ダディ・バディ・ダーリン

「父親なるものがどのような生き物であるか、定義しよう」

 リヴェン・メイディーンは、もう間もなく――といっても、あと一月も経たぬうちに――「父親」となる。そういう男だ。

 「人間族唯一の魔法使い」やら「人間族最強の男」などと見知らぬ大勢の他人に呼ばれているが、リヴェンにとってそのようなことは心の底からどうでもよかった。そんなことよりも最も重要なのが「もうすぐ己は父となる」、この事実のみ。最近は寝ても起きても、何をしていても、この事実と文字列がリヴェンの脳内を大きく占めている。
 この国の王に呼び出され、玉座の間の中央に立たされているたった今も、リヴェンの脳内は「あと何十日、否、十数日で私は父親。私は父親。私が父親か」と数え切れぬほどに繰り返していた。

 「あれがメイディーン卿……『人間族最強の魔法使い』か……何やら、恐ろしい形相をしているな」
 「ああ、見てみろ。あのインクを塗ったような目の下の隈。白い顔。漆黒の髪色と猛禽の如き眼差しも相まって、死神のよう……」
 「右腕は、魔王との戦いで失ったらしい」
 「しかし昨日はたった一人で、王都近郊に降り注いだ魔王の槍の雨を防ぎ切ったとか……」
 「おお、隻腕でそれほどまでの力を。それはまさに……『バケモノ』といえよう……」

 玉座の間には、大臣たちや王族諸侯も集まっている。その群衆から、リヴェンを「バケモノ」と呼ぶ声がよく聞こえた。
 そういえば「バケモノ」とも、他人からよく呼ばれるなとリヴェンはふと思う。同時に、己が「バケモノ」と呼ばれれば、妻のテオドラ(・・・・・・)が「俗物、愚物共が」と強烈な毒を毎回吐くことも思い出して、思いがけず微笑みの吐息を零す。
 妻を想うと、リヴェンはいつも胸がときめかずにはいられない。しかし、リヴェンの表情筋は生来微塵も動かないものなので、周りの群衆からは「ため息を吐かれた」と更に怯えられてしまった。

 「アップルトン卿、ご到着にございます!」

 不意に、そんな物々しい声と共に玉座の間の扉が開かれた。
 そこから、美しい均等の筋肉の上に派手な装束を身に纏った、この世の者とは思えぬほどに麗しい造形の長身男が堂々と歩いてくる。
 眩しくきらめく白銀の長髪が靡く度。
 人間のものとは大きく異なる長耳を彩る大量の耳飾りたちがしゃららと鳴り響く度。
 老若男女問わず、熱い吐息が相次いで漏れるのが聞こえてきた。
 だがそれと同じくらい、慄くような声も聞こえてくる。

 「アップルトン卿……今日も恐ろしいほどの美しさだ……あれで、隣国の大軍をたった一人で討ち破ったらしいな」
 「ああ、血の海だったとか」
 「返り血で真っ赤に染まっても、笑っていたそうよ。あの御方……なんと恐ろしい……」
 「『魔法が使えぬ役立たずのエルフ』といっても、やはり人間ではない。あの方もまさに……『バケモノ』に違いなかろう」

 「魔法が使えないエルフ」「役立たず」「しかしバケモノ」――リヴェンと同じような評価をされているこの男。
 彼の名は、カデル・アップルトン。元軍人。世にも珍しい魔法種エルフの生き残りで――リヴェンと同じく。もう一月以内には「父親」になる。そういう男。
 そして――隻腕となったリヴェンに強制的にあてがわれた、同僚のような男だった。
 カデルが本日も大変見目麗しき微笑みを湛えながら、リヴェンの隣を目指してゆったりと歩いてくる。それにリヴェンは僅かに眉を顰めながら、カデルにだけ聞こえる声量で小言を零した。

