霧に包まれた道の駅

周辺の音が消えた、朝が来ない……夜霧に喰われる『道の駅』

渓流釣りに出掛けたおじさん。男やもめの独身でアラフィフ。その渓流で起きた異変、鳥のさえずる声がなくなり、濃い霧が発生して高速も通行止め、道の駅で立ち往生することとなる。

夜、多く停まっていた筈の車が駐車場からなくなり、おじさんは孤独になる。濃霧は普通ではなかった。その後、何かに怯える女性二人と合流する。朝になったら大きな街に行きましょうと一緒に過ごすことになるが朝が来ることはなかった。

 ◇◇

「二人とも、もう車のドアがもたん! あの自動販売機の横を通って道の駅の裏手にある暗闇に紛れて逃げるぞ。君たちが逃げるまで俺がオトリになる」

『大丈夫なんですか?』

「やるしかないだろう。先に俺が惹きつける。その後、一斉にドアを開けて自動販売機まで走れ」

『わ、分かりました』

(せめて、この子たちだけでも逃がさなきゃ)

「太陽が昇るまでは建物の陰に隠れて絶対に出るな、その後、合流しよう」

『おじさんは……』

「何とかなるだろ、いや、何とかする。心配するな」

『む、無茶だけはしないでくださいね』

 恵美が俺の手を握る。目には涙が潤んでいた。強がりさんだな。

『わたしたち、いつまでも待っていますから!』

 優香がその上から手の平をかぶせる。真っすぐな目をしていた。

 手のぬくもりを感じつつ俺は二人の女の子を交互に見た。そして力強く頷いた。

「よし、今だ行くぞ!」

『『ハイ!』』

 ―――まるでリアル『ここは俺に任せて先に行け』そのものであった。

 ◇ ◇

 ここは奥深い山の中。

 会社の連休で日本の真ん中辺にある天庄川という渓流に釣りをしに来ている。
 俺はアラフィフのおっさんである。

 俺もいい年齢になったし、日々の疲れを積み上げているものの、趣味である渓流釣りのおかげで都会を離れてリフレッシュできている。

 理系大学では空手部、高校では空手道場に通っていたが、普通の体格で細マッチョな自分では精神まで陽キャになれず、気がついたら独身のまま今を迎えてしまった。

 高速が繋がって渓流まで通いやすくなった。今日は晴天、初夏の空気で涼しげに木の匂いがしている。

 以前なら、この釣り場には山越えをしてクネクネとした山道を延々と車を走らせる必要があった。
 長い道を夜に走って朝マズメに間に合うようにするのだが、疲れていると道を外れてしまうし、下手を打つとガードレールを突き破って崖から落ちて車は大破、という過酷さがあった。

 何台ものトラックや車が崖下つまり谷底に落ちてしまってドライバーが命を落とした。
 俺も何度も眠気に襲われて山道の避難スペースで休憩を取った経験があった。

 事故を起こさないように気をつけたいものだ。

 また山の中の小さな町では、急病になるとドクターヘリを呼び、離れた市の病院に空輸されるか、その場で医師が何とか出来るなら処置するという形を取っている。

 野生動物も多いが、クマが近くで目撃されることも珍しくなく、シカやサル、イノシシ、タヌキなどは普通に観察できるほど田舎であった。感動的だったのは黄色の大きなテンを目撃した時、川の対岸に早朝に現れたのだが、釣りをしている俺に気づかないのか十分ぐらい佇んでいた。また、夕方に目撃したカモシカは山の神様の使いじゃないかと思わせられるほど知的な雰囲気をまとっていた。

 そんな場所で釣りをするので、予防のためにクマスプレーやクマ予防の鈴も携帯している。
 幸い、俺はクマだけは目撃も遭遇もしていないまま現在を迎えている。

 渓流釣り、本流釣りでも釣り人は毎年多々亡くなっている。

 渓流で釣りをしながら遡行していく釣り人は、多くは登山経験もあり、登山ジャンルでも上級者に区分されるのだが、この天庄川のように高速が繋がって気楽に来ることが出来るようになると事故も多くなる。救急ヘリの稼働も多くなっていたようだ。

