神様もびっくり! 偽装カップル生徒会のスーパーラブ・レボリューション
Ⅵ.月城冴は気づく。いびつなハートの重なりの意味を
1.冴はハルのために、ハルは冴のために歌う
思いついた曲をギターで試し弾きしていたら、音楽スタジオのドアがゆっくりと開き、小さな女子生徒が顔を覗かせた。目が合い、私は反射的に微笑んだ。しかし、その表情から察するに、かなり落ち込んでいる様子だ。さっき、ステージで見たときよりも。
彼女は大きなキーボードを運んできたはずだ。私は慌ててギターをスタンドに立て、ドアを大きく開けた。ステージ衣装のまま、ハルは一礼をしてキャスターに載った楽器を運び入れる。それを二人がかりで持ち上げ、ケースごと奥のテーブルに載せた。
「ほんとうにお疲れ様」
そう言って私は折り畳みの椅子を引っ張り出してきて、彼女を座らせた。淡いピンク色の天女のような装いが寂しさ、心細さを助長する。
あ、そうそうと思い出し、午後の紅茶のストレートを差し出した。
ありがとうございます、と礼を言って受け取ってくれたものの、彼女はそれを手に持ったまま放心状態で座っている。もう一度ペットボトルを受け取り、キャップを回し開けて彼女に返した。
ひと口だけ紅茶を口に含むと、彼女の両方の瞳からスーッと涙がこぼれた。
「大丈夫そう?……いや、大丈夫じゃないよな」
音楽スタジオに来るまで、彼女はなにかを見たのかもしれない。そういえばさっき、陽向がダンススタジオの前に立っていた。
なにを見たのか、好奇心がムクムクと湧きかけたが、それを押し殺す。
「アタシ、しっかりとフラれました……あ、冴先輩もそういうことになりますよね……ごめんなさい、アタシばかり傷ついたつもりになってしまって」
「私もフラれた……まあ、確かにそういうことになるな……それは頭ではわかっているつもりなんだが意外と冷静なんだ。それよりも、私と陽向の場合より、怜君とのつき合いがずっと長かった分、ハルの方がよっぽど辛い思いをしているだろう……気にしなくていいよ……じゃなかった。ほんとうにすまなかった」
「いや、先輩が謝ることは、なにもないです。こんなの、だれのせいでもないです」
「確かにそうだが、七夕のライブだと焚きつけて、ハルと怜君に無理やり歌わせた私の責任だ」
「……遅かれ早かれ、こうなるとは薄々感じていました。だから、早い方が良かったんだと思います。ずっとモヤモヤした気持ちでいるよりも」
「……そうか」
「あの、冴先輩、お願いがあるんですが」
「なんだ? なんでも言ってくれ」
「泣いてもいいですか?……アタシ、大泣きするために、ここに来たんです」
「そうか、じゃあ思う存分泣いてくれ」
きっと彼女はこうして欲しいのだろうなと想像し、私は椅子から立ち上がり両手を広げた。その途端彼女が私の中に飛び込んできた。
震えながら押し殺していた声が、だんだんと大きくなり、ハルは本当に大声を上げて泣いた。
私はただ、髪飾りがついたままの彼女の栗色の髪を撫で、小さな天女様の悲しみを受けとめることしかできなかった。
彼女の体はなにか、手足の間にある膜を広げ夜空を飛び回る小動物をイメージさせたが、その動物の名前が出てこなかった……いや。ハルは他の動物なんかに例えられない。普段は明るいのに、はかなげで淋しがり屋で……要は守ってあげたくなる、ハルという生き物に他ならない。だから、彼女がどこかに飛んでいかないようにずっと腕の中で抱えていてあげたいと思った。
次第に嗚咽のような泣き声は静まってきた。小刻みな痙攣のような泣きじゃくりは残っていたが、ハルの体からだいぶ力が抜けたようなので、ハンカチタオルを彼女に渡し、少し体を離した。
「なあハル、さっき思いつきで創った歌があるんだが、聴いてもらってもいいか?」
「?」
彼女は私が想像しかけた小動物のように首をかしげる。
「慰めにもなんにもならないと思うけどね、ハルのことを考えながら作ってみた」
彼女はそれに返事をせず、椅子に座り直した。
それを見て私はうなずき、スタンドに立ててあったアコースティックギターを手に取り、ギター椅子に腰かける。
コードのアルペジオだけの二小節のイントロをつま弾き、バラード調のメロディーを歌い始める。
アーティスト:月城冴
「二人だけの六角形の地図」
作詞・作曲:月城冴
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♪♪♪~(アコースティック・フォークバラード調)
【Aメロ】
雨上がりの部屋の片隅で
羽衣脱いだ ずぶ濡れの天女さま
涙のあとに咲いた 小さなつぼみを
温めたい 私の両手で
ゆっくりとでいいから 顔を上げて
ほら 雲の切れ目 星がのぞいてる
【Bメロ】
