箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい
一階の昇降口に辿り着いた頃には、外の雨脚は更にその勢いを増していた。
校舎のコンクリートの屋根を激しく叩く雨音が、ザーザーと絶え間なく鼓膜を揺らしている。
ガラス張りの下駄箱の前には、新那と同じように傘を持っていない生徒達が人だかりを作り、途方に暮れた顔で足止めを食らっていた。
「……結構どころか、本格的に降ってるね」
新那はローファーに履き替えながら、ガラスの向こうの真っ白に煙る景色を見て呟く。
一粒一粒は細かいが、信じられないほどの密度だ。これでは、どんなに俊足の陸上部員が走ったところで、無傷(ずぶ濡れを回避すること)では済まないだろう。
ふと隣を見ると、アールがその漆黒の瞳を微かに明滅させ、雨のカーテンを冷徹に観察していた。
「――帰宅可能です」
「……いや、そうだろうけどさぁ」
「これまでの走行データと現在の風速・雨量を演算。自宅までの推定所要時間は、八分二十秒」
「その八分間の間、私はノンストップで冷たい雨に打たれ続けるんだけど?」
「当機の撥水加工、および防水性能において、この程度の雨量は問題ありません」
「私は大問題あるの! 風邪引く生命体なの!」
新那がキーキーと抗議すると、アールは数秒間、彫刻のように黙り込んだ。恐らく、新那の「風邪を引く」という生体リスクをAIの中で再計算しているのだろう。
やがて、彼は新那を真っ直ぐに見つめ、静かに頷いた。
「……分かった」
新那は少しだけ目を瞬く。
昨日から教え込んでいるその言葉は、何故だか言うたびに少しずつ、彼の声のトーンに馴染んで自然な響きになってきている気がした。
「じゃあ……覚悟を決めて、行こうか」
「うん」
二人は荷物をしっかりと抱え直す。新那は通学鞄を胸の前に抱え込み、小さく深呼吸をした。
周囲の足止めを食らっている生徒達が「え、あいつら突っ込むの?」という驚きの視線をこちらに送ってくる。
「せーの……っ!」
新那の掛け声と同時に、二人は灰色の世界へと勢いよく飛び出した。
――ザーーーーッッッ!!
一歩踏み出した瞬間、氷水のような冷たい雨が容赦なく全身を叩いた。
「ひゃうっっ!?」
思わず首を竦めて悲鳴を上げる。
僅か数秒で、丁寧に整えていた髪が額に張り付き、制服のブレザーが雨粒を吸ってズッシリと重くなっていく。
「冷たっ、信じられないくらい冷たい……!」
文句を口の中で叫びながら、とにかく足を前へと動かした。
住宅街へと続く歩道。視界は最悪だ。濡れて黒光りするアスパルファム、あちこちにできた大きな水溜まり、耳を塞ぎたくなるほどの激しい雨音。
新那は息を切らし、前髪を片手で掻き分けながら前を見た。
「あ……」
前方を走るネイビーの背中が、みるみるうちに遠ざかっていくのが見えた。アールだ。
当然だった。人間と、軍事用にも転用できる最高峰のアンドロイドとでは、根本的な身体能力の桁が違いすぎる。
向こうにしてみれば、お嬢の歩調に配慮して「これでもかなり手を抜いた、一定の速度」で走っているつもりなのだろう。
けれど、こちらは運動不足の女子高生だ。
髪はぐしゃぐしゃ、制服は水を吸って鉛のように重く、走れば走るほど足が前に出なくなってくる。肺が酸素を求めてヒューヒューと悲鳴を上げ始めた。
「ちょ、ちょっと……アール……っ!」
新那は喉の奥を震わせ、雨音に負けないように叫んだ。
「待って……! 置いてかないで……!」
その声が届いた瞬間、前方を進んでいたアールが弾かれたように振り返った。
白く煙る雨の向こうで、二人の視線が真っ直ぐに交差する。
ほんの一瞬。本当に、火花が散るほどの刹那だった。
次の瞬間、アールに迷いはなかった。
彼は滑らかな動きで踵を返すと、激しく水溜まりを跳ね上げながら、新那の元へと猛スピードで戻ってきたのだ。
「え……?」