 最近では周知されたのかヘリ出動回数も少なくなってきた模様。
 関係ないが医師のヘリ搭乗は一回につき約八千円の手当てがつく。本当に関係ないが。

 ◇ ◇

 この天庄川、高速を降りるとすぐに道の駅がある。

 大きな駐車場には宿泊を兼ねたキャンピングカーが並び、夜は酒を飲んで騒ぐという光景も珍しくはなくなってきた。

 水のきれいなところで調理される蕎麦屋さんや避暑地狙いなのか大型バスの観光も増えてきて、なかなかに田舎の目玉になりつつあるといった傾向を感じた。

 こんな場所なら田舎暮らしも悪くないと思う。
 夕飯には釣った渓流魚の塩焼き……骨酒も良い。

 真冬の豪雪地帯であるという事は、どこかに置き忘れている。

 ◇ 

 海釣りと違い、渓流釣りは基本、単独での釣行となる。

 渓流魚は警戒心が強く、海の堤防のように仲良く複数人で釣っていると逃げてしまい岩の陰に隠れてしまいがち。

 従って小物狙いならまだしも大物狙いの釣り人にとっては朝一に釣り場に入るのは必須条件だ。

 一人でも先行者がいると、そのポイントでは数時間は釣れなくなったりするので慎重にポイントに近づき、川に近づくのでも足音を立てずに行わなければならない。

 川に降りてみると……

「今日は水が少ないな。晴れているし渓流釣りには厳しいかも」

 俺はかなりガッカリしてしまった。

 晴天に加えて水が少なく流れもあまりない。
 朝マズメを逃したら次のチャンスは夕マズメにしかない。
 厳しい戦いになることが窺えた。



 しかし、この時の俺はまだ深夜から日の出まで別のものと戦うことになるとは夢にも思っていなかった。

 ◇

 大物との出会いがなかった俺は、午前中に小魚たちと戯れ、昼に道の駅周辺に車で戻って蕎麦屋さんの美味しい蕎麦を堪能した。ヤマメの甘露煮、アユの一夜干しも追加して奮発した。

 美人の女将さんと普通に会話する。

『今日は釣れましたか?』

「いえ、全然でした。午後に賭けます」

『毎年、毎年、ありがとうございます』

「このお店が敷地内移転した時は閉店するのかと心配してたけどね」

『ふふ、御贔屓にして下さり誠にありがとうございます』

 こんな感じである。美しい人に笑顔を向けられると不慣れな俺は緊張してしまう。

「う、うまい!」

 このお店には高速が出来る前から通っていたゆえ既に身内みたいな感覚になっている。都会のお店では中々常連にはなりにくいが、田舎で少ない貴重なお食事処だ。

 誰もが数十年も通っているとこんな間柄になる、と思っている。

 上品な女将さんや女中の若い女性たちとは顔見知りになっているが、お客さんが多くなってくれば、俺もその他大勢に含まれるようになるだろう。しかし独身故、今はこうやって挨拶したりできるのが嬉しいものだ。

 笑顔が素敵な女性たちであり、厨房の親父さんも気さくで優しく接してくれる。

『釣り、お気をつけて。また来てくださいね』

 笑顔を向けられると実際とても嬉しい。社交辞令だとしても、だ。

「また、明日の昼も来ますね」

 その明日には来られないことを未だ俺は知らなかった。

 ◇

 ささやかな地元の方々との交流を経て、俺は再度釣りに戻った。
 相変わらず釣れなかった。

 釣れない釣りほどつまらないものはないと言うが、渓流の場合は、場所移動を転々とすれば釣れない事もない。

 一流釣り師しか知らない秘蔵ポイントとか、到底、降りられない崖の下とか、釣り人が入っていなければ昼間でも普通に釣れるし、大物野郎としての俺もベテランの域にいる為、色々と工夫している。

 今日は今までの工夫が全く通用しないほど釣れなかった。
 なぜだか全く釣れない。ウグイのアタリすらない。

 