まるで パズルを解くように
私の地図に キミへの想いを浮かべたら
描けたんだ 六角形の ハートのチャート
驚いてるんだ 見えなかった
自分の思いに
ねえ ハル
キミの地図の世界に 私の居場所は あるのかな
~♪♪♪
コーダの最後のコードを鳴らし、弦を押さえてサウンドホールの響きを止める。
ハルは小さく口を開け、音のない小さな拍手を私に送ってくれた。
その表情から察するに、なにかが伝わった、感じてくれたんだと思う……そう信じたい。
「あ、あの……六角形の地図って、これのことですか?」
彼女はためらいがちに、そう私に聞いてきた。手にはスマホを持っている。
「そう、『愛スタイル・アプリ』のことだ。よくわかったな、私からネタバレしようと思っていたんだけど」
「やっぱりそうですか……それで、二人だけのスタイルって」
「……もちろん、ハルと……私だ」
会話に間が空く。
「いやだったかな?」
ハルの頬の色が、身にまとっている衣装とまったく同じピンク色になった。
「いえ、そうしたい……見つけたいです。冴先輩と」
とハルが答えて私を見つめ、つけ加えた。
「でも、やっぱり怖い……どんな結果が出てしまうのか」
「ひょっとしてこのアプリを使うのは初めてなのか?」
「い、いえ、一応学校公認のものでもあるし、家族……母さんや父さん、そして妹を相手に試してみたことはあるけど、他人は、ほとんど……」
「えっ、怜君とは?」
「あ、もちろん試しました……そして結果は予想通りだった」
「怜君も試したんだろうか……その、ハルに対して」
「彼もやってみたらしいです。でもその結果は知りません。えーっと、お互いに教え合ってません」
「……まあ、二人とも予想通りの結果だったんだろうな」
ハルからは想定していた質問がきた。
「先輩は、どうだったんですか? その陽向先輩と」
「……君と怜君の場合と同じようなものだ。お互いに結果は教え合ったけど、それ以来、このアプリの結果については二人の間で話題にしたことはない」
『愛スタイル・アプリ』とは、わが愛求学園が、その名の通り『愛を探し求めていく』という校訓を実現する手段の一つとして開発されたものだ。
愛とはなにか? それを『ルダス、プラグマ、ストルゲ、アガペー、エロス、マニア』の六つに分解して、自分の家族や友人との人間関係において、どのような愛を持って接するべきかを考え、実践していくうえで、『今、その愛のカタチがどうなっているか』を自己診断するための。
診断結果は六角形のチャート図に表示される。その形状を見て、「ああ、私の〇〇さんへの愛とは、こういうカタチをしているんだ」と知ることができる。ネットでよくある性格・心理テストの『愛のカタチ』版だとイメージしてもらっていい。一応『あなたの愛のスタイルは〇〇型です』というタイプ分けとその特徴に関する簡単なコメントも表示される。
このアプリは、校長先生の彼氏としてよく名前が出てくる、元生徒会長の榊原さんが考案したものだと聞いている。でも、開発されてからまだ三年しかたっていないので、学校としても今ひとつ活用しきれておらず、改善の余地があると私は考えている。
今のところ、『家族や学校の仲間との関係をなるべく多角的に考える手段として活用すること、そしてこの結果として表示されたチャートから、『相手とどう関わっていくかを考える参考材料とすること』が学校として推奨している使い方だ。全学年とも年度末に『愛求レポート』の提出が必須となっていて、いかに『人を愛する』ことにおいて成長できたかを記述し、それが内申書の一部にも反映される。
『愛スタイル・アプリ』の使用をためらうハルに、私はテーブルの上に置いてあった自分のスマホを取り上げ、その画面を見せた。
「冴先輩……これは?」
「ああそうだ、私が試してみたものだ……君への『愛のカタチ』をね」
「えっ、アタシ⁉……すごい……きれいな形」
診断結果の六角形のチャート図は、そのてっぺんから時計まわりに、マニア(偏執的な愛)、エロス(情熱的な愛)、ストルゲ(友愛的な愛)、アガペー(献身的な愛)、プラグマ(実利的な愛)、ルダス(遊びの愛)となっていて、それぞれのスコアによって、チャート図の形状、つまり『愛のカタチ』が変わってくる。
私の、ハルに対する愛のカタチはどうだったかというと……
マニアが二点、エロス、ストルゲ、プラグマ、ルダスがそれぞれ八点、アガペーが十点となり、チャート図の形は、ちょっと角ばったハート形に見えなくもない。ハルが「きれいな形」と声を発したのも、そう見えたからだろう。
ピンクの衣装を着た少女は、両手で口を押さえ、その画面を見入っている。
「これが、先輩の……あたしへの、愛のカタチ……そのまんまハート形」
