箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい
母は床のガラス片を避けることなく、ゆっくりと夫の前まで歩み寄る。その表情は何処までも穏やかで、慈愛に満ちていた。けれど、その瞳の奥には何ものにも屈しない絶対的な揺らぎなさが宿っている。
「あなた」
「……」
「この子は失敗作じゃないわ」
「失敗ではない」
孝允は低く、押し殺した声で静かに返した。
「……制御を離れた。だからこそ危険だと言っている」
「違う」
母はきっぱりと首を横に振った。
「危険なのは、この子が心を持ったことじゃない」
さらに一歩だけ、夫の懐へ踏み込む。
「真に危険なのは――心を持った生きた存在を、ただの都合の良い『物』として扱おうとしている、あなたの方」
周囲の連なっていた研究員達が、ヒッと小さく息を呑んだ。
誰も口を開けない。神条グループをここまで大きくし、冷徹な絶対君主として君臨してきた社長へ、ここまで真っ向からその本質を突く意見ができる人間など、この世に一人もいなかった。
けれど、長年彼を支え、誰よりもその脆さを知る母だけは違った。
「あなたが零を造った、本当の理由を忘れてしまったの?」
「……」
「新那を……私達の娘を、何があっても守るためでしょう?」
孝允は頑なに黙秘を貫く。だが、その視線は微かに泳いでいた。
「だったら見てあげて」
母は静かに、後ろで手を繋ぎ合う二人へと視線を向けた。手首に重い鎖を繋がれながらも、新那をその背中に庇い、今なお油断なく警戒の光を宿している少年の姿を。
「この子はもう、あなたの書いたプログラム(命令)で新那を守っているんじゃないわ。……この子自身の『意志』で、命を懸けて守っているの」
母の言葉が、冷たい研究室の空気を優しく溶かしていく。
「それは、あなたがどんなに莫大な予算と何年の歳月をかけても、計算式だけでは決して造れなかった『奇跡』よ」
赤く明滅する警報灯の下、部屋は水を打ったように静まり返る。
母は張り詰めた夫の顔を見つめ、ふっと少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「ねぇ、あなた。優秀な科学者として、私の問いに答えて」
「……」
「心を持つことは、本当に科学の『失敗』と呼ぶべきものかしら?」
孝允は何も答えない。
ただ、じっと零を見つめ、新那を見つめていた。互いの傷だらけの手を、ちぎれんばかりに強く、必死に握り合っている二人の姿を。
どれほど長く感じられる沈黙だっただろうか。
やがて、母はふっと緊張の糸を解くように息を吐き、小さく綺麗に肩を竦めてみせた。
「やっぱりね。昔からそう。あなたは都合が悪くなったり、深く考え込んだりすると、すぐにそうやって黙り込んちゃうのね」
その瞬間、研究室を支配していた破滅的なまでの緊迫感が、ほんの少しだけ和らいでいく。
「あなた」
「……」
「この子は失敗作じゃないわ」
「失敗ではない」
孝允は低く、押し殺した声で静かに返した。
「……制御を離れた。だからこそ危険だと言っている」
「違う」
母はきっぱりと首を横に振った。
「危険なのは、この子が心を持ったことじゃない」
さらに一歩だけ、夫の懐へ踏み込む。
「真に危険なのは――心を持った生きた存在を、ただの都合の良い『物』として扱おうとしている、あなたの方」
周囲の連なっていた研究員達が、ヒッと小さく息を呑んだ。
誰も口を開けない。神条グループをここまで大きくし、冷徹な絶対君主として君臨してきた社長へ、ここまで真っ向からその本質を突く意見ができる人間など、この世に一人もいなかった。
けれど、長年彼を支え、誰よりもその脆さを知る母だけは違った。
「あなたが零を造った、本当の理由を忘れてしまったの?」
「……」
「新那を……私達の娘を、何があっても守るためでしょう?」
孝允は頑なに黙秘を貫く。だが、その視線は微かに泳いでいた。
「だったら見てあげて」
母は静かに、後ろで手を繋ぎ合う二人へと視線を向けた。手首に重い鎖を繋がれながらも、新那をその背中に庇い、今なお油断なく警戒の光を宿している少年の姿を。
「この子はもう、あなたの書いたプログラム(命令)で新那を守っているんじゃないわ。……この子自身の『意志』で、命を懸けて守っているの」
母の言葉が、冷たい研究室の空気を優しく溶かしていく。
「それは、あなたがどんなに莫大な予算と何年の歳月をかけても、計算式だけでは決して造れなかった『奇跡』よ」
赤く明滅する警報灯の下、部屋は水を打ったように静まり返る。
母は張り詰めた夫の顔を見つめ、ふっと少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「ねぇ、あなた。優秀な科学者として、私の問いに答えて」
「……」
「心を持つことは、本当に科学の『失敗』と呼ぶべきものかしら?」
孝允は何も答えない。
ただ、じっと零を見つめ、新那を見つめていた。互いの傷だらけの手を、ちぎれんばかりに強く、必死に握り合っている二人の姿を。
どれほど長く感じられる沈黙だっただろうか。
やがて、母はふっと緊張の糸を解くように息を吐き、小さく綺麗に肩を竦めてみせた。
「やっぱりね。昔からそう。あなたは都合が悪くなったり、深く考え込んだりすると、すぐにそうやって黙り込んちゃうのね」
その瞬間、研究室を支配していた破滅的なまでの緊迫感が、ほんの少しだけ和らいでいく。