 異変はその夕マズメ直前の午後に起きた。

 吹いた風に木が揺れる音がした。これがキッカケだった。

 小鳥のさえずりが消えた。無音になった。

 猛禽類が空を飛ぶ光景も無くなった。

「どうした? クマでも出るのか」

 こんな山奥での異変に遭遇するというのは命の危険に直結することは知っている。
 異変という現象を舐めてはいけない。鉄則だった。

 すると、あっという間に周辺が霧に覆われていった。

 変な臭いはしなかった。

 明るかった周辺が薄暗くなる。

 これから雨が降るようには思えない。

 ただ気温が下がってきた。

 山中では何度もゲリラ豪雨や突然のカミナリを経験してきた。
 しかし今回は違う。何かが違うと感じた。

 俺は釣りを止め、周辺を見渡した。動くものは何もいない。
 見慣れない霧の濃さだ、とぼんやり思った。

 スマートフォンを取り出して画面をタップし天気図を表示する。
 低気圧もなく、等圧線も広いから風も弱い。晴天マークのままだった。

 俺は空を見た。霧を通して見えた薄い太陽が山陰に近づいていた。

 もう間もなく夜が来る。

「おや? 近くを通る車の音もしないぞ」

 その時、静かがゆえに遠くで何かが鳴いたのが聞こえた。それが何の動物なのか、別の何かなのか分からなかった。


 ただただ嫌な予感が増すだけだった。
 これは生物としての勘だったのかもしれない。

 ◇ 


 早朝の渓流


 周辺の音が消え、急にガス(霧)に包まれた!


 #同じ場所です。AI画像ではありません。

 ◇ 

 谷底で釣り道具を片付け、えっさこらさと崖を登って車までようやく辿り着いた。

 すでに暗くなっていた。

 谷底は道路上より暗い。ギリギリ間に合ったという感じだ。

 懐中電灯で足元だけを照らして転ばないようにして歩いたので筋肉が叫んでいた。金属疲労の実験のように疲労困憊(ひろうこんぱい)だ。

「せめて三十代の体力が戻ってきて欲しい。ふぅ、疲れた」

 釣り道具類を車のトランクに積み込み、釣りベストと防水ウェアを脱いで後ろの座席に置き、靴を運動靴に履き替えて運転席に座った。腰も若干痛いようだ。

「―――道の駅に行くか」

 道の駅には、売店、トイレに自動販売機、時間が早ければ天然温泉、お食事処が営業している。

 車のエンジンをかけヘッドライトを点灯すると、霧に光が乱反射して前が見えにくかった。
 周囲は相変わらず濃霧のままである。

「昔の車にはフォグランプが標準装備されていたのになぁ。今の車にはそれがない。これだけが不満だ」

 前がほとんど見えない濃霧の時は、そのまま車を走らせると危険だ。すぐに止まることが出来るようにトロトロと低スピードで走らせる。道端に車が止まっていないか、注意深く進む。

 一秒に一メーター進むといった感じで慎重にハンドルを握る。

 この場所に通って数十年。地域には明るいので頭の中でもカーナビでも迷うことはない。

「それにしても、この濃霧は酷いな。神秘的で趣深いから俺としては濃霧は好きだけど、時と場合による。全く見えないとは如何なものか」

 普通に車で走って十分ぐらいで道の駅には到着できるが、慎重にゆっくり走っていたために結構な時間を費やした気がした。

 目的の天庄川道の駅に到着したのだが……

「なんだ、なんか変だぞ」

 備え付けられていた道の駅の照明、街灯の光でも駐車場を広くは照らしていないものの、広い駐車場には車が一台も停まっていなかった。キャンピングカーも見当たらなかった。

 俺は電気の消えた天然温泉、おトイレ、自動販売機の集まっている場所に車を寄せて停め、一旦、トイレに行くことにした。

 トイレは出入り口のセンサー反応で自動点灯する。

「おっと科学の恩恵だな。光が点くと安心する不思議」

 相変わらずの独り言だ。

 手洗い場では釣り用の手袋を洗う。魚を外す際に握るので、いつもは川で洗うのだが、濃霧と道具をしまった際には暗くなっていたので、川で滑って落ちるのを防ぐ為お手洗いで洗うことにした。

 ま、一度、洗おうとして岩に滑って川に落ちたことがあるので危機管理というやつだ。
 濡れた手袋は後部座席の窓の下に置く。朝には乾いている事だろう。

 車に手袋を置いた後で自動販売機に向かう。

 大物を釣った時には『勝利の誓いコーヒー』を購入するのだが、今日は小魚ばかりでダメだったから安いコーヒーにしようと思っていたところ、更に濃くなった霧が身体にまとわりついてきた。