 「……王の招集に遅刻とは。呆れた馬鹿だ。何をやっていた、アップルトン」
 「うるさいなあ、メイディーン。ちょっと長くなっただけだよ」

 カデルも機嫌よさそうにリヴェンへと小声を返してくる。

 「僕の可愛いマジェルタとのキスがね」

 マジェルタは、カデルの妻(・・・・・)だ。妖艶に片目を瞑って見せたカデルにため息を吐き出し、リヴェンは視線を玉座の方へと戻す。

 「……さて、マジェルタさんにお前の数々の悪行のどれを告げ口するか」
 「ちょ……!? 反則はやめろ、メイディーン!」

 二人だけにしか聞こえない声量で言い合いながらも、二人が真隣に整列した瞬間。二人は一糸乱れぬ動きでその場に跪き、恭しく首を垂れた。

 「魔法使い、リヴェン・メイディーン」
 「魔術管理官、カデル・アップルトン」

 リヴェンの掠れた低い声と、カデルの艶やかな柔い声が、溶けるように重なる。

 「只今ここに、参上いたしました」

 二人は片手を胸に当て、更に深く首を垂れる。
 玉座に御座す王は、びくりと肩を跳ねさせた。この王はまだ若く、そのうえ人一倍臆病な王である。そんな王は、びくびくとリヴェンとカデルを「バケモノ」でも見るような目で玉座から見下ろす。その目には涙が溜まっていた。

 「リヴェン・メイディーンとカデル・アップルトン……バ、バケモノ……じゃなくて……王国最大戦力の双璧たる、汝らに、命ず……」

 若き王が、必死の形相で、今にも泣き出しそうな震える声で言い放つ。

 「この王都に迫る、永年の人類の敵『魔王』を――その命に代えても、討伐せよ!」

 それは、この国では如何なる者でも覆すことが不可能とされる――王命であった。

 (遂に来てしまった。この時が――よりにもよって、今か)

 その王命は、ずっとリヴェンとカデルが密かに予測していた「無謀」だった。しかも、最近になって魔王という大災害に近い「バケモノ」は急激に王都に迫る足を速めていた。魔王はもう、王領へと迫っているという早馬がきたのが、今朝のこと。
 王命が下された直後、瞬時にリヴェンの脳内を駆け巡ったのは妻セオドラの顔と、彼女の大きく膨らんだ腹だった。「父親になる」という言葉だった。きっと今の己は、間抜けな顔をしているに違いない。
 そう思いつつ、リヴェンはふと横に居るカデルを盗み見ると、彼も今までに見たことが無いほど呆けた顔を一瞬だけして、そして「やっぱり。そうくるよね」と小さく呟く。
 カデルの表情は、さらりと流れた彼の長い銀髪によって隠された。

 ◇◇◇

 「セオドラ。私が居ない間、くれぐれも無理はしないように。段差と戸締りにも気を付けろ」

 リヴェンが、黒髪短髪の凛々しい妊婦の女性──妻のセオドラの細い肩に、片手を置いて優しく叩く。セオドラは鋭い目を上げて、淡々と、されど力強くリヴェンへと頷いて見せた。

 「はい。わかっています。ありがとう、リヴェンさん」
 「……」
 「……どうしました? リヴェンさん」

 黙り込んだリヴェンをセオドラが覗き込んでくる。リヴェンは逡巡した後、吐息を零しながら力なく呟いた。

 「……すまない。セオドラ。こんな時にお前を一人にさせてしまう。お前を、不安にさせてしまう……私は何もできなかった。父親として、夫として、何も」

 リヴェンの呟きに、間髪を容れずセオドラがきっぱりと首を横に振って見せた。

 「謝らないでください、リヴェンさん。おれは一人ではありません。この子たちがいます。不安でもありませんよ。お腹にはこの子たちがいますし、マジェルタさんが相談にも乗ってくださいます。そして、勝手ながらですがあなたの『何もできなかった』という言葉は撤回させていただきます。あなたはこれまで、仕事が多忙な事にもかかわらず、いつもおれを助けてくださりました。心身ともに、支えてもらいました。ずっとおれを気遣ってくれて、お腹の子たちにもたくさん話しかけてくださいました。あなたはもうずっと前から、紛れもない――立派な父親(・・)です。そして、この世でたった一人の……おれの、かけがえのない夫です。だから」

 一気に捲し立てたセオドラが、一つ慎重に息を吐き出すと、リヴェンの片手を細く白い手で包み込み、強く握りしめた。

 「……」
 「絶対に、ご無事で」
 「……ああ」
 「安心してください。絶対にだいじょうぶ。おれはこの子たちを、守ります」
 「……わかった。ありがとう、セオドラ。やはりお前は、かっこいいな」
 「当然です。おれはリヴェンさんの女ですから」
 「そうだな」
 「……」
 「……」

