次の世界でも、私を探してくださいね。

38

 自分は人を見る目はあるつもりだが、この竹香という娘がそんな大それたことをする人間には見えないと皇帝は思った。
 それより、この娘には多美杏の面影がある。

「名前はなんというのか」
 と皇帝が自ら訊いた。

「竹香です」
「母親は何という名前だ」
「母はおりません」
「父親は」
「父もおりません。わたしは、捨て子です」

「竹香は、多美杏という女性を知っているか」
「いいえ」
「聞いたこともないか」
「耳にしたことすら、ありません」
「そうか。それなら、よろしい」

 皇帝は女性たちを裁判に招いたことを後悔していた。妃たちの前で、これ以上質問はできない。噂になるだけだ。
 それにしても、いったい遠音は何をやろうとしているのだ。
 下手をするとこれは茶番劇になるかもしれない。そうならなければよいのだが。

 皇帝に向かって、庭の右側の椅子に、遠音皇子が正装で重々しく座っていた。彼は皇帝の前で裁きをすることになった時には足がすくんでしまったものだが、ここで功績を見せて、存在を認めてもらいたいという気持ちになっていた。

 全員が席について、いよいよ裁判が始まろうとした時、左側から、杖をついて駆けつけた役人がいた。

 やっぱり。
 竹香はその人が離山だとわかって、ここまで頑張ってきた糸が切れて、胸が波打って泣きそうになった。
 ここで泣いてはだめ、今こそ肝心な時なのだから。自分のことは自分で守らなくてはならない、と竹香は歯を食いしばった。

「関係者以外は、ここにはいることはできないのだ。立場をわきまえよ」
 遠音皇子が憎々しい形相で叫んだ。

「芍薬麗園はこの離山の管轄です。竹香の配置換えしたのは、この私です。どうぞ、裁判への参列のご許可をお願いいたします」
 離山は表情を変えず、ひるまない。

「ここは後宮であるぞ。そなたの来るところではない。すみやかに、帰れと言っている」
 と遠音皇子が命じた。
 
「おお、離山ではないか」
 と皇帝が腰を上げた。皇帝は離山を見て、少し安堵したところがあった。

 皇帝は離山を買っていた。官吏試験で特別に成績優秀な結果を残した30人を招いたことがある。ひとりひとりに何が重要なことは何か尋ねてみた。
 忠誠心、愛国心、立身、名誉など、聞き飽きた味気ない答えが続く中で、離山だけは「まごころ」と答えた。
 身体が悪いというからその点を案じていたのだが、その答えと態度で、皇帝は離山が気にいった。この仙師のような雰囲気のある男こそ、次の王太子を助けてくれるだろうという直感が動いた。
 それ以来、彼には目をかけているのだ。

「どうぞ、臨席の許可をお与えください」
 と離山が言った。

「わかった。離山はわしの側近である。彼は、将来は私の右腕になる男なのだから、ここにいてよろしい。皇子よ、始めなさい」

 「はい。皇帝陛下」
 遠音皇子はそう答えなくてはならなかった。またあいつか、おもしろくないと思いながら。

 遠音皇子が説明のために立ちあがった。
「窃盗罪としては、竹香という者が芍薬霊園の責任者になってから、花が次々と無くなっております。きっとどこかで売るなどして、儲けていたのかと思われます。器物損壊罪としては、花をよく枯らしていること。舟を破損させたこと。まことに、ゆゆしきことであります」
 遠音皇子は書類を見ながら、大げさにため息をついた。
 
「それにつきまして、言わせていただいてよろしいですか」
 離山が立って、手の書類をかざした。

「許可する」
 と皇帝。
「なぜ許可なさるのですか、皇帝陛下」
 遠音皇子が眉をしかめて嫌悪感を示した。

「皇子よ、まずは、意見を聞こうではないか。このわしが聞きたいのだ」
「そういうことでしたら、もちろんでございます」
 
「花を枯らしたり、盗んだり、舟が沈むように工作したのは以前働いていた庭師たちの仕業です。ここにそのことを記した調査書があり、署名がしてあります。必要ならば、本人たちを連れてまいります。ですから、被告人と窃盗は関係がありません。ご覧になりますか」
 と離山が紙の束を振った。