「まあ、単なる偶然だろうが、私としてもこんな結果が出てうれしく思っている。勝手にこのカタチに『ヘキサゴン・ハート』と名づけてね」
「ヘキサゴン・ハート……」
ハルが繰り返す。
ヘキサゴンとは六角形のことだ。
「どうかな、ハルも試してみるかい?」
少しの間、彼女は黙り込んだ。
「先輩の結果を見て、よけいに恐くなった……でも……でも。やってみます」
意を決したようにうなずき、ハルは手にした自分のスマホ画面のアプリをつっついた。
「えーっとこれ、相手……冴先輩のことを思い浮かべながら、アンケートに答えるんですよね?」
「そうだ。全部で三十問。そんなに多くはないだろう? そのうち五問ずつが『六つの愛の要素』の得点につながっていて、それぞれ十点、合計六十満点のスコアとなっていて、診断結果として示される」
このスコアは、『IQ指数』をもじって生徒の間では『愛求指数』と呼ばれている。診断には五分くらいかかるので、こうやってハルの質問に答えるくらいしか私にできることはない。まさか一緒に画面を見ているわけにもいかないし。
ハルは、スマホ画面と私の顔を見比べては、首をかしげたり、ウンウンとうなずいたり、「えーっ!」などと声を出したりして、なんだか目の前でやられると、実験台になっているみたいで居心地が悪い。
「結果……出ました」
ちょっと沈み気味の声で、ハルが教えてくれた。思うような結果にならなかったのだろうか。
画面を見せてもらうと、チャート図は、ちょっと凸凹しているけどハート型に見えなくもない。
スコアは……
マニア(偏執):七点
エロス(情熱):十点
ストルゲ(友愛):六点
アガペー(献身):九点
プラグマ(実利):二点
ルダス(遊び):九点
「エロスが十点、ルダスが九点……ずいぶんと情熱的で快楽的だな。一方プラグマが二点か。私のことを『役立たず』と思っているのだろうか?』
「い、いや、そういうことじゃないと思います! 損得では考えてないというか……」
「ハハハ、冗談だ」
彼女はやはり結果に不満そうだ。
「なんか、エロスとか遊びとか偏執とかが高くて恥ずかしいし、できれば先輩と似たような結果が出て欲しかった」
「それはどうなんだろうな? タイプが似ていれば相性がいいというものではないと思う。かえって、違う方がお互いを補えることがあるのかもしれない……やはり、愛とは難しいものだな」
ハルはまだ首をかしげて考え込んでいた。その仕草は、どう見てもハルという新種の小動物だ。
「先輩は、マニア、つまり偏執的な愛が低いですよね。それなのにアタシは高い。このスコアが高いと、ハート形じゃなくなる。自分勝手に相手に執着してしまうのって怖いことなんじゃないかなって思ってしまう」
「確かにその通りかも知れないが、この診断結果を見て、ハルはその怖さをちゃんとわかったようだ。それなら心配ないよ」
「そうか……」
彼女はそうつぶやくと顔を上げ、遠くを見つめた。その栗色の瞳は優しく輝いている。
「ん、どうかしたか?」
彼女は私に視線を合わせた。
「二人の関係がうまくいくかどうか、それは、この『愛スタイル』だけではわからないのかもしれない。自分が……お互いが、どう想いあっているのか」
「……思う?」
「えーっと、『想う』……想像力の方です。相手の気持ちや考えを想像し、それを尊重する力」
私は驚いた。
この『愛のスタイル』を考えたOBの榊原先輩も生徒会立候補演説で『まずは相手のことを考えることが大事だ』と言っていたと伝え聞いている。しかし、この春に高校生になったばかりの子が、ここまで考えて言葉にできるとは。
「ハル、君はすごいな!」
「ありがとうございます。……あの、ホメられついでに、先輩に歌のお返しをしたいのですが、いいですか?」
「え? もちろん……それは嬉しいが」
私の返事を待たずに、ハルはキーボードをケースから机の上に出し、プラグをコンセントに差し込んだ。
「ぶっつけ本番なんで、コード間違えたり、つっかえるかもしれないけど……聴いてください」
軽くお辞儀をして着席すると、ハルは七夕の衣装のまま、キーボードを弾き始めた。
彼女の小さな体からビート感が伝わってくる。
アーティスト:京野波瑠
「イマージュ・想う力を信じて」
作詞・作曲:京野波瑠
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♪♪♪~ (切な系オルタナ・ロック調)
【Aメロ】
泣き虫なアタシを 抱きしめてくれた
不器用でそっけないけど 大きなハートの ギタリスト
ほら見て 涙のあとには ハルの花
キミが教えてくれた 愛のカタチ
試してみたけど どーにもこーにも……
デコボコ道は 前途が多難!