 
 「それでは、セオドラ――」

 ◇◇◇

 「行きたくない、行きたくない、行きたくない。僕、行かないから。僕は魔王なんぞより、マジェルタの傍に居たい。居る」

 カデルはソファーに寝転んで、背凭れに顔を埋めると拗ねたような声をこれでもかとぶつぶつ零す。そんな夫を目にして呆れたように息を吐いたのは、光波打つ赤毛の長い髪が特徴的な可憐な妊婦の女性──カデルの妻、マジェルタ。
 マジェルタがカデルのそばに座ろうとすると、カデルは自然とソファーを譲る。それに眉を下げて笑みを零しながらも、マジェルタが諭すようにカデルへと声を掛けてきた。

 「ちょっと、今更わがまま言わないの。カデル。ほらくっつかないで。離れて」
 「嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。絶対に嫌だ。行きたくない」

 カデルはマジェルタの細い肩に顔を埋める。マジェルタが、己の頬に流れてきたカデルの艶かな髪を梳きながらくすりと小さく笑った。

 「行きたくなくていい。それでもあんたは、魔術管理官――リヴェンさんの相棒。あの人を一人にしておけない。そうでしょ? あんたは絶対に行く。あたしの言うことは正しくなるわよ」
 「……違うよ。僕は……君を、一人にしたくないんだ」
 「あら。何言ってるのよ。あたしは一人なんかじゃない。あたしにはあんたの子が居る。この子が居れば、百人力よ。何があっても大丈夫。カデル、あんたよりもこの子が居る方が頼もしく思うわ」
 「はあ!? もう何言ってんだよ、君は……それでも、僕は……」
 「大丈夫」
 「……」

 マジェルタがあやすそうに、カデルの頭を髪と共に撫でて透く。

 「大丈夫よ、カデル。だからお願い。約束よ(・・・)。リヴェンさんを死なせないでね。あの人を、セオドラさんのとこに帰すの。あんたがリヴェンさんの失われた右腕に成るの。あたしたち、リヴェンさんとセオドラさんには、本当にお世話になってるから」
 「……僕は死んでもいいのかい?」

 カデルの拗ねたような声。それにマジェルタが噴き出すように笑った。

 「馬鹿ね。あんたが死ぬわけないでしょう。あたしの夫よ? あたしはすぐに死んじゃうようなやわな男、好きにならないから」
 「……そう」
 「そうよ。だから拗ねないで。ほら、もう行かなきゃ」
 「……ねえ」
 「なに?」
 「他の男の話。しないで」
 「ふっ……はいはい。ごめんなさい」
 「それとキスして」
 「うん」
 「……」
 「……」


 「それじゃあ、マジェルタ――」

 ◇◇◇

 『行ってくる』

 ◇◇◇

 明朝。リヴェンとカデルの二人は、魔王討伐に向けて出立した。
 二人は王都を出立してずっと、無言のまま馬を進めている。そんな時にふと、リヴェンは独り言ちるように低い声を漏らした。

 「『魔王』の定義を知っているか。アップルトン」

 リヴェンの問いに、カデルは柳眉を顰めて「はあ?」と不機嫌そうに返してくる。それにも構わず、リヴェンは語り続けた。

 「太古の昔。この世界のあらゆる魔法と魔術――『魔の力』の真理を追究し、その(ことわり)を定めた大賢者のことを讃えて、その者は『魔王』と呼ばれたと云う。また、『魔王』には無二の友がいた。しかし二人は互いの正義が食い違ってしまうほどの仲違いをし、苦悩の(のち)、殺し合った。その末に勝者となった友を魔王は『勇者』と讃えた……これがこの世界の創世神話にある救世主たち、『勇者』と『魔王』。私の一族は、『魔王』の末裔にあたるゆえ、このような伝承が脈々と受け継がれてきた。これをどう思う。アップルトン」
 「はあ? どう思うって……別に僕はどうとも思わないけど。むしろあんたは何を思ってんだよ」
 「私は『魔王』を、この世界の(ことわり)を築いた偉大なる父祖と考えている。我々では到底かなわぬ傑物。ゆえに、今から我々が殺しに行くあの巨大な害虫(・・・・・)が、『魔王』と呼ばれていることが(はなは)だ気に喰わないと思っている。そして、もうすぐ子が生まれる我々が害虫への捨て駒(・・・)として消費されようとしていることが、何よりも気に喰わない。本当に、気に喰わん」

 カデルが涼やかな灰青の目を大きく瞠って、ようやくリヴェンに視線を向けた。リヴェンは真っ直ぐに前を向いたまま、ぼそりと低い声を落とした。

 「私は……今から対峙する敵を、『魔王』という無敵の偉大なるものではなく。ただの害虫とでも思いたいのやもしれない。敵が害虫であれば、私でも生き残ることができないかとな」

