救急恋愛フラワー
1話:ブーケと鼻血と私
第1話「ブーケと鼻血と私」
花守紬希は、人生で何度目になるか分からない絶望を味わっていた。
目の前には真っ赤な惨状。
床にも。
机にも。
そして――
「ひーちゃぁぁぁぁん!! ごめぇぇぇぇん!!」
紬希は涙目で叫んだ。
「だから大丈夫だって」
向かいに座る天ヶ瀬燈乃は、アイスティーを飲みながら呑気に答えた。
「大丈夫じゃないよぉ!」
「いや大丈夫だから」
「ひーちゃんのドレスのカタログに鼻血つけちゃったぁ!」
「三冊目だし」
「三冊目!?」
「歴代記録だと七冊だからまだ半分」
「記録にしないでぇぇぇ!!」
カフェ中の客が振り返る。
燈乃は慣れた様子でティッシュを差し出した。
「はい」
「ありがとう……」
「落ち着いた?」
「うん……」
「じゃあ結婚式の話に戻ろうか」
「戻れるの!?」
紬希は驚愕した。
普通ならもっと怒るだろう。
だが燈乃は昔からこうだった。
小学校。
感動的な卒業式。
校長先生の話で号泣した紬希は盛大に鼻血を出した。
中学校。
合唱コンクール優勝。
感動して鼻血。
高校。
友達の告白成功。
感動して鼻血。
大学。
サークル引退式。
感動して鼻血。
そして現在。
二十六歳。
未だに治らない。
感情が高ぶると鼻血が出る。
意味が分からない体質である。
「ねぇ」
燈乃が言った。
「今回だけは鼻血出さないでね」
「出さないよ!」
「本当に?」
「本当に!」
「私の結婚式だよ?」
「だから出さない!」
「前に推しのライブで」
「忘れて!」
「最前列で」
「忘れて!」
「推しと目が合った瞬間」
「忘れてぇぇぇ!!」
「鼻血で最前列退場したじゃん」
紬希は机に突っ伏した。
黒歴史である。
しかも動画が残っている。
「大丈夫」
燈乃は笑った。
「今回は感動しすぎなきゃいいだけだから」
「そうだよね」
「泣かなきゃいい」
「泣かない」
「感動しなきゃいい」
「しない」
「私がドレス姿で出てきても?」
「……」
「バージンロード歩いても?」
「……」
「お父さん泣いてても?」
「……」
「誓いのキスしても?」
「……」
「紬希?」
「無理かもしれない」
「だと思った」
燈乃は爆笑した。
◇
結婚式の一週間前。
紬希は本気だった。
本気で鼻血を防ごうとしていた。
「感動しない」
朝。
鏡を見ながら唱える。
「冷静になる」
唱える。
「私は冷静」
唱える。
「感動禁止」
唱える。
その直後。
スマホに届いた。
燈乃からのメッセージ。
『ドレス最終フィッティング終わった♡』
添付写真。
「……綺麗」
じわ。
「あ」
たらり。
「いやぁぁぁぁぁ!!」
鼻血だった。
◇
翌日。
職場。
「また?」
店長が言った。
「またです……」
「結婚式いつ?」
「三日後です」
「もう無理じゃない?」
「私もそう思います」
雑貨店スタッフたちは全員うなずいた。
もはや職場公認である。
誰も驚かない。
「ティッシュいる?」
「ありがとうございます」
「止血剤いる?」
「ありがとうございます」
「結婚式中に救急搬送されないでね」
「縁起でもないこと言わないでください!」
◇
そして迎えた当日。
快晴。
雲一つない青空。
式場は海の見えるチャペルだった。
白い壁。
ガラス張りの祭壇。
キラキラと光る海。
絵本みたいな景色。
「……」
紬希は震えた。
「綺麗」
既に危険だった。
「駄目」
自分の鼻を押さえる。
「落ち着け」
深呼吸。
「私は冷静」
深呼吸。
「私は冷静」
深呼吸。
「私は冷静」
「なにやってるの?」
後ろから声。
振り返ると友人の雨宮柚葉だった。
「鼻血対策」
「結婚式に?」
「命懸け」
「戦場みたいに言うな」
◇
控室。
燈乃はウェディングドレス姿だった。
その瞬間。
紬希は固まった。
「……」
「どう?」
燈乃が照れ臭そうに聞く。
「……」