でも先輩 こんなアタシとドライブしません?
【Bメロ】
やっとわかった 気がついたんだ
愛のエンジン それはイマージュ
翻訳すれば 想像力と 馬鹿にできない妄想力
キミの意地悪なところも 隠れ乙女なところも
全部イマージュ ずっとイマージュ 二十四時間
飛ばしていこう 未知への道を
~♪♪♪
弾き終わると、ハルは鍵盤の上に手を置いたまま動作を止めた。
私は、なにか感想を言わなくてはいけない。
「ロックっぽい曲とは……ハルにはしては珍しいな」
いや、言いたいことは、こういうことじゃない。
でも、今ここで、どんな言葉を並べればいいのか迷ってしまう。
「ははは……やっぱり、ハルは素晴らしいシンガーソングライターであり、優秀な生徒会の書記だ」
「?」
彼女は私に顔を向け、きょとんとしている。
「いやだって、『愛のスタイル』について、我々が考えていくべきことを明らかにして、しかも音楽にしてくれた……二人の愛のカタチが同じでなくても、例えでこぼこであっても、かえって相性がぴったりのときがある。それはどんなパターンのときに起こりうるのか、探っていきたい」
「……あの、そこですか?……先輩が感じてくれたこと」
「いや、それだけじゃない。愛することを考えていく上で、見落としてはいけないことがある。それがお互いのことを想う……イマージュすることだ。それに気づかせてくれた……」
彼女は立ち上がり、私のそばに寄って来た。釣られて私も席を立つ。
「先輩はアタシの歌をそういう風に聴いたんですか?」
ああ、彼女が言いたいことはわかる……でも、それを口に出す勇気が私にないだけだ。
彼女が歌声にして問いかけたことに、ちゃんと答えなければならないのに。
「じゃあ、アタシから言います」
「?」
「冴先輩……好きになっても……いいですか?」
彼女に言わせてしまった。自分が情けない。
そう思いながらも、ハルの言葉が私の体の奥の『あるもの』を探し当て、目覚めさせてしまったことに気づいた。
だから。
私は彼女を抱きしめた。
天女のような羽衣をまとった、小動物のような少女を。
「すまない、君に言わせてしまって……私にはこうすることしかできない」
「いいんです……先輩はやっぱり真面目なんですね」
「ははは、君もだ。真面目に愛のこと……そして私のことを想ってくれている」
「じゃあ先輩……少し、不真面目になって、アタシがして欲しいことを想ってください」
私を見上げたハルは、そう言って静かにまつ毛を伏せた。
その瞬間、彼女は私を縛りつけていたすべての退屈な理性を、完全に解放してくれたのだ。
薄暗いスタジオの真ん中、窓際にあるピアノの黒い天板に、終わりを告げる雨の光が鈍く反射している。私はかけていたメガネを外して机に放り出すと、彼女の小さな唇に、私の唇を重ねた。
ふれて、息が止まる。
その唇は、初夏だというのに、驚くほど冷たくて凍えていた。七夕ライブの舞台袖からずっと、この子はたった一人で、冷えきった暗闇に耐えていたのだ。
愛おしさが、胸の奥から熱い流れになってあふれ出す。メガネのレンズという障壁を取っ払った今、私は自分の唇から、全身から、ハルのすべてを満たそうと熱を注ぎ込んだ。
ハルの小さな口から、小さな舌がためらいながら、でもするりと私の口へと入り込んできた。
あまりの甘い衝撃に、私は思わずハルから唇を離してしまった。
ハルが不思議そうに、潤んだ目を開ける。
「先輩……初めてなんですか? ……キス」
「……そうだ。だって、私と陽向は、ビジネス・カップルだったのだから」
