三浦主任の「ん」はずるい
■

「おかえり」

アパートに帰ると、婚約者の裕二がエプロン姿で出迎える。

「ただいま。サラダ買ってきたの」

奈緒は通勤鞄を預けて、ビニール袋を掲げた。

「デパ地下の?」
「食べたいって言ってたでしょ?」
「残業だったのに、寄り道してまで買ってくれたんだな」

ヒールのストラップを外す動作が止まる。
奈緒は片足を上げたまま、裕二をうかがう。

「……あ、ごめん。引き継ぎで遅くなっちゃって。明日はわたしが作る」
「本当? じゃあ、奈緒のビーフシチュー食べたいな。これ、皿に盛っとくから着替えておいで」
「うん、ありがとう」

奈緒の母親直伝ビーフシチュー。半日煮込み、ホロホロになったスネ肉が特徴だ。
洗面台で手を洗いつつ、メイクは落とさないでおく。夕食後に肉を買いに行こう。

「いただきます」

二人揃って挨拶。ダンボールに囲まれた食卓はスプーンの音をこもらせる。

「このカレー、後輩がくれた」
「いい匂い! 同期の方、新婚旅行に行ってたんだっけ?」

空のパッケージを眺め、目を細める奈緒。ご当地カレーはお土産の定番だ。

「そう、一週間もだよ? これからずっと一緒にいるんだから、行かなくても良くない?」

グラスが水滴を落とし、コースターを湿らす。
ごろりと大きなジャガイモを頬張る口元に悪気はなさそう。

「あっ! 奈緒のひとり旅は否定しないよ。退職前だし、有給も使いやすいでしょ?」

「俺は取れないんだけど」と加えられ、奈緒は箸を置く。

「……わたしもね、一緒に行けたら嬉しい。まだ間に合うし、どう? なんなら、仕事を続けてタイミングを待っても」

投げ掛けた瞬間、裕二が前のめりになる。

「奈緒には家庭に入って貰いたい。あったかい家族を作りたいって夢、話したよな?」
「だから、子どもを授かるまで続けても――」
「俺達、若くないだろ?」

裕二は奈緒へ手を伸ばして、指輪ごと包み込む。

「俺、ちゃんと稼ぐし出世もする。心配しないで? 奈緒を幸せにするよ」

奈緒は返事の代わりに、もう片方を重ねた。
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