「この霧、やっぱりおかしいぞ」

 足を止め、一旦背伸びをしてみる。両腕を振り回してみると、まるで水中のような抵抗を感じる。霧が濃くなって水に限りなく近づいているのだろうか。

「いや、それだと既に豪雨になっているか。不思議だな、重力に負けずに空に浮かんでいるとは」

 空を見上げてみると、分厚い雲が海のように波打ち、月の明かりが透けている感じがした。神秘的な風景と言えない事もないが、背筋に寒気が走る。

 動物の鳴き声とか、とにかく騒音がない世界は不気味に感じる。

 俺はまた自動販売機の方に向かって歩き始めた。
 コインを入れ、缶コーヒーを二本買った。一本をグイッと飲み干し、販売機の横に据え付けられている空き缶入れに放り込む。もう一本は車に戻ったらゆっくりとチビリチビリと飲む。

 車を運転するのでお酒は飲まない。持ってきていない。

 何かあった場合に、山の神様にお酒を提供すると良いと聞くが、お供えするにも道祖神ぐらいしか見当たらず、いつの間にかお酒は持参しないようになった。

 よく釣りに行っている別の河川には不動明王が道路わきに祀られていたりするので、この天庄川では神社の境内まで行かないといけないもんな、と考える。

「それにしても、月明かりもなく電灯すら駐車場の手前までしか届いていない。少し奥になると全く見えないな。漆黒の闇というのが今まさにそれ」

 自動販売機前で立ち尽くしたような感じの俺。くるくると首を回して周囲を観察するも他に車もなく、誰もいない。雰囲気は徐々に怖く感じるようになってきた。

「さてと……」

 車に戻ろうとすると、自動販売機の反対側の建物の陰から女性が二人出てきて、自動販売機まで近づき、少しライトで明るくなったその場で座り込んだ。太ってるポッチャリ型とほっそりスレンダーの二人だった。年齢は二十歳代ぐらいか。


 ―――正直に言う。俺は死ぬほど驚いた。

 ◇

(関わると面倒だな)

 しかし放っておけず助けることにした。
 俺は怪しまれないよう、丁寧に笑顔を作って軽めの声で二人へ話しかけた。

「えっと、こんばんは。凄い霧ですよね?」

 ぽっちゃり女子が唇を震わせて何か言おうとしているが目が揺れて声が出せない感じだった。もう一人の細い方は膝を抱えて顔を埋めてしまっている。震えている感じがしないでもないが、少し異常さを感じた。

「だ、大丈夫ですか? お二人とも」

 ぽっちゃりの子が顔をフルフルと横に振る。
 もう一人の方は反応が薄い。ショック症状みたいな印象だった。

「あ、あの、私は誘拐犯ではないですし、わ、私はよく釣りに天庄川に来るだけなんですけど、車に乗ってお話しませんか? 地面に座るよりかは良いと思いますけど、ど、どうですか? 人(さら)いの時はワゴン車ですから、わ、私の車はセダンですし、大丈夫ですからっ」

 大企業の管理職、部下も大勢いる。そんな人物が娘みたいな女子に上ずった声をかける……
 女の子に気を使いすぎてコミュ障気味になってしまった俺だった。

 運転席の後ろは釣り道具や服に占領されており、助手席とその後部座席が空いていた。後ろ座席に細い子、助手席にかろうじて会話に反応するぽっちゃり娘を座らせた。

 ドアをバタンと閉める。自分の独り言やこういうドアの開け閉めの音はする。

「後ろの子は大丈夫じゃなさそうだけど、街に行こうか? 救急病院があるから落ち着ける薬を貰えるよ」

 助手席のぽっちゃり娘に話しかける。後ろの座席に座る細い子を観ても俯いているだけで変わらない。顔をあげて会話を試みても難しそうだ。助手席のぽっちゃり娘は、頷いた。

「分かった。高速道路で大きな街のインターが二つ先にあるから早速行こう」

 ぽっちゃり娘が頷く。

「それとも119番して救急車を呼ぶのも選択としてはあるけど、ここまで来るのには結局その街の消防から来るだろうし、ヘリが来るかもしれないし、あ、いや、ヘリは霧で飛べないな」

 何を言っているのか自分でも分からなくなる程だが、下手を打ってしまうと誘拐犯扱いにされたりしないか? 少し女性に対して怖いのもある。

 そういえばAEDで心停止を回避するために使った優しい男性が、あろうことか救った女子に訴えられたりというニュースを読んでいたこともある。

 目の前で苦しむ怪我人を放置して無視するという国があることを聞いてはいたものの、ないな……と考えていた俺には、この日本でもいつの間にか同じになってやしないか? と思う訳で。

