跡的に待ち時間なしで入ることができた。

「うわ、ラッキーじゃん」

 彼氏が笑う。

 ただ、六人で座れる席がなく、三人ずつに分かれることになった。

「じゃあ僕、Iさんたちのほう行きます」

「よろしくね」

 Iさんが優しく笑った。

 Iちゃんは静かに会釈をした。

 あまり会話はなかったけれど、ラーメンは驚くほど美味しかった。

「……美味しい」

 思わずそう呟いてしまうほどだった。

 だが、問題はそのあとだった。

 店を出た瞬間、モンちゃんが明るい声で言った。

「よし! 次、鶴ヶ城行こう!」

「……え?」

 一瞬、頭が真っ白になった。

(愛護手帳、持ってきてない……)

(カメラもない……)

(携帯の充電もほとんどない……)

 心臓が急にざわつき始めた。

 車に乗ってからも、景色なんて全然頭に入ってこない。

 ドライブは好きなはずなのに、今日は苦しかった。

「どうした?」

 隣に座る彼氏が小声で聞いてきた。

「……手帳、忘れた」

「え?」

「あと携帯も充電少ない……」

 彼氏は少し考えてから、静かに言った。

「手帳のことはモンちゃんに任せよう」

「……うん」

「携帯は着いたら貸すから」

「ありがとう……」

 その言葉だけで少し安心した。

     ◇

 鶴ヶ城へ到着してから、もう一台の車を待っていた。

 しかし突然、モンちゃんの携帯が鳴った。

「え? ガラス館行っちゃった!?」

 どうやらNさんたちは、間違えて次の目的地へ行ってしまったらしい。

「はぁ……」

 モンちゃんがため息をつく。

 そこから、空気が少し変わった気がした。

 一緒に写真を撮ってくれなかったり、先にどんどん歩いて行ったり。

(……怒ってるのかな)

 そう感じてしまい、僕は少し気まずくなった。

 それでも鶴ヶ城は綺麗だった。

 歴史を感じる大きな城を見上げながら、僕は静かに息を吐いた。

     ◇

 そのあと向かったガラス館では、空気が一変した。

「わぁ……」

 思わず声が漏れる。

 色とりどりのガラス細工が、光を反射してキラキラと輝いていた。

「これ綺麗じゃない?」

 彼氏が指差す。

「ほんとだ……」

 僕は夢中になって見て回った。

 モンちゃんもいつもの雰囲気に戻っていて、それが嬉しかった。

     ◇

 夜。

 BBQの準備を終えたあと、近くの温泉へ向かうことになった。

 でも僕は、大浴場が苦手だった。

(怖い……)

 小学生の頃、自然学校で起きた“お風呂事件”。

 それ以来、大浴場はずっと恐怖の場所だった。

「……先入ってきます」

 僕はそう言うと、誰よりも早く風呂場へ入った。

 そして急いで身体を洗い、十分も経たないうちに外へ出た。

「はぁ……」

 待合室の椅子に座り、ジュースを飲みながら音楽を聞く。

 すると、Iちゃんが隣へやって来た。

「……」

 Iちゃんは耳が聞こえにくい。

 だから僕はスマホのメモ機能を開いた。

〈何飲んでるの?〉

 Iちゃんが笑う。

〈オレンジジュース!〉

〈美味しい?〉

〈うん!〉

 その笑顔を見た瞬間、胸が少し温かくなった。

(初めてちゃんと笑ってくれたかも)

 そう思った。

     ◇

 別荘へ戻ると、BBQと宅飲みが始まった。

「乾杯ー!」

 みんながグラスを掲げる。

 昨日は飲まなかった。

 でも今日は、みんなと一緒に楽しみたかった。

 だから僕も酒を飲んだ。

 ほろ酔い。
 オリオンビール。

 最初は楽しかった。

 けれど途中から、一気に身体がおかしくなった。

「……寒い……」

 手が震える。

 足も震える。

 口まで震え始めた。

「大丈夫か?」

 モンちゃんが服を貸してくれる。

「……ありがとう……」

 でも吐き気だけはどうにもならなかった。

(調子に乗らなきゃよかった……)

 そう後悔した時には、もう遅かった。

     ◇

「眠かったらそこで寝ていいよ」

 モンちゃんがそう言った。

 僕は顔を隠すようにフードを深く被る。

「忍者みたいだな」

 モンちゃんが笑った。

 その言葉に少しだけ救われた。

 だがその直後、親から電話がかかってきた。

 一度切る。

 またかかってくる。

 また切る。

 それでも何度も鳴り続けた。

「……っ」

 イライラして、とうとう電話に出た。

 けれど、余計に苦しくなるだけだった。

「もういい!」

 一方的に切って、僕は二階へ逃げた。

 暗い部屋の中で、一人膝を抱える。

(消えたい……)

(ずっと福島にいたい……)

(もう苦しい……)

 気づけば、モンちゃんへ長文のLINEを送っていた。

 すると返事が来た。

〈無理しすぎるな〉

〈ちゃんと自分を大事にしろ〉

 その言葉で少しだけ呼吸ができるようになった。

     ◇

 下へ戻ると、モンちゃんが僕を見た。

「どうした? 元気ないなー」

 その瞬間。

 僕はモンちゃんの四十度の酒を一気に飲んだ。

「!?」

 モンちゃんが目を見開く。

「お願いだから、もう頑張るのやめて」

 その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていたものが全部切れた。

 無理しなくていい。

 取り繕わなくていい。

 そう言われた気がした。

     ◇

「これやるよ」

 モンちゃんが帽子を差し出す。

「……え?」

「似合うと思う」

 僕はそれを両手で受け取った。

(宝物にしよう)

 本気でそう思った。

「きみを応援する歌、作れたらいいな」

 その言葉も嬉しかった。

 まるで背中を押してくれているみたいだった。

     ◇

 そのあと、僕はもう一度親へ電話をかけた。

 酒が入っていた。

 顔も真っ赤だった。

 でもそのおかげで、初めて本音を言えた。

「なんで……お酒入れないと、僕の話聞いてくれないの……?」

 声が震える。

 彼氏が隣で膝枕をしてくれた。

 周りのみんなも静かに見守ってくれていた。

 その優しさが嬉しかった。

 でも同時に、どこか虚しかった。

     ◇

 夜遅く。

 二階で横になっていると、モンちゃんが部屋へ来た。

「今日はよく頑張ったな」

 その言葉だけで、少し泣きそうになった。

「……みんなに迷惑かけた」

「気にしすぎ」

 モンちゃんはそう笑った。

 少し話をしているうちに、荒れていた心がゆっくり落ち着いていく。

 窓の外では、福島の夜風が静かに吹いていた。

(明日で最後なんだ……)

 そう思うと、少し寂しくなった。

(もっとモンちゃんの近くにいたい)

 そんなことを考えながら、僕は静かに目を閉じた。
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