VS(バーサス)!――今日も何かと戦っています

歯科医 vs 子犬を奪われた私

新しく行った歯科の問診票に、こう書いてあった。

『歯医者さんは怖いですか?』

患者思いの質問だなと思い、迷わず丸をつけた。

……のだが。

一体なぜ、その質問をされたのか。

後で思い知ることになる――





昔から、左上の奥歯には大きな銀歯がある。

笑うと口の端がギラッと光って意外と目立つ。
長年のコンプレックスだった。

ある日。
それを保険内で白い詰め物に変えられると知り、近所の歯科を予約した。

問診票を上から順に書いていると、例の質問にたどり着く。

『歯医者さんは怖いですか?』

愚問である。怖いに決まっている。

細い銀色の器具で口の中をいじられるのが苦手だ。
治療中の何ともいえない音と、過去に感じた鋭い痛みを思い出した。

それだけで顔が歪む。

私は迷わず『はい』に丸をつけた。

こういうことを聞いてくるということは、恐怖を取り除く素晴らしい方法があるに違いない。

少し、気持ちが楽になった。





しばらくして診察室へ。

先生は気さくなおじさんで、雰囲気もやわらかい。
マスクしていても伝わってくる笑顔が好印象だ。

レントゲンも終わり、診察台へと移動する。

私の横で先生が器具を並べているのが見えた。
順調に治療の準備が進んでいく。

「そっかそっか。歯医者が怖いんだね」

さっき書いた問診票を片手に、先生はうなずいた。

「大丈夫だよ~」

にこやかにそう言うと、リモコンを取り出す。
そして目の前のモニターに向けた。

画面がパッと明るくなる。

すると。

――子犬が、じゃれ合っていた。


白くてコロコロした子犬が2匹。
甘噛みしたり、寝転がったりしている映像が流れ始めたのだ。

「ね、怖くないよね!」

先生が画面に指を差して満足げである。

「えっ」

私はかすかに動揺した。

でも確かに。
天使の生まれ変わりのようなつぶらな瞳がたまらなく可愛い。

ボールを追いかけている姿を見ていると、 少し和んできたような気がする。

(もしかして、これが怖くないための……?)

(恐怖軽減システムってやつ?)

患者思いの優しい病院。
癒やし映像でリラックスさせてくれるらしい。

期待していた方法とは若干違ったのだが。

いやしかし。
これなら治療の恐怖を乗り越えられそうだ。

……と思った瞬間。

診察台が倒されていく。

「!?」

視界が一気に変わる。

あと一歩でボールに届きそうな子犬。
壁と天井。
やたら眩しいライト。

そして――

(!!!!!)

ニュッと現れた先生の顔。(近い)

私の顔面へと迫りくる銀色の器具。

思わず喉の奥で悲鳴が漏れそうになる。

どうやらこの歯科は、目隠しをしないらしい。
目を開けていれば全部見えてしまう。

逃げ場のない、超至近距離のフルハイビジョン。

そのクリアな視界の中で、銀歯の取り外しが始まった。
銀歯の下に隠れていた虫歯も発覚し、治療は一気に激しさを増す。

先生の真剣な顔と鼻息。

キィィィィン!
ゴリゴリ……
ガンガンガンッ!

口の中に響く、謎の工事音。

神経を取っているので痛みを感じないが。
見ているだけで痛そうな器具が、次々と口の中へ入っていく。

脳内をシェイクされる振動の中、私の手のひらに爪が食い込む。

――その時だった。

「……フンっ!」

力いっぱい私の歯を削る先生の顔がドアップになった。

まるで獲物を狙うハンターのような目つき。

私は心の中で絶叫した。

優しい笑顔を浮かべていたおじさんは、もうどこにもいない。
愛おしげに子犬を指差していた指先は、
今やドリルという名の冷徹な凶器を握りしめている。

視界を埋め尽くすのは、
舞い散る歯の粉塵と、ドリルを構えた恐怖の職人。

(ワンちゃーん! どこーーー!?)

子犬を。子犬をください。

一瞬でいい、あのもふもふを私に……!

さっきまでの癒やし担当はどこへ消えたのか。

私はただ、仰向けのまま無力に耐えた。


――どれくらいの時間だったか。

途中で口をすすぐために起き上がると、映像は消されていた。

真っ暗なモニター。

あの子犬はもう、戻ってこなかった……。





後日、新しい詰め物を入れに歯科へ行った。

そのときに子犬と再会できた。
そしてやっぱり数秒で引き離されたのである。

あの数秒間に意味はあるのだろうか。

これでリラックスできる人はいるのだろうか。

せめて、子犬がボールに追いついたのかまでは見せてほしかった。
あの子たちは今も元気に走り回っているのか、気になって仕方がない。

結局、私は癒やしを奪われ、ただただ恐怖と戦うしかなかったのだ。

完全なる敗北である。


そして私は、今日も変わらず思う。

歯医者さんが、怖いです。



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