 という高尚な判断の結果、車で大きな街まで送ることにして、濃霧の中、またもや慎重にゆっくりと道の駅の駐車場を出て高速道路の入口に向かう。

 駐車場を出る際も周囲を観察していたが、やはりキャンピングカーを始め農家の営業車や若者の友人知人の待ち合わせの車さえないのは違和感をすごく感じる。

 そして

 ―――濃霧のため通行止め。高速道路公団―――

 当たり前の表示と車止めを見て、駐車場に引き返す我々だった。

「高速は通行止め、そうすると山越えか……無理だな」

 一人呟いて道の駅の駐車場、自動販売機の傍に車を停めた。
 隣の娘、後部座席の娘は二人とも何も話さなかった。

 とりあえず119番通報をしてみたが、電話が繋がらなくなっていた。圏外だ。

「なんだかマズいな。侵略とかSFだと、まずは電話が繋がらなくなるのが第一歩のセオリー」

 独り言を呟く。

「ちょっと待ってて。何か飲み物を買ってくるよ。リクエストはあるかい?」

 ぽっちゃり娘は首を振る。何でもいいのだと解釈した。後ろの座席の娘は俯いたままで反応なし。

 仕方がないので自動販売機の中から適当に選んで、スポーツドリンクとカルピス、緑茶、爽健美茶、コーヒーと複数を買った。缶ジュースの落ちる音がした。自動販売機の音だけがいつも通りとホッとする。

(くそぉ、事案に繋がりそうな若い女の子相手だと、どうして俺はこんなにヘタレになってしまうんだ)

 彼は会社でも女性社員との距離感には神経を使うようになった。

 溜息をつきながら車に戻ってジュース類を運転席と助手席との間のペットボトル入れに置く。

「好きなのを選んでな」

 ぽっちゃり娘はにこっと笑って頭を下げた。後ろの娘は塞ぎ込んだままだ。

「お、音楽をかけようか」

 車のミュージックボックスには山ほどのCDを取り込んである。アニメからゲームBGM、映画音楽、歌謡曲まで何でもありだ。ただ女の子が好む音楽は分からなかった。

 車の時計はまだ21:00である。濃霧の夜は長い。

 ◇

『おじさん、助けて頂いてありがとうございます。私は恵美(めぐみ)

『私は優香(ゆうか)です。飲み物もありがとうございました』

 ぽっちゃり娘は恵美。スレンダー娘は優香といった。

「恵美ちゃんと優香ちゃん、よろしくね」

 車での音楽が効果的だったのか、女子二人の精神が戻ってきたような感じになった。微笑む顔は可愛らしく、二人はタイプこそ違うものの整った顔とスタイルから、きっと周囲の男性陣からモテるだろうと思った。

 改めてホッと一息ついた。

 俺は女の子たちに向かって言う。


「朝の4:30~5:00には明るくなる。日の出までは時間もあるし夜も長いから、少し眠ろうか」

『『はい、分かりました、すみません』』

 女の子たちは丁寧にお辞儀をした。印象としては真面目な現代っ子という感じで、服装だけは山の生活に慣れたものを着用していた。

 朝になれば日の光で霧も散って、高速の通行止めも解除されるだろうし、街の病院まで女の子たちを送ってあげられる。ひと眠りすれば直ぐだ。正常に戻れる。

 車のエンジンを切り、音楽もなしで静かになった。ドアをロックした。
 三人とも目を瞑って眠ることにした。



 またもや周辺からの音は全くしなくなった。
 渓流釣りで車中泊をしたことがある人なら分かるが、静かすぎるのは怖いのだ。

 カエルはじめ(ぬえ)の鳴き声すらない。


 ◇


 長い夢を見ていた気がする。

 肩を揺すられて目が覚めた。

 助手席のぽっちゃり娘が唇に人差し指を当てて「しっ」とジェスチャーする。
 スマートフォンの画面を見た。時間はまだ24:00だった。スレンダー娘は眠ったままだ。
 そして目を窓から外に向けて俺にも見ろという。

 俺は目をこすりながら外を見る。

 相変わらずの濃霧のままだったが、自動販売機の側の明かりの中に、薄っすらと体長130㎝ぐらいの動物がうごめいていた。光の中で認識できるのは三匹ぐらいか。車の方には目を向けていないようだった。

 肌は黒っぽく、もっと明るい時なら色まではっきりと見えただろうが、黒ずんでいる肌の色としか今の時点では認識できなかった。二足歩行タイプで時々腕を使って四足歩行もしている。

