死に戻り夫人の恩返し〜拝啓旦那様、あなたと結婚できて幸せでした〜

第22話 選択

 アルゲルが戻ってきたのは、ももちゃんが去ってからしばらく経ってからのこと。

 小屋から移動するための準備に手間取っているらしい。
 苛立たし気に大股でドカドカとメラニアの前までやってくる。そして手乗りサイズの巾着を見せつけた。

「やる」
 アルゲルの私物とは思えない、可愛らしい花柄。フラフラと目の前でちらつかせて、一体どういう意味だろうか。

 メラニアが眉間に皺を寄せると、わざとらしい舌打ちをする。

「俺様がやるっつてんだから早く受け取れ」
「両手を括られているんだから受け取れませんよ」
「ああ? あー、そういえば逃げ出すと面倒だから縛っとけって言ったんだったか」

 スウッと息を吸い込みながら、頭を掻く。
 爪を立て、強くガリガリと。徐々に掻く位置が首元まで降りてくると、彼の白い肌に赤い線がいくつも走る。

「そんなに強く掻いたら血が出るわ」

 頭が正常に動いていたら誘拐犯のことなんて気にかけないはずなのに。
 顔を歪めるアルゲルは幼子のようで、あまりにも痛々しい姿に思わず声が出ていた。

「お前ごときが俺様の心配してんじゃねぇよ!」

 アルゲルはメラニアを怒鳴りつける。けれどそれ以上、頭を掻くことを止めた。

 代わりに巾着の中から小さな球を取り出す。小指の爪ほどもないそれを摘んだ状態で、メラニアに手を伸ばす。

 そして頭を抱え込むような体勢で、思い切り口をこじ開けた。そのまま奥に謎の球体を突っ込むと、今度は顎を下から押さえ込まれる。

 まるで嫌がる動物に薬を飲ませるかのよう。

 メラニアは謎の球体を飲み込まないよう、必死で抵抗する。すると今度は鼻を摘まれてしまった。首を左右に振っていたが、徐々に息が苦しくなる。

「このくらいでいいか」
 動きが鈍くなったタイミングでアルゲルは手を離す。すると足りなくなった酸素欲しさに飲み込んでしまった。

「ゲッホゲホ」
 メラニアは涙で濡れる目でアルゲルをキッと睨む。
 だがまるで効いていない。

「水も飲ませろって言ってたな」
 持っていた水筒の口を開け、メラニアの咳が落ち着くのを待つ。そして今度は口に水を流し込む。

「吐くなよ」
 大体コップいっぱい分。むせないように様子を見て少しずつ飲まされた。ここだけ見ると看病に思えなくもない。もっとも、彼は過去に一度もメラニアの見舞いに来たことなどないのだが。

「よし、行くか」
 アルゲルはそう呟き、メラニアを抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。その状態で小屋の外に出る。

 学園にいた頃は明るかった空は随分と暗くなっていた。分厚い曇のせいで月明かりさえも見えない。

 シリスに襲われてから一体どれだけの時間が経っているのだろうか。
 メラニアの表情は曇る。

「逃げ出したところで魔物に食われるだけだぞ」
 アルゲルはメラニアが逃げ出す算段を立てているのだと勘違いしたようだ。ハッと馬鹿にしたように鼻で笑って、木箱の中に下ろした。

 大きな楽器を入れるための、少し丈夫な箱だ。鍵も付いている。中にはマットレスと毛布が詰められており、人の形に窪んでいた。

 元々人間を輸送するために作られた箱なのだろう。メラニアもこれで運ばれていたのだと、容易に想像ができた。

 箱には空気を確保するための小さな穴がいくつも空いている。メラニアを入れた後で、アルゲルはポンポンとドライフルーツと水筒を入れる。そしてコクリと頷いてから蓋をした。遅れてガチャリと鍵が閉まる音がする。

「これも積み込め。くれぐれも慎重にな」
 他の者に指示を出すと、アルゲルは遠ざかっていた。

 メラニアは馬車に積み込まれた後、穴から漏れてくる光の近くを手でなぞる。空気孔以外にどこか隙間がないか探してみたが、そんなものは見つからなかった。それどころか次々に積み込まれていく荷物で、わずかな光源さえも失っていく。

 助けを待つしかなさそうだ。
 無力な自分に向けてため息を吐く。同時にあくびと眠気もやってくる。

「そっか、さっきのは」
 睡眠薬――その文字が脳裏によぎると共に、再びメラニアは意識を手放したのだった。




「うわあああああああああ」
「っ!」

 メラニアは地面に叩きつけられたような衝撃で強制的に目が覚めた。男の野太い悲鳴が箱の外から聞こえてくる。

 馬車が魔物に襲われたようだ。
 ベルワリクッス山道のすぐ横の森には強い魔物が生息している。シリスの血を嗅ぎつけて、森から魔物が出てきてしまったのかもしれない。

 安全なもう一つの山道ではなく、こちらを選んだということは、アルゲルとて魔物と遭遇する想定はしていたはずだ。それでも馬車を横転させるほどの魔物が出てくるとは思わなかったのだろう。

 荷物と一緒に積まれていたメラニアも、マットレスと毛布がなければ打撲どころでは済まなかったはず。自力では出られないと諦めていた鍵付きの木箱に若干の隙間ができた。周りの荷物のいくつかは外に投げ出されたのか、少しだけ光が漏れている。

 このまま魔物が去るのを待つか、箱から抜け出すべきか。

 メラニアは思案する。
 現状、どのような魔物に遭遇したかは不明。

 男達の悲鳴と怒号は聞こえるが、金属音は聞こえない。弾かれるような音もないため、固い鱗を持つ魔物は除外できる。

 また鳴き声も聞こえないことから、ウルフやゴブリン、コボルトのような群れで狩りをする魔物でもない。

 メラニアはその後も強力な魔物を想定しては、現在の状況と合致しないと判断を下していく。けれどなかなか条件と合致した魔物が思い浮かばない。

 一応、山賊に襲われた馬がパニックになって馬車を横転させたケースも考えた。だが度々上がる悲鳴と結びつかない。

「何と戦っているんだろう」
 外に何がいるのか分からなければ、メラニアもどう行動すべきかの判断がつかない。

「出たら危ないけど、このまま残っても馬車ごと潰されるかもしれない」
 迷った末、メラニアは箱から脱出することを決心した。痛む身体を我慢して、隙間付近の板を押す。

「もう……少しっ!」
 体重をかけるように押せば、バキッと大きな音を立てた。同時に外の光景も目に入ってくる。

「なんで……」
 馬車の外では大量のトロルが暴れていた。
 トロルは魔物でありながら、非常に温和な性格として知られている。争いを好まず、迷って縄張りに入り込んでしまった子供を森の外まで送っていったという文献がいくつか残っている。

 一方で非常に群れ意識が強いことでも知られている。
 子供を傷つけたり縄張りを侵したりすれば、群れを上げて報復に訪れる。以前、レポートを書くために手にした本にも目の前の光景と似た挿絵が添えられていた。

 もしやシリスが流した血を同胞の血と勘違いし、興奮状態に陥っているのだろうか。だとすれば、トロルはシリスを傷つけた者への制裁を終えるまで暴れ続けることだろう。

 打つ手も、逃げ場もない。
 メラニアの目の前は真っ暗になった。
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