鏡花水月
校外学習から戻ったあとも、平八の言葉が頭から離れない。
あの日から数日経っても。
学校で授業を受けていても。
ミカちゃん達と昼ご飯を食べていても。
夜、一人で布団に潜っても。
平八のあの、すべてを諦めたような、それでいて爛々と燃える修羅の目と声だけが、何度も頭の中で鮮明に蘇る。
―――本当にみんなを弔うには、テロを起こす必要があるのか。
ベッドに仰向けになったまま、私は暗い天井を見つめた。
薄暗い部屋の中、時計の秒針だけが静かにカチカチと音を刻んでいる。
平八の言葉には、どうしても否定しきれない部分があった。
あの戦争は、あまりにも理不尽だった。前線の兵士達は見捨てられ、補給は途絶え、待てど暮らせど援軍の影すら見えなかった。飢えと絶望の中で仲間たちが一人、また一人と倒れていったあの地獄の事実を、生き残った私達だけが知っている。
だからこそ、私達を見捨てて保身に走った連中が、戦後になって英雄気取りで綺麗な演説をしているのを見ると、胸の奥がドロドロとした怒りでざらつく。
何も知らない人達が、あの凄惨な戦いをただの感動的な美談として消費し、語るたび、激しい吐き気に襲われることすらあった。
あの地獄を知らないくせに。
仲間達がどんな顔で、どれほど無念の血を吐いて死んでいったのかも知らないくせに。
忘れてほしくない。なかったことにしてほしくない。
胸を焦がすような激しい苛立ちと、血を吐くような祈りは、きっと平八と同じなのだ。
けれど。
けれど―――だからといって、誰かを殺せば報われるのだろうか。
国を壊して権力者達を血の海に沈めれば、逝ってしまったみんなの魂は救われるのだろうか。
死んでいった仲間達は、本当にそんな凄惨な復讐を望んでいるのだろうか。
平八をあの一方通行の地獄から連れ戻すために、今の私に何ができるかは分からない。刀を捨てた私には、彼の暴走を力ずくで止める術はないのかもしれない。
答えの出ない問いが頭をぐるぐると駆け巡り、胸が苦しくなってたまらず寝返りを打った。
枕元に置いていたスマホへと手を伸ばす。どうせもう、目を閉じてもあの戦場の光景がチラついて眠れそうにない。
誰かに連絡しようにも、スマホにが表示されている時間は、あまりにも非常識な真夜中だった。唯一繋がっているミカちゃん達に、こんな夜中に過去の重い話を掛ける気には到底なれなかった。そもそも、宇宙人の戦争だなんて信じてくれないだろう。
夜中に突撃してもさほど迷惑にならなさそうで、なおかつこの話を共有できる相手は……ダメだ、あの二人しか思い浮かばない。
「でも、連絡先知らないしなぁ……」
取り敢えず、散歩してたら野生の勘か何かで会えるかなー、なんていう無茶苦茶な考えが頭をよぎり、私は外に出た。
夜の冷たい空気に触れると、少しだけ頭が冷えるような気がした。
パジャマの上に上着を羽織っただけの格好で、私は静まり返った住宅街をあてもなく歩き始める。
当たり前だが、こんな夜中にうろうろしたところで、連絡先も住処も知らない彼らに偶然会えるわけがない。そもそも、私と同じエリアに住んでいるのかすら分からないのだ。
「……帰ろ。冷えてきた」
完全に自分の行動のアホらしさに気づき、踵を返して帰路を歩いている途中、街灯の薄暗いゴミ捨て場にポツンと人影が見えた。
酔っ払いのおっさんっぽいなー関わりたくないなー。
足早に通り過ぎようとしたその時。不意にその人とバッチリ目が合った。
「お、紫乃じゃん。ヤホー」
「……何してんの?」
酔っ払いのおっさんなんて失礼なことを思って申し訳ないけれど、桃李は手元にあった缶飲料を、そのままゴミ箱へ放り投げた。
「それを聞きたいのはこっち。こんな夜中に何してんのさ。パジャマの上に上着羽織っただけでほつき歩くとか、地球の治安を信頼しすぎじゃね?」
「ちょっと寝付けなくて散歩してただけだよ。桃李こそ、まさか家を追い出されたとか?」
「ないない。さすがにそれはない。俺は買い出し」
