泣きたくなったら、こっちへおいで
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「田中ー!」
朝礼が終わり業務に取り掛かろうとすると、決まって同じ男からお呼びが掛かる。
お馴染みのよく通る声に返事をすると、私はノートパソコンを手に一旦デスクを離れて少人数用のミーティングルームへと向かう。
そこで、私と彼の秘密のルーティンは行われる。
「今日新規行くんだったよね?」
「そう、アポ取った時は反応まあまあ渋めだったんだよなー。もうすでに緊張して泣きそう」
「よしよし、こっちへおいで、夏生くん」
部屋の鍵がしっかり掛かっていることを確認し、私が立ったまま両腕を広げると、晴永が吸い込まれるように正面から私の腕の中へ入り込んできた。
……比べるまでもなく晴永のほうが背が高いし体格も良いので、抱きつかれるとどちらかというと私が包み込まれるような体勢になるのだけれど。
「晴永なら大丈夫だから。頑張って」
「うん……今日終わったら芙美の家でいい?」
「了解、じゃあ定時で上がれるように私も頑張ろう」
ズッ、と頭上から鼻を啜る音が聞こえたので、私はすかさずジャケットのポケットからハンカチを取り出して晴永の顔を見上げる。……ほら、もう目が潤んでる。
残業オフィス号泣事件から一カ月ほど経ち、晴永は私の前ではすっかり素に戻り、泣きたい時にちゃんと泣くようになった。
以前は家に帰ると理由もなく涙が止まらなくなっていたそうなので、よほど溜め込んでいたんだなあ……と改めて実感する。
心なしか、最近はガチガチに作り込んでいた圧の強い直射日光スマイルも和らぎ、自然な笑顔になってきているような。なっていないような。
……でもやっぱり私は、今のこの彼が好きだ。
「明日休みだし夜は映画観ようよ。気になってたけどまだ観れてないのがあって」
「どうせまた俺が泣くやつだろー」
「いいじゃん、泣こうよ」
ぽとりとこぼれ落ちてきた小さな雫をそっと拭い、爪先立ちをして彼に口付ける。
彼の涙が止まるまでの数分間、私たちは今日の予定を話しながら抱きしめ合っていた。
END