 カデルが、心底驚愕しているような顔でリヴェンを凝視してくる。

 「あんたでも、弱音とか吐くんだ」
 「ああ。弱音だ。くだらんだろう」
 「いや、くだらないっていうか……凄く意外。びっくりした。これは(さかな)になるね。帰ったら、マジェルタにも教えてあげよっと」
 「そうしてくれ」

 揶揄(からか)うように笑みを浮かべたカデルに、リヴェンは目を伏せながら淡々と頷く。
 そんなリヴェンの反応が気に喰わなかったのか、カデルが半眼になって「……そこは、茶化すなって言うところじゃないのかい? いつものあんたなら。なんか今日のあんた、変だよ。いつも以上に何考えてるのか、わからない。キモい」とぶつくさ零す。
 リヴェンは伏せていた目蓋を少しだけ持ち上げて、視線を下に縫い付けたまま、いつも以上に無機質に聞こえる声を連ねた。

 「アップルトン。お前はエルフ。人間族の中でも脆弱な肉体の私より、強い。お前はこの戦いで必ず生き残る。否――何があろうとも、この私がお前を死なせはせん」

 リヴェンの硬い声に、カデルが一瞬呆けたような顔をしたが、すぐに如何にも不快そうな顔をして「……は? また気持ちの悪いことを……」とリヴェンの声を遮ろうとしてくる。
 それでもリヴェンは、強い口調でカデルの声の上から更に、己の低い声を被せた。手綱を握る手が、何故だか震える。

 「もうすぐ生まれてくる私の子は――双子だ。それに比べて、私は魔王との戦いで右腕を失い、家族全員をまとめて抱きしめることすらできなくなった。私は弱くなった。私はあの子たちが生まれる前に、死ぬ。何もかもにおいて私は、父親失格だ。ゆえに――アップルトン。私が決してお前を死なせはしない。五体満足で、お前をマジェルタさんのもとへ帰す。その代わり……私の家族を、頼む。後生の……」
 「だっから――ふざけるなよ!」

 不意に、リヴェンの馬へとカデルの馬が追突してきて、併せてリヴェンはカデルの逞しい腕に胸倉を引っ掴まれる。
 リヴェンは思いがけず目を大きく見開けば、目の前には、激しい怒りの表情にも、今にも泣き出しそうな表情にも見える――そんな相反するような様々な激情で濡れそぼったカデルの、美しくも歪んだ顔があった。

 「僕はな、約束してるんだよ! マジェルタと! メイディーン、あんたを絶対に死なせないって――セオドラのところに帰すって、約束したんだ! この戦いで僕は当然勝って生き残るし、更にマジェルタを僕に惚れ直させるって、決めてるんだ! なのに一人で勝手に死のうとしないでくれるかい? 最低最悪に迷惑だ!」

 カデルの言う「戦う理由」とやらに、リヴェンは「妻を惚れ直させる為……何て私欲に塗れた奴だ。知っていたが」と思いつつも、もう一つのカデルの言う「約束」に、リヴェンはどうしようもなく、途轍もなく叫び出したくなるような苦しさと――喜びを、覚えてしまった。
 「死なれるのが迷惑だ」という怒りをぶつけられたことが、何故だか嬉しくて堪らなかった。
 しかもきっと、カデルも不安なのだ。リヴェンと同じように。あの柔くて艶のある男の声が震えまくっているし、掠れている。それが何だか、自分の写し鏡のようで、面白い。リヴェンは口の端から「ふ」と、自然に笑い声が漏れてしまった。
 今にも首をへし折られそうなほどのカデルの剣幕を前にして、笑いが込み上げてくるのを耐えているリヴェンにも構わずといった様子で。カデルがリヴェンの胸倉を揺さぶりながら、怒鳴った。

 「それに――生きて自分の家族のもとに帰ろうって気概すら見せることができない男。そういう男が、一番の『父親失格』だと思うけど!? 僕は!」
 「……!」

 その瞬間。
 リヴェンは、己の中で、何か糸のような――否。糸にしては頑丈で歪な、己を雁字搦めにして離さなかった、不安だったり恐怖だったり、理不尽への諦念だったり、憤怒だったり、そう言ったたくさんのものが、ぶちりと全て、ばらばらに千切れた音がした気がした。