 腕だけ異様に長く、目が白かった。

「つ、ツキノワグマ?」

 大きな熊に似た動物だったが、よく観察してみると明らかにクマではなかった。

 俺もぽっちゃり娘に目配せをして静かにしている。

『何をしてるのかしら?』

「恵美ちゃんは地元の人? あの動物、見たことないかな?」

『はい、見たことはありませんね』

 様子を窺って、このまま過ぎればいいと考えていたところ、広い駐車場に俺の車があるだけという状況では無理というもの、彼らは直ぐに車に近寄ってきた。

「ヤバい。こっち来る」
(女の子たちは俺が護らないといけないな)

『め、目が合いました……怖いです』

「そのままじっとして」

 こちらの武器は、クマスプレーと虫除けスプレー、釣竿(仕舞寸法が120㎝ぐらいの棒になる)、車の水没時に窓を割る小さなハンマーだけだ。

 心もとないが何もないよりかは随分ましだろう。

(渓流竿は軽くてしなやかさに特化してるから磯投げ竿の様にはいかない。まぁ目を突いていく戦法でいけるだろう)

 そして、襲ってきたら、まずは車で()ねてやろう。脳内会議では車を凶器にする、これ一択だった。

「大丈夫、俺達は安全だ。任せろ」


 残念なことに……こういう時のお約束、車をスタートさせようとしたら、エンジンが始動しなかった。

「そ、そんな……そんなぁぁ!」

『どうされたんですか?』

「エンジンが掛からない!」

『えっ』

 恵美も目を見開いて絶句している。息を呑む音が聞こえた。

「出来るだけ君たちを守る」
(本当に守れるのか不安だが、逃げることだけはしてはいけないな)

 明るくなるまであと四時間はある。持つのか……人間の力で勝てるのか? ツキノワグマにすら勝てないのに……

「後部座席の彼女を起こしてくれ。何とか君たちを守るから。また協力して欲しいことがある」

『わ、わかりました!』

 恵美が助手席から身を乗り出して優香の肩を叩いて起こす。

『キャッ』

 スレンダー娘の優香が目覚めたが、最悪の状況というタイミングの悪さ。

「しっ! 今、変な動物に囲まれて非常に危険な状態だ。車のエンジンもかからない。目を覚まして頭を働かせてくれ。いざという時は一緒に戦うぞ」

『は、はい。でもどうしたのです?』

 恵美の顔つきを見た優香は、その真剣さに直ぐに深刻な状況なんだと理解した。
 優香も車の窓から外を観察し『ひっ! なにあれ』と小さく呟いた。

「車の中までは入ってこれない。すぐ戦闘という訳じゃないし時間はある。君たちにクマスプレーや防虫スプレーの使い方を教えるよ」

『防虫スプレーはいつも使ってますから大丈夫です』

「そりゃそうだな、じゃ、クマスプレーだ。ここを手りゅう弾のように引っ張って……」

『手りゅう弾がそもそも分かりません』と優香。

「了解、セッティングだけやっておくから、ここを握って引き金を引く、それだけ」

『分かりました、おじさまって何でもご存じなのですね』と恵美。

「まぁ、馴れてるからね」

 彼女(めぐみ)の手に俺の手を添えクマスプレーの使い方を試みると、なぜか絵美は顔を赤らめ恥ずかしそうにしていた。

『お、おじさま……』

 テンパっている最中でのやり取り、まるでコントだった。


 窓から外を見る。少し先にある漆黒の闇の先には悪意ある怨霊のような存在も感じられた。

 怖い。

 音がしないから怖さが倍増しているようだ。

 一気に深刻な顔つきになった俺。

 ◇


 風は右から左へ流れている。

 左側助手席のぽっちゃり(めぐみ)にはクマスプレーを、後部座席のスレンダー(ゆうか)には防虫スプレーを渡した。

「いいかい、右側は俺が死守する。君たちは近寄ってきた奴らの顔をめがけてスプレーを噴射して欲しい。窓を少しだけ開けて噴射するんだ。目に掛かれば多分逃げていくはず。特にクマスプレーは強力だ。きっと退散させることが可能な筈だよ」