「わかった。そんなことか。ここはもうよい」
 皇帝は情けなさそうに言った。

「皇子よ、続けなさい、次は不敬罪、これは何か」

「この竹香という女子は、勝手に、母上の形見である私の大切な芍薬麗園にて、個人的な催しをして、大勢の客をもてなしました」

「よろしいですか」
 今度は竹香が手を上げた。

「許可する」
 と皇帝。

 遠音皇子の瞳が鋭い。竹香は普段でもうまく話せるほうではないのに、こういう場所では話したことがないのだ。
「あのう……」
 そういうつもりはないのに声が恥ずかしいくらい震えてしまって、竹香は動揺した。できるのだろうか。
 
 離山を見ると、彼が大丈夫だからいうようにおだやかに微笑んで、うんうんと頷いた。竹香は深呼吸をしてみた。できるだけやってみよう。

「あの夜、わたしは洗濯部の人々など、これまでお世話になった方々を招待して、踊りを披露いたしました。わたしが一番うまくできることは踊りですから。みなさまに感謝の気持ちを踊りで見ていただきたいと思ったのです。わたしは遠音皇子殿下から口頭でしたが許可をいただいておりましたから、庭の使用届けだけを事務所に出しました。書簡で許可願いをいただくべきであったのなら、これはわたしの手落ちでした。でも、皇子殿下を無視したとか、敬っていないとか、そういうことではありません」

「よし、わかった」
 そう言って、皇帝は遠音皇子のほうを向いた。
「遠音よ、そなたは、そんな肝の小さい男だったのか」
 と皇帝が情けない顔をしたから、女性たちが笑った。

「しかし、規則は規則ですから」
 皇子は肩をいからせて、顔をこわばらせた。

「遠音よ。わしは知っておる、一介の規則を破ることに関してなら、そなたにまさる者はいないことを。しかし、わしはそういうところも、そなたの器量の大きなところだと受け止めて、好意的に見ていたのだ」
「ありがとうございます。あの庭は、特別なのです」
 遠音が上目遣いで説明を始めた。

「あの日は大事な母上の月命日の日。母上の大好きだった芍薬麗園に私が母を知る人々を招き、盛大に母上を偲ぶはずでしたが、この女が無断で使っておりました」

「それはおかしいのではありませんか」
 離山がまた立ち上がった。

「その日に関係の方々を招く予定でしたら、かなり前から人に招待状を送りなどして、用意をしなければなりません。遠音皇子に準備をされていた様子はなく、その夜は町のある女性のところに行かれましたよね。ここにその女性の証言があります。殿下のさまざまな振る舞いを教えてくださいましたが、ご覧になりますか」
 
「まぁ、よい。この件はわかった。これ以上、皇子に不面目《ふめんぼく》な思いをさせるのは避けよう」
 皇帝は家来に団扇で仰ぐように命令した。

「ところで、この反逆罪というのはなんだ。これは大罪であるぞ」
「はい。わ、わかっております」
 遠目皇子が汗をかいている。

「どうわかっておるのか」
「反逆罪とは、国家又は君主に対する忠誠義務違反の罪のことでございます」
「そうだ」
「この竹香という女は、私の命令に逆らいました」

「どんな命令に逆らったというのだ」
「この女の夢は、愛する人とともに平和に暮らすことだと言うから、その夢をかなえてやろう。私の宮殿に召してやろうとしたら、まさかと冷笑したのです」
「それで」
「それはあるまじき態度。皇子である私を侮辱する行為です」

「皇子よ、それは、単に、振られたということではないのか」
 と皇帝が言ったので、皇后と妃たちが口を隠しながら笑った。

「これでは、話にならない。この一件は、皇后や王妃のための余興にはなったかもしれないが、裁判にかけることではなかった」
「待ってください。まだあります。以前、父上が芍薬麗園の女子の踊りと歌を披露せよと後宮に召した時、この女はわざと怪我をして、参内しなかったのです。それは医師が証言しております」
「そうか。よほど、来たくなかったのであろう。それは知恵が回るということだろう。竹香をすぐに釈放しなさい。すまなかったな」
「とんでもないです。ありがとうございます」
 竹香は頭を下げながら、離山のほうを見て微笑むと、よくやったと彼が頷いた。

 遠音皇子が立ち去るために離山のそばを通った時、皇子は小声で言った。
「これで済んだと思うなよ」
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