ショートカット・スウィートケーキ

Cut02. 『サロン・ド・レーヴ』

 内海先輩が開けてくれた扉。ドアベルがカランコロンと涼やかな音を鳴らす。
 ひんやりとした空気が、炎天下の中で熱を持った私の頬を冷ましてくれる。

「いらっしゃいませ……って、あら、なんだ。澄春じゃない」

 ここは『サロン・ド・レーヴ』。
 内海先輩のお母さん……奈々子(ななこ)さんが営んでいる美容室。
 奈々子さんはお客さんの髪にトリートメントをつけながら、「おかえり」と言う。そのあと、先輩の後ろにいる私にも気付いてくれて、パッとその顔に笑顔を咲かせてくれた。

「翠ちゃんも、おかえり。いらっしゃい」
「こんにちは。お邪魔します」

 私は、ぺこっと頭を下げる。

「母さん、一席貸して」

 内海先輩が、店内の奥に進みながら言う。私はその背中を慌てて追いかけた。

「翠ちゃんの髪?」
「そー」

 荷物置いて、と先輩に言われて、ロッカーの中に学生カバンを入れた。

「全然いいけど……。翠ちゃん、本当に澄春でいいの? いつも」

 ちらりと奈々子さんが私を見た。私はドギマギとしながら、

「は、はい。先輩、とても上手なので……」

 と、こくこくと頷いてみせた。
 その言葉に嘘はない。
 嘘はないけれど……。
 私は、鋏やケープ、櫛の準備をする先輩をそっと盗み見た。

(今は、それだけじゃないなんて……)

 スカートの裾をそっと握り込む。顔を上げた先輩に「早く座って」と笑われて、急いで椅子に腰を下ろした。
 ケープをかけられ、先輩がゆっくり私の髪を丁寧にブラシで梳いてくれる。
 鏡越しに先輩と目が合った。

「いつもと同じくらいでいい?」

 ここくらい、と先輩が私のアゴより少し下のあたりとコームの尖った先で示した。

「はい、そこで」

 私は小さく頷く。

「……今日も、お礼にケーキ奢りますね」

 髪を切ってもらうたびに言う、約束の言葉。
 内海先輩はそれに「ん」と軽く笑いながら頷いてくれた。

「失敗したら、ケーキ奢るわ」

 そして先輩が言う、まるで合言葉みたいになっているいつもの返事。
 先輩の手が、優しく私の髪に触れる。私はその体温に少しだけ目を細めた。
 さくっ、と小気味のいい音を鳴らして、私の肩に当たっていた髪がはらりと床に落ちていった。

(……もうあの恋のことはちゃんと忘れたんですって言ったら、先輩、なんて言うのかな)

 私は鏡越しに先輩を、ただ静かに見つめた。




――中学二年の回想


「私……千昭のこと、すき」
「……ごめん。俺、翠のこと、そういう目で見るとか考えられねーから……」

 困ったように下がる、加納千昭の眉。
 中学二年の夏休み。十四年間の人生の内、その半分を共に過ごしてきた私の恋心が、呆気なく終わりを迎えた。
 それは、こじらせて、抱えきれなくなって、爆発してしまった結果だった。
 家も近所で、幼稚園の頃から知っていて、小学校は六年間同じクラスで過ごしてきた、いわゆる『幼馴染』という仲。だけど、彼のそんな顔を見るのは初めてだった。私の一時の感情の爆発で、そんな顔をさせてしまったことが本当に申し訳なくて、私はただ、入道雲が太陽を隠して暗くなった道を、走って逃げ帰ることしかできなかった。
 我ながら、本当にそれは、最低最悪であると思いながら。

 心の中が苦しくて。
 千昭が好きだっていう気持ちとか、振られて恥ずかしいって気持ちだとか、ごちゃ混ぜになっている感情を自分の中から切り取ってしまいたかった。
 カランコロン、とドアベルが鳴った。
 ふわりと空調の涼しさが、走って真っ赤に熱を持った私の頬を撫でていった。
 一番最初に目に入った美容室の扉を、なぜか私は開けていた。

「いらっしゃいませ」

 カラフルな柄のスカーフを髪と一緒に編み込んだ素敵なヘアスタイルをしている女の人が私を出迎えてくれた。
 肩で息する私を見て、その人は「暑かったでしょう」と笑って、それから申し訳なさそうに眉を下げた。

「せっかく来てくれて申し訳ないのだけれど、今日、お客さんがいっぱいで……。また明日でも良いかしら」

 明日、と私は言葉を反芻するように呟いた。

「澄春、予約入れてあげてくれる?」
「はぁ? なんで俺が」

 レジカウンターの奥で漫画を読んでいた男の子が顔を上げた。

「どうせ暇してんでしょ。ちょっとは手伝いなさいよ」
「はいはい」

 そう言って、その子は渋々漫画を閉じてからこちらに歩いて来た。

「名前はー?」

 ペンと紙を持ちながら、男の子が私を見る。
 私は口を一度開いて、すぐに閉じた。
 喉が張り付いているように、苦しい。

「や、やっぱり、大丈夫、です」

 絞り出すようにそう返した瞬間。
 ポタポタと自分の足元に水滴が落ちていった。最初は夏空の下を走ったせいで汗が垂れたのだと思った。
 顔を手で拭おうとして、気付く。俯いた先に見えた、サンダルを履いた足先が滲んだ。

(やばい……私、泣いてる)

 一生懸命、涙を手の甲で拭う。拭っても拭っても止めることができない。

「……おい」

 顔を上げると、男の子が、ぎょっとした顔で私を見ていた。

「ご、ごめんなさい……」

 踵を返して、慌てて店を飛び出そうとした。
 パシッと軽い音と共に、腕に衝撃が走る。カウンターから身を乗り出すようにして、男の子が私の腕を掴んでいた。

「な、なに……」
「いいから、ちょっとこっち来い」

 そう言って、頭にタオルを被せられ、店の奥へと腕を引かれる。
 そのタオルは洗濯したばかりだからなのか、甘い良い香りがふわりと私の鼻をくすぐった。
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