 ああ、そうだ。カデル・アップルトンの言う通りだ。
 今のリヴェン・メイディーンは紛れもなく、「父親失格」だった。

 リヴェンとカデル――この二人の「父親」が、今「父親」として家族のためにできる最大限のことは、「生きて家族のもとへ帰ること」。これだけだ。リヴェンは心の深奥から、納得した。

 そしてカデル・アップルトンは、絶対に彼の妻マジェルタとの約束を破らない男。
 それだけは、痛いほどに知っている。
 そんな男が、自分を「生きてセオドラのもとに帰す約束を妻とした」と宣ったのだ。
 このエルフの男は、強い。それを一番、リヴェンが知っている。
 カデル・アップルトンがそう宣うのなら、己はきっと、彼によって生かされるに違いない。

 ならば、自分がすべきことは何か。そんなのもう、決まっている。そうだろう? セオドラ――。

 「……私は妻、セオドラに誓おう。カデル・アップルトンを、マジェルタ・アップルトンのもとへ必ず生きて帰すと……」

 リヴェンが、今までになく低い声で囁くように、宣誓する。それが微かに耳に入ったのか、カデルが柳眉を上げて、「なに」と訊き返しながらゆるゆるとリヴェンの胸倉を離す。
 リヴェンは己の乱れた胸元を整えて、怪訝そうな顔をしているカデルを一瞥した。

 「アップルトン。お前は非常に面倒な男だと思っていたが、認識を改める」

 相変わらずの無表情のまま、「ふ」とリヴェンは笑い声を小さく零して馬を前に進めた。

 「お前は非常に面倒で、面白い『父親』だ。まさかお前のような軽薄な男に『父親』を説かれる日が来るとは思わなんだ。不本意ながら、礼を言う。今回の戦いでは、全身全霊で私を守れ。アップルトン。私もお前を守ってやる。さすれば、(おの)ずと敵の害虫(・・・・)も殺せるだろう」

 それを聞いたカデルは、口を半開きにした間抜けな顔でしばらく茫然としていた。それにも構わず、リヴェンは馬を前へと進めてゆく。すぐに我に返ったカデルが盛大なため息を吐きながら、馬を走らせてリヴェンの隣へと追いついてきた。

 「面倒なのはあんたの方だろ……ほんとに手がかかるね。ダーリン」
 「気色の悪い呼び方をするな。虫唾が走る」
 「やっぱり? 僕も吐き気を覚えるほど虫唾が走った。やばいね」

 ◇◇◇

 リヴェン・メイディーン。
 カデル・アップルトン。
 二人の「人類最強」は、「人類の天敵」たる魔王を前に、現在――死地に在った。
 巨大な蟲の形態をした魔王が、咆哮を上げている。それに向かってカデルが、身の丈ほどもある戦斧を、目にも留まらぬ疾さで何度も何度も、振り下ろしている。
 リヴェンは左腕だけで杖を指揮者の如く振るい、無数の魔法を魔王へ撃ち込む。それでも魔王は、(たお)れない。

 二人は揃って真っ赤に血濡れ、ぼろぼろだった。いつ死んでもおかしくない状態だ。
 喉は干からびて張り付き、全ての爪が割れて剥がれ、食いしばり過ぎた奥歯は折れている。全身の筋肉が千切れて悲鳴を上げ、骨は軋み、罅が入っている。
 それでも二人は、血と泥を戦化粧の如く纏い、止まることはなかった。
 ふと、魔王に吹き飛ばされて、窪み穴が開くほどに大地へと叩き付けられたカデルが、血を吐きながら独り言ちる。

 「……これが魔王ね。はあ……この僕が、敗けるか」
 「馬鹿を言え。今の言葉、私が撤回するぞ」

 弱音を吐いたカデルの隣に、リヴェンが立つ。

 「いいか、アップルトン。目の前にいるあれは、『魔王』などという畏れ多くも偉大なものではない。ただの害虫の『バケモノ』だ」

 リヴェンの言葉に、カデルが嫌そうな顔をする。

 「『バケモノ』ね……僕たちがよくそう呼ばれてるやつだ。つまりあれ、僕たちと同じものってこと?」
 「いいや」

 リヴェンは即座に首を横に振った。

 「私たちは、あれよりも遥かに強いバケモノ――『父親』だ。ゆえに私たちは勝つ。死にもせん」

 リヴェンが杖を振るうと、大地が隆起して、倒れたカデルを立ち上がらせた。カデルが目を瞠って、リヴェンを見つめてくる。その視線に応えるように、リヴェンは笑いを含んだ声で、朗々と言い放った。