私が耳まで熱くなっているのを見透かしたのか、目の前の小さな天女は、悪戯っぽく微笑んだ。
「そういう君はどうなんだ? ずいぶんと余裕があるようだが……」
「アタシだって初めてです。怜は、なにもしてくれなかった……でも、初キスが先輩でよかった」
「そうか、ありがとう。……ハルに一つお願いがある」
「?」
「私のこと、『先輩』じゃなくて……そうだな、『冴』と呼んでくれないか?」
「え! 先輩……年上なのに?」
「そうだ」
「みんなの前でも?」
「ああ、構うもんか」
「わかりました」
そう言って、彼女は両腕で私をぎゅうっと抱きしめた。
「冴……好きになりました……ほんとうに」
今度はハルから唇を重ねてきた。
それはもう、冷たくはなかった。
私はハルの真似をして、舌で彼女の口をこじあけ、小さな舌を探した。
絡み合った舌どうしから、新たな熱が生まれ、瞳を閉じていても、目の前で光の粒がはじけるのがわかった。
私の『ヘキサゴン・ハート』は、大きくカタチを崩しているに違いない。
お互いにフラれてしまった夜なのに、もうこんなことになっている。それなりに罪悪感はある。
……七夕の夜なんだから、織姫様とキスをしても、神様も赦してくれるだろう。でも、彼女と年に一回しか会えない、というのは勘弁してもらわないと。
〇
そのまま長い間私たちは、抱き合っていたけれど、そろそろ下校時間のことを考えなければならなかった。今夜は七夕ライブがあったので完全下校は二十時だ。
私が体を少し動かすと、ハルは顔を上げた。
「先輩……冴は真面目ですね」
「ああ、これでも生徒会長だからな」
「その……生徒会、どうなるんでしょう?」
「?」
「生徒たちの模範……理想のカップルだった、冴と陽向先輩、アタシと怜……それが崩れてしまった」
「そんなニセモノの仮面なんか、はずしてしまおう」
「え⁉」
「なーに、ハルは心配しなくていい。これは私と陽向が解決すべき問題だ」
「どうするつもりですか?」
「桜羽校長先生に直談判する。そして、校則を変え、生徒の意識を変える。その前に、まずは私から陽向と怜君には話しておく。あの二人が反対するとは思えないが、これは四人で一致団結する必要がある……そんな戦いだ」
「……大丈夫かな?」
「やってみるしかない。ああ、校長先生に話すときはハルと怜君にも同席してもらいたい……でも、二人に迷惑をかけるつもりはない」
「わかりました。少しでも冴の……みんなの力になりたいです」
2.校長先生からの宿題
「さあどうぞ、おかけになって!」
校長先生は私たちに、にこやかにソファーを勧めた。
「あの……これ、どうすればいいんですか?」
「ああ、好きにしていいわよ。抱っこするなり、お尻で踏んづけたり」
ソファーは、犬、猫、ヒヨコ、シマウマ、ライオン、イルカの大きなクッションで占領されている。
ハルはその中からイルカを選んで抱え、席に着いた。
怜は座るのをためらい、校長室の中をキョロキョロと見回している。
初めてこの部屋に入る生徒はみんなそうなるが、無理もない。去年お邪魔した私や陽向もそうだった。
なにしろ、部屋の両側の壁に備えつけられた棚には、書物の代わりに大小さまざまなぬいぐるみやフィギュアがズラリと並んでいる。それは動物だったり、アニメキャラだったり、謎の生命体だったり。みんな揃って部屋の中にいる私たちをガン見している。いったいどれだけクレーンゲームやガチャガチャに投資すれば、これだけ多種多様でファンシーでファンキーなものを集められるのだろうか?