『はい。大丈夫かな私』と助手席の恵美は不安顔。

 防虫スプレーだって目に入ればイケるはず。

『まだ私、脳内パニック中です』

「うんうん、大丈夫だから。今やれることをするだけだよ」

 こういう会話をしながらも車の窓から外を監視する。
 クマに似た怪物がこれ以上増えなければいいのだけど。

「俺は釣り竿を武器にして戦う。外に飛び出したとしても心配せずにドアロックをしてくれ」

「くれぐれもクマスプレーは自分の目に入れないように。噴射も少しずつで。押しっぱなしにすると直ぐに無くなるから注意な」

『わかりました』

『はい……』

 なにせ初めての経験だ。
 どんなことが有効で、何をすればいいのかすら冷静に考えることが出来ない。

 自動販売機の前に出てきたのは三匹だけ。
 こちらを向いて慎重に警戒しながら徐々に近寄ってきている。
 その様子から知的な動物だと分かる。

「他に仲間がいるかもしれないから迅速に排除する。頑張ろう」

『『はい!』』

 可能なら俺の大声に驚いてすぐに俺たちの側から逃げていってほしい。

 俺は車のドアを開けて飛び出した。

 ◇

 戦いは長引いた。長引いた理由としては……

 ツキノワグマに似た異様な動物は頑丈であったが、竿で叩けば(ひる)む。蹴っても殴っても怯んでくれた。そして蹴ったら暫く距離を取って休憩するみたいになる。その後、回復したら又こちらに向かって来る。

 中型クマのように大声を出してもビビって逃げ出してはくれなかった。
 彼らは攻撃している間は声が出せないようで、威嚇も猫の『シャーーッ!』であった。

 一方でクマスプレーや防虫スプレーは効果てきめんだった。
 匂いに敏感なのか、スプレーを僅かに吹きかけるだけで距離を取って休憩する様子が窺えた。

 俺の方は殆どダメージらしいものを与えることが出来なかった。
 現実は厳しかったのだ。

 アラフィフという肉体の衰えは体重が軽く背丈も170㎝ほどなので、ほとほと持続性がなかった。疲労が蓄積し、俺の動きも遅くなってきた。ただ女性たちを守らなければという正義感だけ。