 「父親なるものがどのような生き物であるか、定義しよう」

 リヴェンは、杖を天へと高く高く掲げた。
 すると、太陽とも見紛う炎の魔法、海とも見紛ううねる水の魔法、嵐を呼び覚ます風の魔法、剣の山脈が創造されし大地の魔法、幻獣のような雷の魔法を繰り出して、それらが魔王に降り注ぐ。
 併せて、リヴェンは父親を定義する。
 太陽が昇り、朝が来るように。
 夜には星々が瞬くように。
 山脈から海へ、川が流れてゆくように。
 この世の(ことわり)を、定めるように。

 「父親とは、何よりも家族を影から支え、愛し、慈しみ、尊ぶもの。そして命懸けで家族を守り――何があっても、生きて家族のもとへ帰るもの」

 魔王の肉体が、傾いていく。リヴェンは「とどめを刺せ」と言わんばかりに杖を魔王に向かって振り下ろして、促すようにカデルを一瞥する。
 そんな誘い文句のような色香漂う流し目に、カデルが美しいかんばせを心底楽しそうに綻ばせて、笑い声を上げた。

 「ふはは。じゃあ、喜んで妻の尻に敷かれるものも追加ね」
 「ああ、そうだ」

 カデルが天高く飛び、魔王――否。「害虫のバケモノ」の脳天へと戦斧を振り下ろす。それと同時に、リヴェンはバケモノの首を断ち斬るように、杖を横一線に振るった。
 (いかずち)が束となった黄金の閃光が、世界を真っ二つに切断するが如く、走る。

 「それが我々、父親だ」

 バケモノが、(たお)れた。

 リヴェン・メイディーン。
 カデル・アップルトン。
 二人のバケモノ――『父親』たちは、自分たちの家族をひたすらに想って。薄っすらと微笑みを浮かべていた。

 ◇◇◇

 「アップルトン。今日も遅刻だぞ。何をしていた」
 「ああ。今日も長くなっただけ――マジェルタとのキスがね」
 「そうか。じゃあ今度マジェルタさんに会った時。お前が宰相殿の女官にうつつを抜かしていたことを報告する」
 「違う違う違う。待って待って待って。あれは違う。宰相殿への言伝を頼んでただけだって! ほんとあんた、冤罪擦り付けるの上手いね!?」
 「鼻の下を伸ばしていたくせに、どうだか」
 「……そんなことより! ねえ、メイディーン。うちの息子(こいぬ)にさ、魔術教えてやってくれないかい? 興味あるみたいでさ」
 「お前は話をすり替えるのが上手いな。そして断る」
 「え。何で? あんた子どもに教えるのとか、そういうの好きでしょ?」
 「……お前の息子。私の娘に気があるようだな」
 「どっ……こでそれを……じゃなくて、いやそんなまさか!」
 「うちの息子が言っていた。やはり双子だと、何やらわかるらしい。ゆえに断る」
 「ええ~。いいだろ、別に」
 「断る」
 「恋も子どもたちの可愛い戯れじゃあないか。だから、ね?」
 「断る」
 「あと面白いし。あんたが慌ててるのを見るの」
 「……面白がるな。そしてお前の息子はお前によく似ている。ゆえに油断できん」
 「へえ? つまりは僕が大変に魅力的ってわけかい? ダーリン」
 「……吐き気を催す発言をやめろ。気色が悪い」
 「うん。僕も死ぬほど虫唾が走った」
 「前にもこんなくだらん話をした気がする」
 「そうだっけ? まあ、僕らも長い付き合いだしね」
 「そうだな――父親にもなって、未だにこんなくだらん話を共にするのは、お前とだけだ」
 「同じくだよ」

 ◇◇◇

 この大陸には、幾つもの「魔王と勇者の伝説」が伝承されている。
 その中でも、最も新しい「魔王と勇者の伝説」には、こう記されている。
 ――魔王と勇者は、無二の友であった。そして二人は、こんな奇妙な言葉を子々孫々に語り継ぐ。

 『父親なるものがどのような生き物であるか、定義しよう』
 『父親とは、何よりも家族を影から支え、愛し、慈しみ、尊ぶもの。そして命懸けで家族を守り――何があっても、生きて家族のもとへ帰るもの。または、喜んで妻の尻に敷かれるものだ』

 〈『魔王と勇者』変遷記・第十三章〉魔王メイディーンと勇者アップルトンの伝説、第一節より。
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