噂によると、桜羽校長先生は、不登校になった女子生徒に、保健室登校ならぬ日本初の『校長室登校』をしてもらったそうだ。その子は元気に学校に来られるようになり無事卒業することができたらしい。確かにこの部屋には居やすいい雰囲気はあるかもしれない。
ドア側の壁には、ミッション系の学校らしく、聖母マリアの絵画が飾ってあるが、その周りにはシンプルな木のフレームに収められた写真が何枚もかけられている。校長先生がゾッコンだと噂される、『B.L.T.』という男子アイドルグループの写真だ。普通の校長室の壁って、歴代の校長先生の写真が並んでいたりするのでは? その『B.L.T.』は地下アイドルとしては、そこそこメジャーらしいけど、私の周りでこのグループを知っている生徒はいなかった。
夏休み直前で外の気温は高く、一部ステンドグラス調の窓は閉められている。校長室は校舎の二階にあり、かつて先生は、叔父である理事長の魔の手?から逃れるために、この窓から飛び降り、元生徒会長でOBの榊原先輩の肩の上に着地し、脱出を図ったという逸話もある。
私たちは、動物クッションのすき間になんとか座り、校長先生と一緒に木製の大きなテーブルを囲んだ……校長先生、今日はJKの制服姿ではなく、白いブラウスにピンクのスカートと、まともな格好をしている……ちょっと派手めではあるけど。
『私たち』とは、生徒会長の私、副会長の陽向、会計の怜に書記のハル。それに前生徒会長で生徒会アドバイザーの桜羽夏鈴先輩にも同席してもらっている。彼女は校長先生の従妹で、『溺愛』されているらしいので、会話の潤滑剤になってくれると期待してのことだ。同じく生徒会アドバイザーのヤマトタケル先輩にも同席してもらってはどうかと夏鈴先輩に相談したが「まとまる話もまとまらなくなるから、不要!」と強く却下された。
「校長先生、お忙しいところお時間をいただき、ありがとうございます。本日は生徒会から二つ、相談があります。一つは……」
「冴ちゃん会長、そんなかしこまらなくていいから、気楽にやろうよ」
校長先生は話をさえぎり、『きのこの山』やら『カントリーマアム』やら『ばかうけ』やらが入ったお菓子の袋を次々とテーブルの上をすべらせ、みんなに配った。
「あ、ありがとうございます」
私は気を取り直して、スマホをテーブル上のテレビモニターに接続し、『愛スタイル・アプリ』の画面を映し出した。それをもとに私と校長先生のやりとりが続いた。
「この『愛スタイル」ですが、より有効に生徒が学んだり、自己評価を行えるよう、二つの仮説をもとに生徒会として、調査研究をしたいと思います』
「ふーん、面白そうね。詳しく聞かせて」と校長先生は身を乗り出した。
「はい……まず、この画面、診断結果のチャート図を見てください」
「へー、ハート形に見えるわ!」
「はい。私たちはこれに『ヘキサゴン・ハート』と名前をつけました」
「まあ! 洒落てるー♡」
「これは、診断結果で、マニアが二点、エロス、ストルゲ、プラグマ、ルダスがそれぞれ八点、アガペーが十点となったときの形状です」
「マニア……偏執的な愛のスコアが低く、アガペー……無償の愛が満点か」
「はい、点数の出かたは、相手やそのときの状況などによって、色々なケースがあるとは思いますが、それらを含めて、この『ヘキサゴン・ハート』をわが校が目指す愛のカタチとしてはどうか、という提案です」
「なるほどねー、自分たちが探し求めるものに一つの『目印』があるのはいいことよね……ところで、この診断結果は誰に対してのものなのかな?」
そう言って校長先生は、ニヤリと微笑んだ。
思わず私はハルの顔を見た。彼女は赤くなってうつむいている。
「……個人情報に関わることなので、伏せさせていただきます」と私は答えたが、隣でハルが、抱え込んだイルカのクッションのヒレを、ちぎれんばかりの力でぎゅーっと握りしめて顔を真っ赤にしている。わかりやすすぎる。きっとみんなにバレバレだと思う。
「まあ、一つの例としてはいいかもしれないけど、みんなでこの『ヘキサゴン・ハート』を目指すっていうのはどうなのかな?」
そう割って入ったのは、夏鈴先輩だ……彼女には事前に話しておいたのだけれど。
「例えば、遥ねえさま……じゃなかった校長先生の、賢にいさま……じゃなかった榊原先輩に対する愛のカタチは、きっとマニアが十点満点で、アガペーは零点よ」
「まあカリンちゃん、人聞きの悪い!……まあ実際そうだったけど……そう言うカリンちゃんだって、好きになった相手への愛は、全部マニアが十点以上のはずよ」
「以上って……おねえさまこそ人聞きが悪いわ! そんなわけないもの」
校長先生は再びニヤリと笑う。
「だって、偏執狂なところがないと、あんなエロい話、書けないでしょ? 『ばかりんさくら』ちゃん」
「ちょ、ちょっと、こんなところで『逆身バレ』しないでもらえます⁉……というかおねえさま、ご存知でしたの?」
「ええ、もちろん……だいたい『ばかりんさくら』っていう『桜羽夏鈴(さくらばかりん)』の回文、バレバレでしょ。フフフ……プライベートタイムで楽しませてもらってるわ」
いったいこの従姉妹、なんの話をしているんだろう?