新那が呆気にとられて足を止めるより早く。
戻ってきたアールは、迷うことなく彼女の右手を掴んだ。
校舎のコンクリートの屋根を激しく叩く雨音が、ザーザーと絶え間なく鼓膜を揺らしている。
ガラス張りの下駄箱の前には、新那と同じように傘を持っていない生徒達が人だかりを作り、途方に暮れた顔で足止めを食らっていた。
「……結構どころか、本格的に降ってるね」
新那はローファーに履き替えながら、ガラスの向こうの真っ白に煙る景色を見て呟く。
一粒一粒は細かいが、信じられないほどの密度だ。これでは、どんなに俊足の陸上部員が走ったところで、無傷(ずぶ濡れを回避すること)では済まないだろう。
ふと隣を見ると、アールがその漆黒の瞳を微かに明滅させ、雨のカーテンを冷徹に観察していた。
「――帰宅可能です」
「……いや、そうだろうけどさぁ」
「これまでの走行データと現在の風速・雨量を演算。自宅までの推定所要時間は、八分二十秒」
「その八分間の間、私はノンストップで冷たい雨に打たれ続けるんだけど?」
「当機の撥水加工、および防水性能において、この程度の雨量は問題ありません」
「私は大問題あるの! 風邪引く生命体なの!」
新那がキーキーと抗議すると、アールは数秒間、彫刻のように黙り込んだ。恐らく、新那の「風邪を引く」という生体リスクをAIの中で再計算しているのだろう。
やがて、彼は新那を真っ直ぐに見つめ、静かに頷いた。
「……分かった」
新那は少しだけ目を瞬く。
昨日から教え込んでいるその言葉は、何故だか言うたびに少しずつ、彼の声のトーンに馴染んで自然な響きになってきている気がした。
「じゃあ……覚悟を決めて、行こうか」
「うん」
二人は荷物をしっかりと抱え直す。新那は通学鞄を胸の前に抱え込み、小さく深呼吸をした。
周囲の足止めを食らっている生徒達が「え、あいつら突っ込むの?」という驚きの視線をこちらに送ってくる。
「せーの……っ!」
新那の掛け声と同時に、二人は灰色の世界へと勢いよく飛び出した。
――ザーーーーッッッ!!
一歩踏み出した瞬間、氷水のような冷たい雨が容赦なく全身を叩いた。
「ひゃうっっ!?」
思わず首を竦めて悲鳴を上げる。
僅か数秒で、丁寧に整えていた髪が額に張り付き、制服のブレザーが雨粒を吸ってズッシリと重くなっていく。
「冷たっ、信じられないくらい冷たい……!」
文句を口の中で叫びながら、とにかく足を前へと動かした。
住宅街へと続く歩道。視界は最悪だ。濡れて黒光りするアスパルファム、あちこちにできた大きな水溜まり、耳を塞ぎたくなるほどの激しい雨音。
新那は息を切らし、前髪を片手で掻き分けながら前を見た。
「あ……」
前方を走るネイビーの背中が、みるみるうちに遠ざかっていくのが見えた。アールだ。
当然だった。人間と、軍事用にも転用できる最高峰のアンドロイドとでは、根本的な身体能力の桁が違いすぎる。
向こうにしてみれば、お嬢の歩調に配慮して「これでもかなり手を抜いた、一定の速度」で走っているつもりなのだろう。
けれど、こちらは運動不足の女子高生だ。
髪はぐしゃぐしゃ、制服は水を吸って鉛のように重く、走れば走るほど足が前に出なくなってくる。肺が酸素を求めてヒューヒューと悲鳴を上げ始めた。
「ちょ、ちょっと……アール……っ!」
新那は喉の奥を震わせ、雨音に負けないように叫んだ。
「待って……! 置いてかないで……!」
その声が届いた瞬間、前方を進んでいたアールが弾かれたように振り返った。
白く煙る雨の向こうで、二人の視線が真っ直ぐに交差する。
ほんの一瞬。本当に、火花が散るほどの刹那だった。
次の瞬間、アールに迷いはなかった。
彼は滑らかな動きで踵を返すと、激しく水溜まりを跳ね上げながら、新那の元へと猛スピードで戻ってきたのだ。
「え……?」
新那が呆気にとられて足を止めるより早く。
戻ってきたアールは、迷うことなく彼女の右手を掴んだ。