恋とか、愛とか。

恋する乙女の事情

「やっとか! 柚葉が恋するなって!」
放課後の教室に、綾香の大きな声が響いた。
柚葉は思わず顔をしかめる。
「うるさい……」
「だってさ! ずっと“恋とか興味ない”って顔してたじゃん!」
綾香は机に身を乗り出して、楽しそうに笑う。
「で? 誰? 川口くん?」
「ち、違うし」
即答したのに、声が少しだけ揺れた。
その小さな変化を、綾香は見逃さない。
「え、なにその反応。え、マジで?」
「だから違うってば」
そう言いながらも、柚葉の心臓は落ち着かない。
――川口諒。
名前を思い浮かべただけで、胸が少しだけ騒ぐ。
けれど、それを「恋」と呼ぶには、まだ自信がなかった。
「じゃあ誰なのさ」
綾香は頬杖をついて、にやにやしながら見つめてくる。
柚葉は視線を逸らした。
「……別に、いない」
「うそだー」
即座に否定される。
「柚葉ってさ、隠すの下手だよね」
「うるさい」
軽口を叩きながらも、教室の空気はどこか柔らかい。
こうやって、何でもない話をして笑い合う時間が、私は嫌いじゃなかった。
むしろ、少しだけ安心する。
「まあいいけどさ」
綾香は背伸びをして、窓の外を見る。
「恋ってさ、する時は勝手に落ちるもんだよね」
「……なにそれ」
「だってさ。気づいたら好きになってるんだよ。気づいた時にはもう遅い、みたいな」
その言葉に、柚葉は一瞬だけ言葉を失う。
気づいた時にはもう遅い。
そのフレーズだけが、妙に胸に残った。
「柚葉もさ、そのうち分かるよ」
「分かりたくないんだけど」
「まあまあ」
綾香は笑いながら、柚葉の肩を軽く叩いた。
「でもさ、もし好きな人できたらちゃんと言いなよ? 私、全力で応援するからさ」
その言葉に、柚葉は小さく目を伏せる。
応援。
その言葉が、少しだけ怖かった。
もし本当に好きな人ができたとして。それが誰かを傷つけることになるなら。
――私は、どうすればいいんだろう。
「……できたらね」
小さくそう答えるのが、今の柚葉の精一杯だった。
綾香はそれを聞いて満足したように笑う。
「よし、じゃあ恋愛解禁ね!」
「勝手に解禁しないで」
そう言いながらも、柚葉の胸の奥にはまだ、名前のない感情が静かに残っていた。
その正体を、この時の柚葉はまだ知らない。
そして綾香もまた、それを知ることはないまま、いつも通り笑っていた。
< 14 / 19 >

この作品をシェア

pagetop