ひみつ図書室の名探偵~本の言葉が教えてくれる、学校のふしぎ事件~
第九話 閉じられる、ひみつ図書室
翌朝、しおりたちが登校すると、教室に向かうろうかの途中に見慣れない紙が貼られていた。
【わかば丘小学校 旧準備室区画 夏休み中改修予定】
しおりは足を止めた。
「旧準備室区画って……」
ひなたが、ろうかの奥を見た。
その先にあるのは、ひみつ図書室だった。
紙の下の方には、小さな字で「備品整理」「老朽化部分撤去」と書かれていた。
しおりは、その言葉から目を離せなかった。
撤去。
本の中なら、読み飛ばせない言葉だった。
「ねえ、ページに知らせなきゃ」
ひなたが言った。
けれど、しおりはすぐにうなずけなかった。
ページは、もう知っている気がした。
そして、知っていて何も言わなかった気がした。
改修工事の話を正式に聞いたのは、朝の会だった。
朝比奈先生が黒板の前に立って、「学校からお知らせがあります」と言った。
「今年の夏休みに、校舎の一部を改修する予定が決まりました。対象は、北側のろうかから奥の古い区画です」
しおりは、ぴたりと固まった。
さっき貼り紙で見た言葉が、先生の声になって教室に落ちてきた。
「安全上の問題で、古い準備室が取り壊されることになりました。夏休み前までに、中の物を整理してください、とのことです」
先生は淡々と話していた。
クラスのほかの子たちは、ふうん、という顔をしていた。自分たちには関係のない話だから。
しおりだけが、重たいものが胸に落ちてきたような気がした。
昼休み、ひみつ図書室の引き戸を開けると、だいだい色のカーテンが光をにじませていて、いつもと同じ静けさがあった。でも今日は、その静けさが少し違う色をしていた。
「ページ」
ページはテーブルの上にいた。いつもより動きが少ない。金色の房が、低い位置で静かにしていた。
「知ってますか、改修工事のこと」
『知っておる』
「この部屋、なくなるかもしれない」
『そうじゃな』
ひなたが「なんとかならないの?」と言った。
『わしに建物を変える力はない』
「校長先生に頼もう。校長先生は、ここのことを知ってる。ページのことも」
しおりは提案した。
『頼むのは構わない。ただ』
「ただ?」
『大人には大人の事情というものがある。気持ちだけでは動かせないこともある』
しおりは分かっていた。でも、何もしないでいることはできなかった。
放課後、しおりとひなたは校長室をノックした。
校長先生は二人を見て、何かを察したような顔をした。
「改修工事の件ですね」
「はい。古い準備室を、残せないでしょうか」
校長先生は少しの間、机の上で手を重ねていた。
「安全の問題がありまして。あの区画は床の一部が傷んでいて、このままでは使えないんです」
「全部取り壊さなくても、補修するだけではだめですか」
「費用の問題もあります。学校全体の予算を考えると、難しい」
しおりは次の言葉を探した。でも、校長先生の言葉は正しかった。費用のことも、安全のことも、しおりにはどうにもできないことだった。
「あの部屋に、大切なものがあります」
「本のことですか」
「本だけじゃなくて……ページも」
校長先生は少し目を細めた。
「ページに、また会いましたか」
「はい。先生も、昔会ってたんですよね」
「ええ。懐かしい声でした。あの文字の浮かび方は、変わっていなかった」
「だから、残したいんです」
校長先生はしばらく黙っていた。それから、「少し考えさせてください」と言った。
「すぐには答えが出せません。でも、あなたたちが大切に思っていることは、分かりました」
その夜、しおりは布団の中でずっと考えていた。
ページが消えるかもしれない。本が全部なくなるかもしれない。あのだいだい色のカーテンも、古い木のテーブルも、金色の房も。
次の日、ひみつ図書室へ行くと、小野寺さんとこはるちゃんと黒瀬くんも来ていた。ひなたが話したらしかった。
