ミドサーですが、うっかり恋に堕ちまして
3.花火
 
 花火大会を翌日に控えた夜勤入りの日。

私は少し浮かれた気持ちで仕事を始める。

明日は晴れるらしい――と、天気予報を何度も確認したりして。

その日、病棟はとても落ち着いていた。

休憩も取れ、気付けばナースステーションの時計は午前二時を指していた。

消灯後の静かなスタッフステーションにはモニターの音だけが淡々と響いている。

私は電子カルテへ入力をしながら、小さく肩を回す。

(あと六時間……)

 まだ気は抜けない。

 そんな時だった。突然内線が鳴り響く。

「はい、外科病棟浅川です」

『救急外来です。三十五歳男性虫垂炎疑い。入院受け入れ大丈夫ですか?』

「はい。いつ上がって来てもらって大丈夫です」

 受話器を置き受け入れの準備を始める。

まず、電子カルテを開いて情報を確認した。

(ーーえ?)

 既視感のある名前に固まる。でも、同姓同名かもしれないし……。

「主任、入院ですか?」

「うん、虫垂炎疑いだって。個室希望あるらしいから十号室に準備してもらえる?」

 急患対応は珍しくない。

 それでも夜中の入院は病棟全体の空気を少し慌ただしく変える。

 ベッド準備を終えた頃、エレベーターが開いた。

 ストレッチャーで運ばれてきた男性患者は腹部を押さえながら顔をしかめている。

「松木さん、歩けそうですか?」

 声を掛けたその瞬間、患者がゆっくり顔を上げた。

思わず呼吸が止まる。

「……真夏、か?」

 懐かしい声。昔、何度も名前を呼ばれた記憶が蘇る。

 でも次の瞬間には、看護師としての顔を貼り付けていた。

「しょ、松木さん、看護師の浅川です。病室へご案内します」

 つい“翔”と呼んでしまいそうになった。

彼は痛みに顔を歪めながらも私に話しかけてくる。

「……久しぶりだな」

「まずは病室行きましょう。そのあとお話を伺います」

 事務的に返す。みんなの目がある中、それしかできなかった。

 病室へ案内し、救急外来の看護師たちから申し送りを受ける。

病室へ戻ると後輩たちがバイタル測定をしていてくれた。

脈拍96回毎分。血圧140/78㎜hg 体温三十八度。酸素飽和度98パーセント。下腹部痛あり自制内。抗生剤は救急外来で初回投与済。

緊急オペの適用外と判断されている。

「個室料金は一日三万円です。アメニティーのレンタル契約はされますね?」

「他人行儀なんだな」

「仕事中ですから」

 ぴしゃりと言うと、翔が小さく笑った。

「つれないなぁ」

 昔だったら、こんな風に笑われたら胸が痛んでいたかもしれない。

でも今は違う。ただ少し、落ち着かないだけだ。

出来るだけ冷静に、夜間の責任者として必要事項を尋ねる。

「緊急連絡先はどなたになさいますか?」 

「妻……いや、母で」

 翔は気まずそうに視線を逸らす。

「お母さまですね」

 何度か会ったことがある翔の母親の名前を"キーパーソン"の欄に書き込む。

「芙美から聞いてるかもしれないけど、俺、離婚したんだ」

「そう……」

 理由は聞かなかった。聞く必要もない。

入院のオリエンテーションを済ませ、病室をでると途端に腰から力が抜けていく。

(びっくりした……)

 まさかこんな形で再会するなんて想像もしていなかった。

勤務中に昔の恋人と。しかも結婚寸前までいった相手に。

(とはいえ、意外と大丈夫だったなぁ)

 完全に平気とは言わない。でも、ときめく事もないし、元に戻りたいとは思わなかった。

それが分かっただけで、この再会はマイナスではなかったと思いたい。

緊急入院のカルテ入力を済ませる頃には空が少し白み始めていた。

長い夜が終わろうとしている。


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