 そして女子が乗る車に三匹が攻撃を仕掛けてきた。

『いやぁぁ~~~~!』

 これは堪らんと俺は運転席のドアロックを外し車に乗り込む。

「大丈夫だ、車までは壊すことが出来ないからな」

 一匹は車の下へ潜り、もう一匹は車の屋根へ登る。
 非日常過ぎて頭がおかしくなりそうだ。車はボンネット、ドア、リアともどもボコボコにされていた。

「俺の愛車を……」

『おじさま、わたしたち殺されてしまうのですか?』

「恵美ちゃん、そんなことは俺がさせないよ、大丈夫」

『はい……ありがとうございます』

 お礼を述べる彼女(めぐみ)も守られているだけではダメだということが分かっているのだろう、覚悟を決めた目つきで優香の顔を見て互いにコックリ頷いていた。

 ◇

 車の時計を見ると3:30、もう一時間も経てば日の出である。
 しかし車の周囲には三匹の魔物みたいなものが囲んでいる。濃霧も相変わらずであった。

 俺には妻も子供もいない、寂しい()()()()だ。
 ただ毎日一生懸命に働いて生きているだけ。それがこんな事になるなんて。

 出来れば別れた恋人ともう一度会いたかった。もう結婚してるだろうけど。いや普通の家庭を作ってみたかった。

 俺は……どうやら二度と会社にも行けそうもない。

 最後に思い浮かぶのが仕事のことだとか、何という寂しい人生だったのだろうか。そんなものは生死の狭間にいる俺には全く関係ないじゃないか。

 怪物たちとの戦いが惰性になりかけていた頃、新たにもう三匹現れる。

『ひっ!』

「そんな馬鹿な……」

 ◇

「いい加減、巣に戻れ! しつこいぞ! こんなにダラダラした長い戦闘、まるでワ〇ピースじゃないか! 視聴者や読者がブラウザ閉じて帰ってしまうぞ。ちくしょー」

 いくら強がっても普通の人間としては必殺技がないため、これでも上出来である。

 現在4:00

 もうすぐ朝日が出る。明るくなれば夜行性とみられるツキノワグマ(よう)生命体は巣に戻るか、きっと居なくなるだろう。それまで耐え忍ぼうと頑張る。

 たった三十分堪えればいいんだ。ただ計六匹になっている。
 ドアまで引きちぎられそうなほど攻撃が激しくなった。

 ―――女性陣に渡したスプレーのガスが切れてしまった。
 彼女らは窓をしっかりと閉めて車の中で待機する。

 ツキノワグマ様生命体は車に近づくと変な刺激臭を噴射されると学習し、窓を棍棒で割ろうとか考えなくなっている模様。そのおかげで現在も無事でいられると考えられる。

 やつらは車に不用意に近づかずにいたが、またガンガンと車を破壊し始めた。
 今まで唸っていただけだったのに人語のような声を出す。

「〇〇〇、△△△」

「△△△、〇〇〇」

「「きゃぁ~~~~!」」

 女子達が泣きわめき始めた。

「おいおい、本当に何なのか」

 ―――あと二十分。時計が狂っていたとしても、どんなに遅くても一時間以内には明るくなる。

 今は俺だけが頼り。女の子たちを守るんだ。
 ガンバレ、頑張るんだオレ。



 五時になり、まだ暗い。

 六時になった。空は黒いままだ。


 ぽっちゃり(めぐみ)が言う。

『朝が来ないわ……』

 恵美の声は可愛らしい音域をしていた。

 優香も一言。

『もうダメ……』

「二人とも、諦めるな」

『おじさま……』

 もう恵美は泣いていた。

 朝日はいつまで経っても昇らず、周囲は明るくはならなかった。濃霧も健在だった。



 現在、朝の7:00

 ぽっちゃり(めぐみ)に車のキーを渡し、エンジンを時々かけるようにしてもらっているが、エンジンは相変わらずかからなかった。

 俺の心はもう燃え尽きている。

(やっぱり時計が狂ってるのか? それとも、まさか……異次元にでも入ってしまっているのか)

 周辺は暗いまま、霧は全く薄れないままであった。


 ◇


【お蕎麦屋さん】

 お昼。

『もう午後の二時ね。昨日はお昼にもう一度来られると仰られていらっしゃったんだけど』

 女将の言葉に呼応して女中たちはポツリと呟く。

『渓流釣りで怪我でもしてなければいいのですけど』


 数十年もの間、毎シーズンの渓流釣りのたびに店に寄っていたアラフィフの男性が、この日、約束を破って店に現れることはなかった。

 そして地元の女子二名、恵美と優香も行方不明になり、警察の必死の捜索努力にもかかわらず見つからなかった。彼女らの残された遺品のスマートフォンには自撮り画像が残っていた。



 ぽっちゃり(めぐみ)とスレンダー(ゆうか)
 なぜ彼女たちは行方不明になったのか? 原因は掴み切れなかった。


 そして地元の人たちは噂し合った。

『この場所は、不定期で夜に霧が出て、人命を奪うという恐ろしい場所だ。魔物が出てくるとか、悪霊の棲家とか言われている。観光の人たちが足を踏み入れていい場所ではない。即刻、立ち去るよう勧告しなければならない』

 さらに行方不明になる人が増加していった。

『この村も終いじゃのう』

 蕎麦屋の主人
「行方不明? 何の話です?」



 そして、時は流れる。

 ◇ ◇

【お蕎麦屋さん】

 お昼時

「こんにちは~」と外見から三十代の背広がくたびれたおじさんが暖簾(のれん)をくぐった。

 女将さんが出迎えた。

『いらっしゃいませー、こんにちは』

「いやぁ、すみません。道に迷ってしまいまして。食事しながら教えて頂こうと思って」

『もちろんです。お食事はランチで?』

「はい、よろしくお願いします。道に迷って走り回ったおかげか食べるのが久しぶりで嬉しいですよ、これからも通いますから宜しくお願いしますね」

 つい鼻の下をのばすサラリーマン。

 ぽっちゃり娘がお冷を盆にのせて持ってきて改めて注文を取ったが、彼女は女将さんの従妹だそう。

 スレンダーな女中も奥から顔を出した。

 二人とも結構な美人なので目で追っていると

『ふふ、この子たちは昔からここで働いているんです、御贔屓にしてくださいね』


 厨房からアラフィフとみられる主人が顔を出してサラリーマンに声を掛ける。

『あの子らは昔から店の看板娘なんですよ』

『今日は霧が濃くなりますから道の駅で休まれた方が良いです。運転も危険ですから』







 三人は行方不明ではなかったのか。いつ帰ってきたのか。誰も知らない。

 ―――この怪異はまだまだ続きそうである。

【Fin】
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