私は不思議に思い、スマホで『ばかりんさくら』と検索してみた。
「コラ! ググるな!」
夏鈴先輩は今まで聞いたことがない大きな声で止めようとしたけど手遅れだった。
検索結果をクリックすると、飛んだ先は、小説の投稿サイト。そこには、『ばかりんさくら』という作家が書いた小説のタイトルが並んでいた、そのタイトル名からしてエロくて恥ずかしくなるし、R18マークがついている作品が多い……
私の手からスマホをひったくろうとしてテーブルに身を乗り出した夏鈴先輩は、カントリーマアムの袋をなぎ倒して失敗に終わったあと、「見ちゃダメぇー!」とソファーのライオンクッションに顔をうずめて悶絶している。
夏鈴先輩には悪いけど、私のスマホは校長室のモニターに接続されていて、エロ小説投稿サイトの画面が鮮明に映し出されている。同席しているみんなはそれを見て呆然と顔を見合わせていた。校長先生だけはクスクスと笑っている。
「この件は、他言無用! 冴会長、話を先に進めて」
不機嫌にそう言った夏鈴先輩に続く。
「夏鈴先輩の話に関係があるのですが、もう一つの仮説は……」
「ちょい! 今の話をひきずらないの!」と夏鈴先輩が口をはさむ。
「いえ、そうじゃなくて……校長先生の『マニアが満点でアガペーは零点』でも……その、榊原先輩とはラブラブだっていう話をされたと思いますが……」
校長先生はそれを聞いて嬉しそうだ。
「診断結果がヘキサゴン・ハートじゃなくても、必ずしも思い合っている二人の愛のカタチがバラバラであっても、すごく相性がいい場合ってあるのではないかと考えています。それはどんなパターンなのか、生徒たちの協力を得ながら調べられればと思っています」
「なるほどねー……そうすると、一人だけの自己評価だけでなく、二人で『わたしたちの愛をどうしていくか」って考えられるし、やろうと思えば、生徒の間のマッチングにも活用できるってわけね』
校長先生は私が言いたかった、愛スタイルの新たな活用方法の可能性を代弁してくれた。
彼女はあごに人差し指を当てて、数秒考えてから答えた。
「わかったわ。多分試行錯誤の連続になると思うけど、二学期からその調査を始められるようにしましょう。職員会議には通しておくわ……あ、それから、『愛スタイル・アプリ」の改良やアドバイスが必要になったら、この人に連絡とってみてちょうだい』
そう言って私に手渡したのは名刺で、『東京科学大学 工学院 榊原賢也』という名前とメアドなどの連絡先が書いてあった。
「ありがとうございます!」
この人、女子高生の恰好をしたり、校長室をぬいぐるみだらけにしたりして、ちょっと、いやだいぶ変わっているところはあるけれど、ちゃんと校長先生なんだと改めて実感した。
……さて、問題は次のテーマだ。
「校長先生への二つ目のご相談です」
「どうぞ、おっしゃって」
「校長先生も、前生徒会長の夏鈴先輩も、入学式や一学期の始業式のときに『スーパーラブ』の話をされていたと思います……愛求学園でも従来の固定観念に縛られない人間関係のあり方を考えて行こう、という話だったと思います」
「そうね、社会に取り残されないようにってね」校長先生は同意する。
「結論を言いますと、次のように校則の一部を変えられないかと思っています」
私はテレビモニターにノートパソコンをつなぎ替え、画面を映した。
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人権尊重の精神
一、本校は、すべての生徒の尊厳と個性を尊重する。生徒は、性自認、性的指向、性別表現をはじめとする多様性を互いに認め合い、いかなる差別や偏見も持つことなく、対等で自由な人間関係を築くよう努めるものとする。
生徒心得
一、生徒間の交際(恋愛関係を含む)にあたっては、互いの意思と人格を尊重し、高校生として良識ある行動を心がけること。交際相手の性別や関係性のあり方にとらわれず、お互いの安全と心身の健康、および学業を妨げない健全な関係であることを重んじる。
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言葉で補足する。
「『人権尊重の精神』については現状の文章に近いですが、『性自認、性的指向、性別表現をはじめとする多様性』を明文化して具体的にしています。『生徒心得』に関しては『交際相手の性別や関係性のあり方にとらわれず』がポイントになっています。どうぞよろしくお願いいたします」
校長先生は、今度は腕を組み、しばらく考え込んでから言葉を口にした。
「そうね、人権尊重の精神は今の社会状況を考えると特に問題ないと思うわ……もちろん顧問弁護士さんに相談するけど。生徒心得か……特に異論はないけどね……ちょっとひっかるのよ」
「どの辺がですか?」
「だって私、『男の子スキ!スキ!』女子だもの!」
そう言って校長先生は地下アイドル『B.L.T.』と思われる推しうちわを振った。
同席した生徒みんな、それぞれのリアクションでずっこけた……そんな、私情を絡めないで欲しい!
