VS(バーサス)!――今日も何かと戦っています
歯科医 vs 子犬を奪われた私
新しく行った歯科の問診票に、こう書いてあった。
『歯医者さんは怖いですか?』
患者思いの質問だなと思い、迷わず丸をつけた。
……のだが。
一体なぜ、その質問をされたのか。
後で思い知ることになる――
◇
昔から、左上の奥歯には大きな銀歯がある。
笑うと口の端がギラッと光って意外と目立つ。
長年のコンプレックスだった。
ある日。
それを保険内で白い詰め物に変えられると知り、近所の歯科を予約した。
問診票を上から順に書いていると、例の質問にたどり着く。
『歯医者さんは怖いですか?』
愚問である。怖いに決まっている。
細い銀色の器具で口の中をいじられるのが苦手だ。
治療中の何ともいえない音と、過去に感じた鋭い痛みを思い出した。
それだけで顔が歪む。
私は迷わず『はい』に丸をつけた。
こういうことを聞いてくるということは、恐怖を取り除く素晴らしい方法があるに違いない。
少し、気持ちが楽になった。
◇
しばらくして診察室へ。
先生は気さくなおじさんで、雰囲気もやわらかい。
マスクしていても伝わってくる笑顔が好印象だ。
レントゲンも終わり、診察台へと移動する。
私の横で先生が器具を並べているのが見えた。
順調に治療の準備が進んでいく。
「そっかそっか。歯医者が怖いんだね」
さっき書いた問診票を片手に、先生はうなずいた。
「大丈夫だよ~」
にこやかにそう言うと、リモコンを取り出す。
そして目の前のモニターに向けた。
画面がパッと明るくなる。
すると。
――子犬が、じゃれ合っていた。
白くてコロコロした子犬が2匹。
甘噛みしたり、寝転がったりしている映像が流れ始めたのだ。
「ね、怖くないよね!」
先生が画面に指を差して満足げである。
「えっ」
私はかすかに動揺した。
でも確かに。
天使の生まれ変わりのようなつぶらな瞳がたまらなく可愛い。
ボールを追いかけている姿を見ていると、 少し和んできたような気がする。
(もしかして、これが怖くないための……?)
(恐怖軽減システムってやつ?)
患者思いの優しい病院。
癒やし映像でリラックスさせてくれるらしい。
期待していた方法とは若干違ったのだが。
いやしかし。
これなら治療の恐怖を乗り越えられそうだ。
……と思った瞬間。
診察台が倒されていく。
「!?」
視界が一気に変わる。
あと一歩でボールに届きそうな子犬。
壁と天井。
やたら眩しいライト。
そして――
(!!!!!)
ニュッと現れた先生の顔。(近い)
私の顔面へと迫りくる銀色の器具。
思わず喉の奥で悲鳴が漏れそうになる。
どうやらこの歯科は、目隠しをしないらしい。
目を開けていれば全部見えてしまう。
逃げ場のない、超至近距離のフルハイビジョン。
そのクリアな視界の中で、銀歯の取り外しが始まった。
銀歯の下に隠れていた虫歯も発覚し、治療は一気に激しさを増す。
先生の真剣な顔と鼻息。
キィィィィン!
ゴリゴリ……
ガンガンガンッ!
口の中に響く、謎の工事音。
神経を取っているので痛みを感じないが。
見ているだけで痛そうな器具が、次々と口の中へ入っていく。
脳内をシェイクされる振動の中、私の手のひらに爪が食い込む。
――その時だった。
「……フンっ!」
力いっぱい私の歯を削る先生の顔がドアップになった。
まるで獲物を狙うハンターのような目つき。
私は心の中で絶叫した。
優しい笑顔を浮かべていたおじさんは、もうどこにもいない。
愛おしげに子犬を指差していた指先は、
今やドリルという名の冷徹な凶器を握りしめている。
視界を埋め尽くすのは、
舞い散る歯の粉塵と、ドリルを構えた恐怖の職人。
(ワンちゃーん! どこーーー!?)
子犬を。子犬をください。
一瞬でいい、あのもふもふを私に……!
