純愛
川島大悟の場合(35歳)

恋人の旦那

木村たかしを初めて見たのは、春先のことだった。まだ肌寒く、多くの人が冬のコートを着ている中、こげ茶の洒落たスプリングコートを羽織っていた。そして、都内行きとは反対側のホームにぽつんと立たずみ、ぼんやりとタバコをふかしていた。

大悟の勤める会社は、駅の目と鼻の先にあり、この駅を使うのは、その社員が大半である。そんな中、朝のラッシュ時に、都内行きとは反対側のホームに立っているだけでも目立つのだが、彼は少し異質なオーラを放っていた。お世辞にもお洒落とは呼べない、都内からも中途半端に外れた半端な町の半端なホームに、まるでUnited Arrowsのマネキンをそのまま再現したようなスーツ姿で、これまたきれいに計算された無精ひげをたくわえたスリムな男が、ぼんやりと(そしておいしそうに) タバコを吸いながら、行き交う人をぼんやり眺めているのである。そんな彼を、女子社員たちは見て見ぬフリをしつつ、彼の前を通りすぎるときは少し髪の毛を揺らしぎみに、(何人かは尻も振っている)明らかに意識していた。10年間、営業にいた大悟にとって、彼女たちのリアクションは数年前の彼に対するそれであった。少しさみしく感じつつ、反面、「最近はこんな男が流行るのか」などと考えながら、彼を観察できるようゆっくりホームを歩いた。近くで見ると、思ったより背が低く、中肉中背といったところ。コートを羽織っているので分かりづらいが、引き締まった体をしているようにも見える。何より、ふさふさと生えた、少しカールがかかったような髪を目にし、腹をなぐられた気分になった。こいつは一生はげる恐怖を味わうことはないんだろうな。少し足早になり、改札を出た。

その後も時々、彼を見かけた。
でも見て見ぬフリを決め込んだ。自分の最大の弱点を、朝っぱらから想起させる奴など見たくない。そのうち、彼を避けるように少し早目の電車に乗るようになった。梅雨の季節には、木村たかしのことなど思い出すこともなかった。
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