官能小説家『海堂院蝶子』は俺のクラスの委員長である
最終話
「保護者会、揉めに揉めてたみたいねえ」
翌日の昼、お袋が言った。
「まあ、そうだろうなあ」
疲れ切った蓼科は昨日から寝込んでいるという設定である。
俺は結局、予備の毛布一式を廊下に持ち出して寝たのだが、そんなに眠れるわけもなかった。湧き出てくる生あくびを何度も噛み殺しながらお袋に聞く。
「で、その後はなんかあったのか?」
「学生は皆怒ってたみたいよ。卒業生も、在校生も。理不尽だ、委員長ちゃんは何も悪いことしてないって」
「そりゃそうだ」
十八歳になった途端に官能小説家として華々しくデビューした高校三年生である。存在そのものがギリギリだが、後ろめたいことなど何もない。クラスの皆はどうしているだろうか。蓼科を追いかけ真っ先に体育館を飛び出したことを今になって思い出す。勘の良いやつなら気付いているだろうな、と思ってスマホを見ると、案の定、自分のこともまたクラス内では話題になっていたらしい。友人達から
『蓼科おっかけて帰ってこないから噂になってるぞ』
『お前、委員長と友達だったのか』
『彼氏なんじゃないかって女子達が騒いでた』
などというメッセージが山のように届いていた。ふたりきりの秘密もこれまでか、と思わず天井を仰ぐ。
「委員長ちゃん、きちんと休めてる?」
「………うん。朝ごはん、持ってこうと思うんだけど」
「用意してあるよ。学校はともかく、一回おうちに返さなきゃね。コンビニで泊ってくって電話したら、委員長ちゃんの親御さん達驚いてたけど」
「そうだろうなあ……」
「11時には車出すからね」
「伝えとく」
こうして蓼科は家に帰った。家の玄関前には報道陣があふれかえっていたが、まさかコンビニのロゴが入った古びた営業車の中に作家本人が潜んでいるとは誰も気づかないだろう。大きな屋敷の裏口に車が静かに止まる。
「蓼科」
「……」
「大丈夫だ。大丈夫だから。俺、学校の様子見てくるから、後で連絡する」
「うん。……本当に、ありがとう」
こちらこそ、というのは不自然だ、と口をつぐんで、彼女をそっと家へ送り出す。そしてお袋の運転する営業車に乗ったまま学校へ向かい、何とか担任を捕まえて、卒業の可否を聞く。
「教頭が折れたよ。蓼科君の家に謝罪に行くってさ」
「まじかやったぜ」
「うちのクラスの皆もめちゃくちゃ怒ってた。保護者の皆だって。それに、ここだけの話………」
担任が笑っていった。
「………先生も読者なんだよ」
そして、
「君、蓼科君と仲が良いらしいから、伝えておいて。学校にはいつでもこれるよって。明日は、皆待ってるからって」
担任にまで『仲が良い』と認識されているとは思わなかったが、そこは平静を取り繕って返事を返す。
「わかった」
担任は何を読んだのだろう。最新刊だといいな、などと思いながら。
翌日、おそるおそる学校へやってきた蓼科を待ち受けていたのは、
『本屋文藝賞おめでとう!』
即席で皆が協力し合いながら黒板にチョークで描き上げたらしいでかでかとした文字と、教壇の上からはみ出さんばかりの花束の数々だった。
「委員長ありがとう! 本、買いに行った!!」
「っていうか私、読者だったのに! サインください!!」
「本もどれも売り切れ寸前だったよ!! 本屋の店長さん、うちの学校の生徒だって初めて知ってめっちゃ喜んでた! もっといっぱい並べるって!!」
「俺、コミック以外の電子書籍はじめて買ったんだぜ!!」
クラスの皆からの暖かいお祝いの言葉の嵐だった。蓼科の泣きはらした腫れぼったい目から、今度は嬉し涙がぼろぼろと落ちる。
担任が卒業証書を渡し、お祝いの言葉を述べる。泣きながら、それでもきちんと背中を伸ばして受け取る姿を見て、やっぱり俺は蓼科が好きだな、と実感した。
それから数年後
うちのコンビニの雑誌コーナーの隣には彼女の本のコーナーがある。官能小説家から文芸作家へ転身し、相変わらずベストセラーの常連を飾っている。すっかり天上の人になってしまった。
あの一夜は夢だったんじゃないか、と思うことさえある。
だが、そんなコンビニの店長になった自分のところに、相変わらず蓼科は閉店時間間際にコピーを取りにやってくる。コピー機は俺が店長になってから真っ先に、最新鋭のものに買い換えておいたものだ。そんな彼女に、栄養ドリンクや夜食の入った袋をそっと差し入れしてやる。
「第一号アシスタントだからな」
「ありがと。次は11月に新刊でるよ」
「予約しとく。っていうか、お前コピー機買わないのか」
「買ったらここにこれないじゃないの。だって、わざわざ新しいの導入してくれたんでしょ?」
「………」
「………」
思わず二人で黙り込む。
「………もう少し店の売り上げが上がったら、言いたいことがあるんだけどさ」
「私も、もう少し印税が入ったら、言いたいことがあるの」
「なんとなくわかった」
「私も」
「付き合いが長いもんなあ」
「………ずっと、になるかもしれないじゃない」
「そうだな。それを言おうって思ってたんだ。やっぱり、作家先生には敵わないなあ………」
元・委員長が、否、蓼科が、そして、数秒後には「蓼科」という苗字じゃなくなった『海堂院蝶子先生』が、微笑む。
そして、新しくなったコンビニのコピー機でも写すことのできない、柔らかい薔薇の香水の香りが僅かに店内に漂った。