「紬希?」
「……」
「紬希?」
「綺麗……」
ぽろ。
涙。
「お」
燈乃が構える。
「ひーちゃん綺麗ぃぃぃぃ!!」
「来たな」
「うわぁぁぁん!!」
号泣。
だが。
鼻血は出ない。
「耐えた!」
燈乃が叫んだ。
「耐えた!」
「耐えたよ私!」
「やった!」
二人で喜んだ。
しかし。
興奮しすぎたせいで。
五秒後。
たらり。
「……」
「……」
「ひーちゃん」
「うん」
「ごめぇぇぇぇぇん!!」
「知ってた!」
◇
その後。
メイクスタッフ。
カメラマン。
親族。
友人。
全員が状況を知った。
「ああ、花守さんですね」
「例の」
「聞いてます」
「聞いてるんですか!?」
もはや情報共有されていた。
燈乃が笑う。
「いつものことなんで〜」
「軽い!」
「大丈夫大丈夫」
「ひーちゃん!」
「死なないから」
「そういう問題じゃない!」
◇
そして。
チャペルの扉が開く。
参列者が座る。
静かな音楽。
神聖な空気。
紬希はハンカチを握り締めた。
(駄目だ)
(泣くな)
(感動するな)
(鼻血出すな)
人生最大のミッションだった。
前方では新郎・東雲岳が緊張した顔で立っている。
その顔を見た瞬間。
(もう泣きそう)
早い。
早すぎる。
紬希は必死に耐えた。
すると隣の柚葉が小声で言う。
「賭ける?」
「何を?」
「いつ鼻血出るか」
「やめて!?」
「私は誓いのキス前」
「最低だ!」
「三千円」
「賭けない!」
◇
やがて。
扉が開く。
純白のドレス。
父親に手を引かれた燈乃。
美しかった。
本当に。
息を呑むほど。
綺麗だった。
紬希の視界が滲む。
「……」
鼻を押さえる。
まだ大丈夫。
まだ。
まだ。
たぶん。
きっと。
おそらく。
願わくば。
この時の紬希は知らなかった。
数十分後。
自分がこの結婚式を永遠に語り継がれる伝説へ変えてしまうことを。
そして。
その事件がきっかけで。
ある一人の男と出会うことになることを――。
花守紬希は、人生で何度目になるか分からない絶望を味わっていた。
目の前には真っ赤な惨状。
床にも。
机にも。
そして――
「ひーちゃぁぁぁぁん!! ごめぇぇぇぇん!!」
紬希は涙目で叫んだ。
「だから大丈夫だって」
向かいに座る天ヶ瀬燈乃は、アイスティーを飲みながら呑気に答えた。
「大丈夫じゃないよぉ!」
「いや大丈夫だから」
「ひーちゃんのドレスのカタログに鼻血つけちゃったぁ!」
「三冊目だし」
「三冊目!?」
「歴代記録だと七冊だからまだ半分」
「記録にしないでぇぇぇ!!」
カフェ中の客が振り返る。
燈乃は慣れた様子でティッシュを差し出した。
「はい」
「ありがとう……」
「落ち着いた?」
「うん……」
「じゃあ結婚式の話に戻ろうか」
「戻れるの!?」
紬希は驚愕した。
普通ならもっと怒るだろう。
だが燈乃は昔からこうだった。
小学校。
感動的な卒業式。
校長先生の話で号泣した紬希は盛大に鼻血を出した。
中学校。
合唱コンクール優勝。
感動して鼻血。
高校。
友達の告白成功。
感動して鼻血。
大学。
サークル引退式。
感動して鼻血。
そして現在。
二十六歳。
未だに治らない。
感情が高ぶると鼻血が出る。
意味が分からない体質である。
「ねぇ」
燈乃が言った。
「今回だけは鼻血出さないでね」
「出さないよ!」
「本当に?」
「本当に!」
「私の結婚式だよ?」
「だから出さない!」
「前に推しのライブで」
「忘れて!」
「最前列で」
「忘れて!」
「推しと目が合った瞬間」
「忘れてぇぇぇ!!」
「鼻血で最前列退場したじゃん」
紬希は机に突っ伏した。
黒歴史である。
しかも動画が残っている。
「大丈夫」
燈乃は笑った。
「今回は感動しすぎなきゃいいだけだから」
「そうだよね」
「泣かなきゃいい」
「泣かない」
「感動しなきゃいい」
「しない」