「買い出し?」
「そー。近くのコンビニまで夜食を買いに行かされてたわけ」
桃李はそう言って、手に持っていたビニール袋をかるく揺らしてみせた。中にはスナック菓子の袋や、いくつかのパンが入っている。
「私も食べる」
「えー、俺の金で買ったやつなんですけどー?」
「お腹空いた」
ため息を吐いた桃李に案内され、マンションの一室に入ると、中には良い匂いが漂っていた。
リビングに顔を出すと、重治が台所から顔を出した。
「たでーまー。紫乃確保したぞー」
「ご飯たかりに来たー」
「たかられちゃったー」
桃李はそう言いながら買ってきたばかりのビニール袋をテーブルに盛大に広げた。中から出てきたパンやポテトチップスの他に、キッチンの方からは野菜をコトコトと煮込んだ、温かいコンソメスープの匂いが漂ってくる。
「ちょうど良かった。作りすぎてしまってな、明日持っていこうと思っていたんだ」
「そんなお隣さんのカレーみたいな感じで!?あと、私の家知ってるの?」
「知らん」
「えぇ……」
重治って、たまにこういうことあるよね。
私はスープの入ったマグカップをじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「ねえ。……平八に会ったよ」
「あー、今何しているんだっけ?あいつ」
「あー、確かテロリストとか言ってた気がするな」
二人はお互いに視線を合わせることもなく、スープを啜りながら、わざとらしく斜め上の天井を見つめた。完全に現実逃避の構えじゃん。
「もっと危機感持ちなよ、二人とも」
私が呆れたように突っ込むと、桃李はポテトチップスをかじりながら「いやいや、だって平八だし」と、身も蓋もない返事をしてきた。
「あいつ、昔から猪突猛進っていうかさ、一度言い出したら聞かないじゃん?国をひっくり返すとか、いかにもあいつが考えそうな大雑把な計画だし」
それに腕を組みながら頷く重治。
「……仕方ない、今日は久々に三人揃ったんだ。いきなりだが同窓会をしよう」
「「は?」」
それに腕を組みながら、重治が神妙な顔で頷く。
「お前、同窓会とか言って黒歴史暴露大会がしたいだけだろ」
「同窓会とは、お互いの黒歴史をなすり付け合う場所だろう」
「いや……同窓会ってもっと懐かしい話をするもんじゃ……」
真面目な顔で淡々と言う重治にそう返すも、彼らに一般的な美しい思い出話など期待するだけ無駄か、と思い直す。
「ここに平八がいたらなー」
そんな、ありもしない切ない『もしも』を想像して、私は力なく自嘲した。
もしも、あの戦争の結末が違っていたら。
私達の故郷が、あんな風に炎に包まれて陥落していなかったら。
十四になった今でも、私達はあの母星の片田舎のどこかで、こうしてくだらない飯の取り合いや、バカみたいな言い合いをしながら、四人で集まっていたのだろうか。
意味のないタラレバだと分かっている。
分かっているのに、一度溢れ出そうになった感傷は止められなかった。
視界が急に熱くなり、じわじわと涙が滲んで、視界の桃李と重治の姿が歪んでいく。ぽろぽろと、止めどなく涙が頬を伝って落ちた。
「し、紫乃?え、何で泣いてんの?」
さっきまで軽口を叩いていた桃李が、見たこともないような慌てぶりでソファから飛び上がる。
そこへ、重治が並々とスープの注がれたマグカップを両手に持って、ずいっと私の目の前に差し出してきた。
「どうした、コンソメは嫌か?コンポタの方が良かったか?玉ねぎも入ってるぞ」
大真面目な顔で繰り出された謎の気遣いに、涙を流したままの私の思考が一瞬フリーズする。
「コンポタに玉ねぎ入れんなよ!コンポタに入れて良いのはコーンだけだろ!」
「桃李は何を言っているんだ?」
「いや、こっちが聞きてぇよ」
桃李が「まともな奴は俺しかいないわけ!?」と、頭を抱えた。
深刻な空気を一瞬でぶち壊す、あまりにもいつも通りの、噛み合わない漫才。
