まだ恋とは呼べない距離で

部屋着と外泊

「お泊まり会といえば、コンビニだろ!」

昌大さんが勢いよく立ち上がる。

「お前は家に取りに帰れよ」

誠さんは呆れたように返した。

「気分を楽しみたいんだよぉ」

「……まぁ、俺も明日の朝飯買っとくか」

そうして三人は、徒歩一分ほどのコンビニへ向かった。

深夜の街は昼間より静かで、空気が少しひんやりしている。

理緒はコンビニの前まで来ると、落ち着かない様子で周囲を見回した。

誠さんが怪訝そうに眉を上げる。

「どうしたんだよ。初めてコンビニ来たやつみたいになってるぞ」

「……深夜のコンビニ、初めてで」

「えっ、マジ?」

昌大さんが目を丸くする。

理緒は少し気まずそうに視線を逸らした。

「……門限とか、厳しかったので」

「あー……なんか分かるかも。理緒ちゃんって、いいところのお嬢様感あるよね」

「そんな大したものじゃないです」

誠さんがふと思い出したように言う。

「神崎さんの家って、親父さん会社やってるんじゃなかったか?」

「うわ、社長令嬢じゃん!」

「そんな響きほど大層な家じゃないですよ!」

少し慌てたように返す理緒に、誠さんが小さく笑った。

「とりあえず、歯ブラシとか朝飯とか、必要なもん買って帰るぞ」

店内へ入る。

深夜のコンビニは独特だった。

明るすぎる照明。
有線放送が今話題の曲を流している。
まばらな客を、店員がぼんやり眺めていた。

理緒はどこかそわそわしながら、歯ブラシや飲み物をカゴへ入れていく。

一方、昌大さんはお菓子コーナーでしゃがみ込み、真剣な顔をしていた。

「夜更かしにはポテチだよなぁ……」

「明日、顔むくむぞ」

「青春にむくみは付き物なんだよ」

「何それ」

誠さんが呆れたように笑う。

会計を済ませ、三人はマンションへ戻った。

マンションの下に着くと、昌大さんがふと思い出したように口を開く。

「僕、一回部屋戻るわ。着替えとか取ってくる」

「結局帰るのかよ」

「そりゃ、コンビニで全部揃えるより安いし」

「現実的だな」

「エンジニアだからねぇ」

そう言って、昌大さんは階段の方へ歩いていく。

「先戻っててー」

「はいはい」

理緒と誠さんは、二人でエレベーターに乗り込み、部屋へ戻った。

さっきまで三人いた部屋は、急に静かに感じる。

理緒は何となく、さっき会議中に座っていた場所へ腰を下ろした。

誠さんは買ってきた物を冷蔵庫へ詰めながら、何気ない調子で口を開く。

「そーいや、達也と連絡取ったぞ」

「……え?」

思わず顔を上げる。

「今イギリスいるから、なかなか時間合わねぇけど」

「……なんて?」

「元気にしてるって。あと、お前と同じ大学だって言ったら驚いてた」

理緒は少しだけ目を伏せる。

「……そりゃ、驚きますよ」

それから、小さく尋ねた。

「他には……?」

「まだそこまで話せてない」

「……そうですか」

誠さんは冷蔵庫を閉めると、そのまま寝室へ入っていった。

理緒は一人になり、何となく部屋を見回す。

仕事用の機材。
雑然としたコード類。
積み上がった雑誌。
無造作に置かれた服。

決して綺麗な部屋ではない。

でも、不思議と不快感はなかった。

ゴミはちゃんと片付いているし、必要な物の場所は把握しているのが何となく分かる。

――性格、出てる。

そう思った時だった。

寝室から誠さんが戻ってくる。

紺色のスウェット姿。
手にはグレーのスウェットを抱えていた。

「とりあえず着替え。デカいと思うけど我慢して。シャワーは先にどうぞ」

「……ありがとうございます。お借りします」

「寝るのは奥の寝室な。こっちは俺と昌大で適当に寝るから」

「そんな、私ソファで十分です」

誠さんがニヤッと笑う。

「寝顔見せてくれんの?」

「……見ないでください」

「じゃ、寝室な」

「……すみません」

その時、玄関が勢いよく開いた。

「ただいまー!」

「お前ん家じゃねぇだろ」

「今は泊まりに来てる身だから」

そう言いながら入ってきた昌大さんは、すでに部屋着姿だった。

ぶかぶかのTシャツにジャージ。

胸元には、有名なお菓子メーカーのロゴが大きく入っている。

理緒は思わず目を留める。

「あ、そのTシャツ可愛いですね」

「分かる!? 俺の勝負部屋着」

「何の勝負だよ」

「理緒ちゃんに可愛いって言ってもらう勝負?」

「俺は参加してねぇ」

そのやり取りが妙におかしくて。

理緒は、思わず声を上げて笑ってしまった。

「あははっ……」

自分でも驚くくらい自然な笑い声だった。

昌大さんは少し目を丸くする。

「わ、理緒ちゃんってそんなふうに笑うんだ」

「あ……」

少し照れながらも、笑みは消えない。

「お二人、本当に仲いいですね」

「こいつが絡んでくるだけ」

「照れてる照れてる」

「うるせぇ」

そんなやり取りをしながら、夜はゆっくり更けていった。

最初に限界を迎えたのは昌大さんだった。

タブレットを抱えたまま、こくりこくりと船を漕ぎ始める。

「あ……昌大さん、寝ちゃいましたね」

「おー、神崎さんももう寝ていいぞ。俺はあとここだけ終わらせたい。ずっと、“あとちょっと”が終わんねぇんだよ」

「どこ直してるんですか?」

「この文字配置。なんか微妙で」

理緒は立ち上がり、誠さんのノートPCを覗き込む。

自然と距離が近くなる。

「……ここ、スペース半角にしたら収まりませんか?」

「……あ、ほんとだ」

少し操作する。

「バランス取れたな」

「終わりそうですか?」

「たぶんな」

そこでふと、距離が近いことに気付いた。

理緒は小さく身を引く。

「……それじゃ、おやすみなさい。ベッド、お借りします」

「おやすみ」

理緒は寝室へ入り、そっと扉を閉めた。

借りたスウェットへ着替える。

袖が長くて、少しぶかぶかだった。

ベッドへ横になる。

知らない部屋。
知らないベッド。
初めての外泊。

本来なら、もっと緊張して眠れないと思っていた。

でも、

扉の向こうから聞こえる小さな物音や、人の気配が、不思議と安心感をくれる。

理緒はゆっくり目を閉じた。

気付けば、そのまま静かに眠りへ落ちていた。
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