それを尻目に校長先生は真顔になる。
「愛求学園(うち)は、ミッションスクールなので、学校関係者には古い……じゃなかった伝統的な考えの方もいらっしゃるの」
なかなか一筋縄ではいかない問題のようだ。
先生は、モニターに映された文章をもう一度見直す。
「それでも私は、あなた方の意思を尊重したい……そのためには、生徒たちの声を結集して示してくれないかな?」
「具体的には、どうすればいいでしょうか?」
「ほら、ちょっと先だけど、夏休み明けの九月に文化祭があるじゃない? どうせあなたたち、そこでライブやるんでしょ?」
「はい、その予定ですが」
「じゃあさ、あなたがたの思いを歌と踊りにして、みんなにぶつけて欲しいの」
「はい?」
「それで、好評だったら、私なりに『意思表示』して、職員会議で決裁します!」
「そういう乗りでいいんですか?」
「うん、だって普通に生徒集会開いて決めるより、その方が面白いでしょ?」
「……そ、そうですね」
「あ、それから申し訳ないけど、文化祭当日まであなたたち四人の関係のことは内緒にしといて」
「は⁉ 四人の関係とは?」
「そんなの、みんなの顔を見ればバレバレじゃないの」
「え! そうですか?」
呆然と役員四人で顔を見合わせる……
「あ、だから顔にも出さないように気をつけてちょうだい……あと、生徒への事前の根回しもナシ。冴ちゃん会長、そういうの、うまそうだからね」
……今考えていたことを読まれてしまった。
意外な展開になってしまったが、こうなったら文化祭ライブを成功させるしかない。
「わかりました。ご期待に添えるようにします……それでは」
「あっちょっと待って!」
みんな同時に席を立とうとしたら、校長先生に引き止められた。
「聞いておきたいことがあるんだけどー」
校長先生は好奇心たっぷりの眼差しで私たちを見回した。
「もうちょっと四人のことについて、話してくれないかなー♡」
いちいち語尾を伸ばさなくてもいいのに……
「それはですね……」
「あ、冴ちゃん会長はもういっぱい喋ったでしょう? だから、書記のハルちゃんに聞いてみたいなー」
急に名指しされて、ハルはビクンと大きく体を震わせた。こういうリアクションも小動物系だ。次第に顔が赤くなっていく。
「あの、実はアタシ、冴さんのことが好きです……それで、正々堂々とおつきあいしたいです。だから、そういう校則があるといいなと思っています」
「キャーステキ! じゃあさっき冴ちゃん会長が見せてくれた『ヘキサゴン・ハート』は冴ちゃんの、ハルちゃんに対するものだったのね♡」
ち、ちょっと校長先生、それどういうリアクションなの? ただ好奇心で聞いているだけじゃん!
「会計の怜君にも聞いちゃおう! どおなの?」
「僕も副会長……陽向先輩のことが好きです。だから学校の中を堂々と二人で歩きたいです」
「わー、これまた萌える! ねえ、カリンちゃん、せっかくだから、この二人を主役にBL書いてみない? ちょっとエロいの」
「遥ねえさま、だからもうそのネタ引きずらないでってば! いったいどこの世界にエロいBLを書かせる校長先生がいるっていうの⁉」
「ヘヘヘ―、陽向副会長君、きょうは一言もしゃべってないねー? 怜君、あんなこと言ってくれたけど、君はどう?」
校長室のエアコンの音だけが、一瞬、部屋の空気を冷たく止めた。陽向の隣で、怜がフチなしメガネの奥の瞳を小さく揺らす。いつもはにこやかな陽向が真顔になってすくっと立ち上がり、校長室中に響き渡る声で叫んだ。
「俺は……俺と怜は……いや、俺たち四人は、俺たちが考える新しい愛のカタチ、とはどういうものか、文化祭のステージでみんなに問いかけ、訴えかけ、この学校をスーパーラブにしていきます!」
「よく言ったー!……じゃあ、みんな健闘を祈る!」
陽向が叫んだ「この学校をスーパーラブにしていく」という意味がいまいちよくわからなかったけど、校長先生にはどうやら私たちの思いが伝わったようだ。
きっと、いい方向に進んでいるんだと思う……たぶん。