さっきまでの癒やし担当はどこへ消えたのか。
私はただ、仰向けのまま無力に耐えた。
――どれくらいの時間だったか。
途中で口をすすぐために起き上がると、映像は消されていた。
真っ暗なモニター。
あの子犬はもう、戻ってこなかった……。
◇
後日、新しい詰め物を入れに歯科へ行った。
そのときに子犬と再会できた。
そしてやっぱり数秒で引き離されたのである。
あの数秒間に意味はあるのだろうか。
これでリラックスできる人はいるのだろうか。
せめて、子犬がボールに追いついたのかまでは見せてほしかった。
あの子たちは今も元気に走り回っているのか、気になって仕方がない。
結局、私は癒やしを奪われ、ただただ恐怖と戦うしかなかったのだ。
完全なる敗北である。
そして私は、今日も変わらず思う。
歯医者さんが、怖いです。
終
『歯医者さんは怖いですか?』
患者思いの質問だなと思い、迷わず丸をつけた。
……のだが。
一体なぜ、その質問をされたのか。
後で思い知ることになる――
◇
昔から、左上の奥歯には大きな銀歯がある。
笑うと口の端がギラッと光って意外と目立つ。
長年のコンプレックスだった。
ある日。
それを保険内で白い詰め物に変えられると知り、近所の歯科を予約した。
問診票を上から順に書いていると、例の質問にたどり着く。
『歯医者さんは怖いですか?』
愚問である。怖いに決まっている。
細い銀色の器具で口の中をいじられるのが苦手だ。
治療中の何ともいえない音と、過去に感じた鋭い痛みを思い出した。
それだけで顔が歪む。
私は迷わず『はい』に丸をつけた。
こういうことを聞いてくるということは、恐怖を取り除く素晴らしい方法があるに違いない。
少し、気持ちが楽になった。
◇
しばらくして診察室へ。
先生は気さくなおじさんで、雰囲気もやわらかい。
マスクしていても伝わってくる笑顔が好印象だ。
レントゲンも終わり、診察台へと移動する。
私の横で先生が器具を並べているのが見えた。
順調に治療の準備が進んでいく。
「そっかそっか。歯医者が怖いんだね」
さっき書いた問診票を片手に、先生はうなずいた。
「大丈夫だよ~」
にこやかにそう言うと、リモコンを取り出す。
そして目の前のモニターに向けた。
画面がパッと明るくなる。
すると。
――子犬が、じゃれ合っていた。
白くてコロコロした子犬が2匹。
甘噛みしたり、寝転がったりしている映像が流れ始めたのだ。
「ね、怖くないよね!」
先生が画面に指を差して満足げである。
「えっ」
私はかすかに動揺した。
でも確かに。
天使の生まれ変わりのようなつぶらな瞳がたまらなく可愛い。
ボールを追いかけている姿を見ていると、 少し和んできたような気がする。
(もしかして、これが怖くないための……?)
(恐怖軽減システムってやつ?)
患者思いの優しい病院。
癒やし映像でリラックスさせてくれるらしい。
期待していた方法とは若干違ったのだが。
いやしかし。
これなら治療の恐怖を乗り越えられそうだ。
……と思った瞬間。
診察台が倒されていく。
「!?」
視界が一気に変わる。
あと一歩でボールに届きそうな子犬。
壁と天井。
やたら眩しいライト。
そして――
(!!!!!)
ニュッと現れた先生の顔。(近い)
私の顔面へと迫りくる銀色の器具。
思わず喉の奥で悲鳴が漏れそうになる。
どうやらこの歯科は、目隠しをしないらしい。
目を開けていれば全部見えてしまう。
逃げ場のない、超至近距離のフルハイビジョン。
そのクリアな視界の中で、銀歯の取り外しが始まった。
銀歯の下に隠れていた虫歯も発覚し、治療は一気に激しさを増す。
先生の真剣な顔と鼻息。
キィィィィン!
ゴリゴリ……
ガンガンガンッ!
口の中に響く、謎の工事音。
神経を取っているので痛みを感じないが。
見ているだけで痛そうな器具が、次々と口の中へ入っていく。
脳内をシェイクされる振動の中、私の手のひらに爪が食い込む。
――その時だった。
「……フンっ!」
力いっぱい私の歯を削る先生の顔がドアップになった。
まるで獲物を狙うハンターのような目つき。
私は心の中で絶叫した。
優しい笑顔を浮かべていたおじさんは、もうどこにもいない。
愛おしげに子犬を指差していた指先は、
今やドリルという名の冷徹な凶器を握りしめている。
視界を埋め尽くすのは、
舞い散る歯の粉塵と、ドリルを構えた恐怖の職人。
(ワンちゃーん! どこーーー!?)
子犬を。子犬をください。
一瞬でいい、あのもふもふを私に……!
さっきまでの癒やし担当はどこへ消えたのか。
私はただ、仰向けのまま無力に耐えた。
――どれくらいの時間だったか。
途中で口をすすぐために起き上がると、映像は消されていた。
真っ暗なモニター。
あの子犬はもう、戻ってこなかった……。
◇
後日、新しい詰め物を入れに歯科へ行った。
そのときに子犬と再会できた。
そしてやっぱり数秒で引き離されたのである。
あの数秒間に意味はあるのだろうか。
これでリラックスできる人はいるのだろうか。
せめて、子犬がボールに追いついたのかまでは見せてほしかった。
あの子たちは今も元気に走り回っているのか、気になって仕方がない。
結局、私は癒やしを奪われ、ただただ恐怖と戦うしかなかったのだ。
完全なる敗北である。
そして私は、今日も変わらず思う。
歯医者さんが、怖いです。
終