翌日の昼、お袋が言った。
「まあ、そうだろうなあ」
疲れ切った蓼科は昨日から寝込んでいるという設定である。
俺は結局、予備の毛布一式を廊下に持ち出して寝たのだが、そんなに眠れるわけもなかった。湧き出てくる生あくびを何度も噛み殺しながらお袋に聞く。
「で、その後はなんかあったのか?」
「学生は皆怒ってたみたいよ。卒業生も、在校生も。理不尽だ、委員長ちゃんは何も悪いことしてないって」
「そりゃそうだ」
十八歳になった途端に官能小説家として華々しくデビューした高校三年生である。存在そのものがギリギリだが、後ろめたいことなど何もない。クラスの皆はどうしているだろうか。蓼科を追いかけ真っ先に体育館を飛び出したことを今になって思い出す。勘の良いやつなら気付いているだろうな、と思ってスマホを見ると、案の定、自分のこともまたクラス内では話題になっていたらしい。友人達から
『蓼科おっかけて帰ってこないから噂になってるぞ』
『お前、委員長と友達だったのか』
『彼氏なんじゃないかって女子達が騒いでた』
などというメッセージが山のように届いていた。ふたりきりの秘密もこれまでか、と思わず天井を仰ぐ。
「委員長ちゃん、きちんと休めてる?」
「………うん。朝ごはん、持ってこうと思うんだけど」
「用意してあるよ。学校はともかく、一回おうちに返さなきゃね。コンビニで泊ってくって電話したら、委員長ちゃんの親御さん達驚いてたけど」
「そうだろうなあ……」
「11時には車出すからね」
「伝えとく」
こうして蓼科は家に帰った。家の玄関前には報道陣があふれかえっていたが、まさかコンビニのロゴが入った古びた営業車の中に作家本人が潜んでいるとは誰も気づかないだろう。大きな屋敷の裏口に車が静かに止まる。
「蓼科」
「……」
「大丈夫だ。大丈夫だから。俺、学校の様子見てくるから、後で連絡する」
「うん。……本当に、ありがとう」
こちらこそ、というのは不自然だ、と口をつぐんで、彼女をそっと家へ送り出す。そしてお袋の運転する営業車に乗ったまま学校へ向かい、何とか担任を捕まえて、卒業の可否を聞く。
「教頭が折れたよ。蓼科君の家に謝罪に行くってさ」
「まじかやったぜ」
「うちのクラスの皆もめちゃくちゃ怒ってた。保護者の皆だって。それに、ここだけの話………」
担任が笑っていった。
「………先生も読者なんだよ」
そして、
「君、蓼科君と仲が良いらしいから、伝えておいて。学校にはいつでもこれるよって。明日は、皆待ってるからって」
担任にまで『仲が良い』と認識されているとは思わなかったが、そこは平静を取り繕って返事を返す。
「わかった」
担任は何を読んだのだろう。最新刊だといいな、などと思いながら。
翌日、おそるおそる学校へやってきた蓼科を待ち受けていたのは、
『本屋文藝賞おめでとう!』
即席で皆が協力し合いながら黒板にチョークで描き上げたらしいでかでかとした文字と、教壇の上からはみ出さんばかりの花束の数々だった。
「委員長ありがとう! 本、買いに行った!!」
「っていうか私、読者だったのに! サインください!!」
「本もどれも売り切れ寸前だったよ!! 本屋の店長さん、うちの学校の生徒だって初めて知ってめっちゃ喜んでた! もっといっぱい並べるって!!」
「俺、コミック以外の電子書籍はじめて買ったんだぜ!!」
クラスの皆からの暖かいお祝いの言葉の嵐だった。蓼科の泣きはらした腫れぼったい目から、今度は嬉し涙がぼろぼろと落ちる。
担任が卒業証書を渡し、お祝いの言葉を述べる。泣きながら、それでもきちんと背中を伸ばして受け取る姿を見て、やっぱり俺は蓼科が好きだな、と実感した。
それから数年後
うちのコンビニの雑誌コーナーの隣には彼女の本のコーナーがある。官能小説家から文芸作家へ転身し、相変わらずベストセラーの常連を飾っている。すっかり天上の人になってしまった。
あの一夜は夢だったんじゃないか、と思うことさえある。
だが、そんなコンビニの店長になった自分のところに、相変わらず蓼科は閉店時間間際にコピーを取りにやってくる。コピー機は俺が店長になってから真っ先に、最新鋭のものに買い換えておいたものだ。そんな彼女に、栄養ドリンクや夜食の入った袋をそっと差し入れしてやる。
「第一号アシスタントだからな」
「ありがと。次は11月に新刊でるよ」
「予約しとく。っていうか、お前コピー機買わないのか」
「買ったらここにこれないじゃないの。だって、わざわざ新しいの導入してくれたんでしょ?」
「………」
「………」
思わず二人で黙り込む。
「………もう少し店の売り上げが上がったら、言いたいことがあるんだけどさ」
「私も、もう少し印税が入ったら、言いたいことがあるの」
「なんとなくわかった」
「私も」
「付き合いが長いもんなあ」
「………ずっと、になるかもしれないじゃない」
「そうだな。それを言おうって思ってたんだ。やっぱり、作家先生には敵わないなあ………」
元・委員長が、否、蓼科が、そして、数秒後には「蓼科」という苗字じゃなくなった『海堂院蝶子先生』が、微笑む。
そして、新しくなったコンビニのコピー機でも写すことのできない、柔らかい薔薇の香水の香りが僅かに店内に漂った。

