Fahrenheit -華氏- Ⅲ
そしてそのときは、あたしがお手洗いから帰って10分後にやってきた。
「ごめんなさい、あたしもお手洗いに」とマナミさんが席を外し、
「あ、俺電話が掛かってきた。瑠華ちゃんちょっと席外すね~」と打ち合わせ通り葵さんもスマホを手に取り席を立ち上がった。
斜め向かいに座った伊藤さんとあたし。
「ようやく二人きりになれましたね」
切り出したのはあたしの方だ。何せマナミさんがいつ帰ってくるか分からない。
「君もそう思っててくれたのかい?嬉しいな。俺たち気が合いそうだね。ね、さっきの彼に適当に言い訳して今晩……」
言いかけた言葉を遮り、あたしはコンと音を立てて男性物の結婚指輪をテーブルに置いた。
随分と―――自分に自信があるようだ。あたしが葵さんよりこの男を選ぶと?
「伊藤さん、嘘はいけませんね。マナミさんはあなたが結婚していることご存知なのでしょうか」
あたしの問いかけと、テーブルに置かれたリングを見ると伊藤さんはさっきの余裕顔から一転顔を青くして
「俺の……指輪…?何で…」と慌ててスーツのジャケットをめくるとワイシャツの胸ポケットに手を入れた。
ホント、バカな男。他人の物だと言い訳ぐらいできないのだろうか。まぁ言い訳したところで次の一手は考えてあるけれど、思った以上に簡単に引っかかったのが少しだけ面白くない。
「先ほどあなたが”介抱”してくださったときに失礼したものです」
「なっ!盗ったってことか!」青くしていた顔から一転伊藤さんは今度は顔を赤くする。
「気づいていましたよ。あなたが時折胸ら辺を押さえているのを。最初は癖かと思ってましたが、そこに何か大事なものが入っている、とお見受けしましたので」
「だからって盗むとは!」伊藤さんはあたしが置いた指輪を取り返そうと手を伸ばしてきたが、それより早くあたしが指輪を取り上げた。
「も、目的は何だ」伊藤さんが目を吊り上げる。
「マナミさんと別れてください」
あたしがそっけなく言うと、彼は最初きょとんとしたのち、「あはは!」と笑いだした。