逃げられるものならお好きにどうぞ。
「……黒瀬くんってさ、何で私のこと、“お姉さん”って呼ぶの?」
出会ったばかりの頃、百合子さんにそう尋ねられたことを思い出す。
多分俺は、無意識のうちに予防線を引いていたんだろう。
名前には、相手を縛りつける力があったというけれど、それを以てしても、叶わなかったら。
――これ以上、孤独に苛まれたくはない。大切に思えば、それだけ別れが辛くなるから。
それならば、ずっと独りでいた方が気楽かもしれない。
人肌恋しい夜にだけ、共に過ごしてくれる相手がいれば、それで十分だ。
心のどこかで、そんなことを思っていた。
だけど――あの頃の俺は、もういない。
今の俺には、名前を呼んでほしい人がいる。
その名前を声に出して、飽きることなく、命が尽きるその時まで呼び続けたいって、そう思える人がいる。
もし本当に言霊があったとするなら、縛りつけたいし、縛りつけてほしい。
俺の名前を、呼んでほしい。