何だか懐かしくて、つい笑みがこぼれてしまった。
あの日から数日経っても。
学校で授業を受けていても。
ミカちゃん達と昼ご飯を食べていても。
夜、一人で布団に潜っても。
平八のあの、すべてを諦めたような、それでいて爛々と燃える修羅の目と声だけが、何度も頭の中で鮮明に蘇る。
―――本当にみんなを弔うには、テロを起こす必要があるのか。
ベッドに仰向けになったまま、私は暗い天井を見つめた。
薄暗い部屋の中、時計の秒針だけが静かにカチカチと音を刻んでいる。
平八の言葉には、どうしても否定しきれない部分があった。
あの戦争は、あまりにも理不尽だった。前線の兵士達は見捨てられ、補給は途絶え、待てど暮らせど援軍の影すら見えなかった。飢えと絶望の中で仲間たちが一人、また一人と倒れていったあの地獄の事実を、生き残った私達だけが知っている。
だからこそ、私達を見捨てて保身に走った連中が、戦後になって英雄気取りで綺麗な演説をしているのを見ると、胸の奥がドロドロとした怒りでざらつく。
何も知らない人達が、あの凄惨な戦いをただの感動的な美談として消費し、語るたび、激しい吐き気に襲われることすらあった。
あの地獄を知らないくせに。
仲間達がどんな顔で、どれほど無念の血を吐いて死んでいったのかも知らないくせに。
忘れてほしくない。なかったことにしてほしくない。
胸を焦がすような激しい苛立ちと、血を吐くような祈りは、きっと平八と同じなのだ。
けれど。
けれど―――だからといって、誰かを殺せば報われるのだろうか。
国を壊して権力者達を血の海に沈めれば、逝ってしまったみんなの魂は救われるのだろうか。
死んでいった仲間達は、本当にそんな凄惨な復讐を望んでいるのだろうか。
平八をあの一方通行の地獄から連れ戻すために、今の私に何ができるかは分からない。刀を捨てた私には、彼の暴走を力ずくで止める術はないのかもしれない。
答えの出ない問いが頭をぐるぐると駆け巡り、胸が苦しくなってたまらず寝返りを打った。
枕元に置いていたスマホへと手を伸ばす。どうせもう、目を閉じてもあの戦場の光景がチラついて眠れそうにない。
誰かに連絡しようにも、スマホにが表示されている時間は、あまりにも非常識な真夜中だった。唯一繋がっているミカちゃん達に、こんな夜中に過去の重い話を掛ける気には到底なれなかった。そもそも、宇宙人の戦争だなんて信じてくれないだろう。
夜中に突撃してもさほど迷惑にならなさそうで、なおかつこの話を共有できる相手は……ダメだ、あの二人しか思い浮かばない。
「でも、連絡先知らないしなぁ……」
取り敢えず、散歩してたら野生の勘か何かで会えるかなー、なんていう無茶苦茶な考えが頭をよぎり、私は外に出た。
夜の冷たい空気に触れると、少しだけ頭が冷えるような気がした。
パジャマの上に上着を羽織っただけの格好で、私は静まり返った住宅街をあてもなく歩き始める。
当たり前だが、こんな夜中にうろうろしたところで、連絡先も住処も知らない彼らに偶然会えるわけがない。そもそも、私と同じエリアに住んでいるのかすら分からないのだ。
「……帰ろ。冷えてきた」
完全に自分の行動のアホらしさに気づき、踵を返して帰路を歩いている途中、街灯の薄暗いゴミ捨て場にポツンと人影が見えた。
酔っ払いのおっさんっぽいなー関わりたくないなー。
足早に通り過ぎようとしたその時。不意にその人とバッチリ目が合った。
「お、紫乃じゃん。ヤホー」
「……何してんの?」
酔っ払いのおっさんなんて失礼なことを思って申し訳ないけれど、桃李は手元にあった缶飲料を、そのままゴミ箱へ放り投げた。
「それを聞きたいのはこっち。こんな夜中に何してんのさ。パジャマの上に上着羽織っただけでほつき歩くとか、地球の治安を信頼しすぎじゃね?」
「ちょっと寝付けなくて散歩してただけだよ。桃李こそ、まさか家を追い出されたとか?」
「ないない。さすがにそれはない。俺は買い出し」
「買い出し?」