「どうするの?」
小野寺さんはテーブルの前で腕を組んだ。
「校長先生に頼んだけど、すぐには難しいって」
「じゃあ、あきらめるの?」
「あきらめたくない。でも、どうすればいいか分からなくて」
しおりが答える間にも、ひなたは落ち着かない様子で、本棚とテーブルの間を行ったり来たりしていた。
黒瀬くんがポケットからメモ帳を取り出した。
「新聞に書く? 学校の問題を記事にして、注目を集めるっていう方法がある」
「でも、ひみつ図書室のことが広まったら、ページが困るかもしれない」
黒瀬くんの鉛筆が、紙に触れる直前で止まった。
「それもそうか」
こはるちゃんが小声で言った。
「ページちゃん、平気そうだったよね、いつも」
こはるちゃんは、テーブルの端にいるページを見ながら、小声で言った。
「うん。でも、今日は少し」
しおりはページを見た。ページはテーブルの端で、房を低くしていた。
しおりはページのそばへ行った。
「ページ、正直に教えてください。怖い?」
ページはしばらく動かなかった。金色の房が、一度だけ揺れた。
それから、ゆっくりと文字が浮かんだ。
『怖いという言葉が正しいかどうか分からぬ。ただ』
「ただ?」
『本が消えるのが怖いのではない。ここで泣いた子のことまで、なかったことになるのが怖いのじゃ』
部屋が静かになった。
小野寺さんが、小さな声で「ここで泣いた子」と繰り返した。
「昔、この部屋に来ていた子たちのこと?」
しおりは聞いた。
『そうじゃ。学校になじめなくて、声の大きな場所が苦手で、気持ちをうまく言えなくて、ここへ逃げてきた子たちがおった。その子たちが読んだ本が、ここにある。その子たちが残した言葉が、ここにある。それがなくなれば、その子たちがここにいたことも、消えてしまう』
しおりはページの言葉を、ゆっくり受け取った。
逃げてきた子たち。しおりも、最初はそうだった。教室の声が多すぎて、図書室へ向かった。ひみつ図書室を見つけたのも、ひなたに引っ張られたからで、でもここが好きになったのは自分のことだった。
「残したい」
しおりはページに言った。
「なくしたくない。方法を考える」
その日から、みんなで話し合いを始めた。
黒瀬くんが過去の卒業文集を調べると言って、学校の図書室の棚から古いファイルを引っ張り出してきた。
こはるちゃんは部屋の様子をスケッチし始めた。
小野寺さんは「どうやって学校に価値を伝えるか」を考えると言った。
ひなたは「とにかく動く」と言って、黒瀬くんの文集調べを手伝った。
数日かけて、少しずつ分かってきたことがあった。
ひみつ図書室は、三十年以上前から存在していた。最初は正式な読書室として作られたわけではなく、一人の先生が「静かな場所が必要な子がいる」と思って、古い準備室の鍵を開けておいたのが始まりだったらしい。
卒業文集の中に、その部屋のことを書いた子が何人もいた。
放課後、一人でいられる場所があった。
そこで本を読んでいるうちに、学校が少し楽になった。
あの部屋がなかったら、もっと辛かったと思う。
という言葉が、それぞれの文章の中にあった。
こはるちゃんがそれを読んで、「わたしも、そういう場所がほしかった」と小声で言った。
「今はある」
しおりが言った。
「うん。あるから、よかった」
こはるちゃんは、小さくうなずいた。
ページのそばで、しおりは文集の言葉をもう一度見た。
あるから、よかった。
それが、この部屋のことだった。ずっとあった。だから、誰かの「よかった」が積み重なってきた。その積み重なりが、ページを生んだのかもしれない。
「ページ」
『なんじゃ』
「この部屋は、昔の子たちに必要だった。今も、必要な子がいる」
『そうじゃな』
「それを、校長先生に伝えたい。文集の言葉と、今の気持ちを、ちゃんと形にして」
『どうやって』