「私がドレス姿で出てきても?」
「……」
「バージンロード歩いても?」
「……」
「お父さん泣いてても?」
「……」
「誓いのキスしても?」
「……」
「紬希?」
「無理かもしれない」
「だと思った」
燈乃は爆笑した。
◇
結婚式の一週間前。
紬希は本気だった。
本気で鼻血を防ごうとしていた。
「感動しない」
朝。
鏡を見ながら唱える。
「冷静になる」
唱える。
「私は冷静」
唱える。
「感動禁止」
唱える。
その直後。
スマホに届いた。
燈乃からのメッセージ。
『ドレス最終フィッティング終わった♡』
添付写真。
「……綺麗」
じわ。
「あ」
たらり。
「いやぁぁぁぁぁ!!」
鼻血だった。
◇
翌日。
職場。
「また?」
店長が言った。
「またです……」
「結婚式いつ?」
「三日後です」
「もう無理じゃない?」
「私もそう思います」
雑貨店スタッフたちは全員うなずいた。
もはや職場公認である。
誰も驚かない。
「ティッシュいる?」
「ありがとうございます」
「止血剤いる?」
「ありがとうございます」
「結婚式中に救急搬送されないでね」
「縁起でもないこと言わないでください!」
◇
そして迎えた当日。
快晴。
雲一つない青空。
式場は海の見えるチャペルだった。
白い壁。
ガラス張りの祭壇。
キラキラと光る海。
絵本みたいな景色。
「……」
紬希は震えた。
「綺麗」
既に危険だった。
「駄目」
自分の鼻を押さえる。
「落ち着け」
深呼吸。
「私は冷静」
深呼吸。
「私は冷静」
深呼吸。
「私は冷静」
「なにやってるの?」
後ろから声。
振り返ると友人の雨宮柚葉だった。
「鼻血対策」
「結婚式に?」
「命懸け」
「戦場みたいに言うな」
◇
控室。
燈乃はウェディングドレス姿だった。
その瞬間。
紬希は固まった。
「……」
「どう?」
燈乃が照れ臭そうに聞く。
「……」
「紬希?」
「……」
「紬希?」
「綺麗……」
ぽろ。
涙。
「お」
燈乃が構える。
「ひーちゃん綺麗ぃぃぃぃ!!」
「来たな」
「うわぁぁぁん!!」
号泣。
だが。
鼻血は出ない。
「耐えた!」
燈乃が叫んだ。
「耐えた!」
「耐えたよ私!」
「やった!」
二人で喜んだ。
しかし。
興奮しすぎたせいで。
五秒後。
たらり。
「……」
「……」
「ひーちゃん」
「うん」
「ごめぇぇぇぇぇん!!」
「知ってた!」
◇
その後。
メイクスタッフ。
カメラマン。
親族。
友人。
全員が状況を知った。
「ああ、花守さんですね」
「例の」
「聞いてます」
「聞いてるんですか!?」
もはや情報共有されていた。
燈乃が笑う。
「いつものことなんで〜」
「軽い!」
「大丈夫大丈夫」
「ひーちゃん!」
「死なないから」
「そういう問題じゃない!」
◇
そして。
チャペルの扉が開く。
参列者が座る。
静かな音楽。
神聖な空気。
紬希はハンカチを握り締めた。
(駄目だ)
(泣くな)
(感動するな)
(鼻血出すな)
人生最大のミッションだった。
前方では新郎・東雲岳が緊張した顔で立っている。
その顔を見た瞬間。
(もう泣きそう)
早い。
早すぎる。
紬希は必死に耐えた。
すると隣の柚葉が小声で言う。
「賭ける?」
「何を?」
「いつ鼻血出るか」
「やめて!?」
「私は誓いのキス前」
「最低だ!」
「三千円」
「賭けない!」
◇
やがて。
扉が開く。
純白のドレス。
父親に手を引かれた燈乃。
美しかった。
本当に。
息を呑むほど。
綺麗だった。
紬希の視界が滲む。
「……」
鼻を押さえる。
まだ大丈夫。
まだ。
まだ。
たぶん。
きっと。
おそらく。
願わくば。
この時の紬希は知らなかった。
数十分後。
自分がこの結婚式を永遠に語り継がれる伝説へ変えてしまうことを。
そして。
その事件がきっかけで。
ある一人の男と出会うことになることを――。