「そー。近くのコンビニまで夜食を買いに行かされてたわけ」
桃李はそう言って、手に持っていたビニール袋をかるく揺らしてみせた。中にはスナック菓子の袋や、いくつかのパンが入っている。
「私も食べる」
「えー、俺の金で買ったやつなんですけどー?」
「お腹空いた」
ため息を吐いた桃李に案内され、マンションの一室に入ると、中には良い匂いが漂っていた。
リビングに顔を出すと、重治が台所から顔を出した。
「たでーまー。紫乃確保したぞー」
「ご飯たかりに来たー」
「たかられちゃったー」
桃李はそう言いながら買ってきたばかりのビニール袋をテーブルに盛大に広げた。中から出てきたパンやポテトチップスの他に、キッチンの方からは野菜をコトコトと煮込んだ、温かいコンソメスープの匂いが漂ってくる。
「ちょうど良かった。作りすぎてしまってな、明日持っていこうと思っていたんだ」
「そんなお隣さんのカレーみたいな感じで!?あと、私の家知ってるの?」
「知らん」
「えぇ……」
重治って、たまにこういうことあるよね。
私はスープの入ったマグカップをじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「ねえ。……平八に会ったよ」
「あー、今何しているんだっけ?あいつ」
「あー、確かテロリストとか言ってた気がするな」
二人はお互いに視線を合わせることもなく、スープを啜りながら、わざとらしく斜め上の天井を見つめた。完全に現実逃避の構えじゃん。
「もっと危機感持ちなよ、二人とも」
私が呆れたように突っ込むと、桃李はポテトチップスをかじりながら「いやいや、だって平八だし」と、身も蓋もない返事をしてきた。
「あいつ、昔から猪突猛進っていうかさ、一度言い出したら聞かないじゃん?国をひっくり返すとか、いかにもあいつが考えそうな大雑把な計画だし」
それに腕を組みながら頷く重治。
「……仕方ない、今日は久々に三人揃ったんだ。いきなりだが同窓会をしよう」
「「は?」」
それに腕を組みながら、重治が神妙な顔で頷く。
「お前、同窓会とか言って黒歴史暴露大会がしたいだけだろ」
「同窓会とは、お互いの黒歴史をなすり付け合う場所だろう」
「いや……同窓会ってもっと懐かしい話をするもんじゃ……」
真面目な顔で淡々と言う重治にそう返すも、彼らに一般的な美しい思い出話など期待するだけ無駄か、と思い直す。
「ここに平八がいたらなー」
そんな、ありもしない切ない『もしも』を想像して、私は力なく自嘲した。
もしも、あの戦争の結末が違っていたら。
私達の故郷が、あんな風に炎に包まれて陥落していなかったら。
十四になった今でも、私達はあの母星の片田舎のどこかで、こうしてくだらない飯の取り合いや、バカみたいな言い合いをしながら、四人で集まっていたのだろうか。
意味のないタラレバだと分かっている。
分かっているのに、一度溢れ出そうになった感傷は止められなかった。
視界が急に熱くなり、じわじわと涙が滲んで、視界の桃李と重治の姿が歪んでいく。ぽろぽろと、止めどなく涙が頬を伝って落ちた。
「し、紫乃?え、何で泣いてんの?」
さっきまで軽口を叩いていた桃李が、見たこともないような慌てぶりでソファから飛び上がる。
そこへ、重治が並々とスープの注がれたマグカップを両手に持って、ずいっと私の目の前に差し出してきた。
「どうした、コンソメは嫌か?コンポタの方が良かったか?玉ねぎも入ってるぞ」
大真面目な顔で繰り出された謎の気遣いに、涙を流したままの私の思考が一瞬フリーズする。
「コンポタに玉ねぎ入れんなよ!コンポタに入れて良いのはコーンだけだろ!」
「桃李は何を言っているんだ?」
「いや、こっちが聞きてぇよ」
桃李が「まともな奴は俺しかいないわけ!?」と、頭を抱えた。
深刻な空気を一瞬でぶち壊す、あまりにもいつも通りの、噛み合わない漫才。
何だか懐かしくて、つい笑みがこぼれてしまった。