「展示会を開く。ここに価値があることを、ちゃんと見せる」
ページの房が、すっと上に立った。
『……なかなか言える言葉ではないな、それは』
「ひなたちゃんに言われた言葉、借りました」
『突撃係の言葉は、たまによい』
「本人に言ったら、きっと喜びますよ」
『言うでない』
しおりは少し笑った。
方法はまだ分からない。校長先生が首を縦に振るかどうかも分からない。でも、何かをしなければ、何も変わらない。
それだけは、はっきりと分かった。
窓の外には、まだ明るい空が広がっていた。傾きかけた日の光が、だいだい色のカーテンをやわらかく透かしていた。
【わかば丘小学校 旧準備室区画 夏休み中改修予定】
しおりは足を止めた。
「旧準備室区画って……」
ひなたが、ろうかの奥を見た。
その先にあるのは、ひみつ図書室だった。
紙の下の方には、小さな字で「備品整理」「老朽化部分撤去」と書かれていた。
しおりは、その言葉から目を離せなかった。
撤去。
本の中なら、読み飛ばせない言葉だった。
「ねえ、ページに知らせなきゃ」
ひなたが言った。
けれど、しおりはすぐにうなずけなかった。
ページは、もう知っている気がした。
そして、知っていて何も言わなかった気がした。
改修工事の話を正式に聞いたのは、朝の会だった。
朝比奈先生が黒板の前に立って、「学校からお知らせがあります」と言った。
「今年の夏休みに、校舎の一部を改修する予定が決まりました。対象は、北側のろうかから奥の古い区画です」
しおりは、ぴたりと固まった。
さっき貼り紙で見た言葉が、先生の声になって教室に落ちてきた。
「安全上の問題で、古い準備室が取り壊されることになりました。夏休み前までに、中の物を整理してください、とのことです」
先生は淡々と話していた。
クラスのほかの子たちは、ふうん、という顔をしていた。自分たちには関係のない話だから。
しおりだけが、重たいものが胸に落ちてきたような気がした。
昼休み、ひみつ図書室の引き戸を開けると、だいだい色のカーテンが光をにじませていて、いつもと同じ静けさがあった。でも今日は、その静けさが少し違う色をしていた。
「ページ」
ページはテーブルの上にいた。いつもより動きが少ない。金色の房が、低い位置で静かにしていた。
「知ってますか、改修工事のこと」
『知っておる』
「この部屋、なくなるかもしれない」
『そうじゃな』
ひなたが「なんとかならないの?」と言った。
『わしに建物を変える力はない』
「校長先生に頼もう。校長先生は、ここのことを知ってる。ページのことも」
しおりは提案した。
『頼むのは構わない。ただ』
「ただ?」
『大人には大人の事情というものがある。気持ちだけでは動かせないこともある』
しおりは分かっていた。でも、何もしないでいることはできなかった。
放課後、しおりとひなたは校長室をノックした。
校長先生は二人を見て、何かを察したような顔をした。
「改修工事の件ですね」
「はい。古い準備室を、残せないでしょうか」
校長先生は少しの間、机の上で手を重ねていた。
「安全の問題がありまして。あの区画は床の一部が傷んでいて、このままでは使えないんです」
「全部取り壊さなくても、補修するだけではだめですか」
「費用の問題もあります。学校全体の予算を考えると、難しい」
しおりは次の言葉を探した。でも、校長先生の言葉は正しかった。費用のことも、安全のことも、しおりにはどうにもできないことだった。
「あの部屋に、大切なものがあります」
「本のことですか」
「本だけじゃなくて……ページも」
校長先生は少し目を細めた。
「ページに、また会いましたか」
「はい。先生も、昔会ってたんですよね」
「ええ。懐かしい声でした。あの文字の浮かび方は、変わっていなかった」
「だから、残したいんです」
校長先生はしばらく黙っていた。それから、「少し考えさせてください」と言った。
「すぐには答えが出せません。でも、あなたたちが大切に思っていることは、分かりました」
その夜、しおりは布団の中でずっと考えていた。
ページが消えるかもしれない。本が全部なくなるかもしれない。あのだいだい色のカーテンも、古い木のテーブルも、金色の房も。
次の日、ひみつ図書室へ行くと、小野寺さんとこはるちゃんと黒瀬くんも来ていた。ひなたが話したらしかった。
「どうするの?」
小野寺さんはテーブルの前で腕を組んだ。
「校長先生に頼んだけど、すぐには難しいって」
「じゃあ、あきらめるの?」
「あきらめたくない。でも、どうすればいいか分からなくて」
しおりが答える間にも、ひなたは落ち着かない様子で、本棚とテーブルの間を行ったり来たりしていた。
黒瀬くんがポケットからメモ帳を取り出した。
「新聞に書く? 学校の問題を記事にして、注目を集めるっていう方法がある」
「でも、ひみつ図書室のことが広まったら、ページが困るかもしれない」
黒瀬くんの鉛筆が、紙に触れる直前で止まった。
「それもそうか」
こはるちゃんが小声で言った。
「ページちゃん、平気そうだったよね、いつも」
こはるちゃんは、テーブルの端にいるページを見ながら、小声で言った。
「うん。でも、今日は少し」
しおりはページを見た。ページはテーブルの端で、房を低くしていた。
しおりはページのそばへ行った。
「ページ、正直に教えてください。怖い?」
ページはしばらく動かなかった。金色の房が、一度だけ揺れた。
それから、ゆっくりと文字が浮かんだ。
『怖いという言葉が正しいかどうか分からぬ。ただ』
「ただ?」
『本が消えるのが怖いのではない。ここで泣いた子のことまで、なかったことになるのが怖いのじゃ』
部屋が静かになった。
小野寺さんが、小さな声で「ここで泣いた子」と繰り返した。
「昔、この部屋に来ていた子たちのこと?」
しおりは聞いた。
『そうじゃ。学校になじめなくて、声の大きな場所が苦手で、気持ちをうまく言えなくて、ここへ逃げてきた子たちがおった。その子たちが読んだ本が、ここにある。その子たちが残した言葉が、ここにある。それがなくなれば、その子たちがここにいたことも、消えてしまう』
しおりはページの言葉を、ゆっくり受け取った。
逃げてきた子たち。しおりも、最初はそうだった。教室の声が多すぎて、図書室へ向かった。ひみつ図書室を見つけたのも、ひなたに引っ張られたからで、でもここが好きになったのは自分のことだった。
「残したい」
しおりはページに言った。
「なくしたくない。方法を考える」
その日から、みんなで話し合いを始めた。
黒瀬くんが過去の卒業文集を調べると言って、学校の図書室の棚から古いファイルを引っ張り出してきた。
こはるちゃんは部屋の様子をスケッチし始めた。
小野寺さんは「どうやって学校に価値を伝えるか」を考えると言った。
ひなたは「とにかく動く」と言って、黒瀬くんの文集調べを手伝った。
数日かけて、少しずつ分かってきたことがあった。
ひみつ図書室は、三十年以上前から存在していた。最初は正式な読書室として作られたわけではなく、一人の先生が「静かな場所が必要な子がいる」と思って、古い準備室の鍵を開けておいたのが始まりだったらしい。
卒業文集の中に、その部屋のことを書いた子が何人もいた。
放課後、一人でいられる場所があった。
そこで本を読んでいるうちに、学校が少し楽になった。
あの部屋がなかったら、もっと辛かったと思う。
という言葉が、それぞれの文章の中にあった。
こはるちゃんがそれを読んで、「わたしも、そういう場所がほしかった」と小声で言った。
「今はある」
しおりが言った。
「うん。あるから、よかった」
こはるちゃんは、小さくうなずいた。
ページのそばで、しおりは文集の言葉をもう一度見た。
あるから、よかった。
それが、この部屋のことだった。ずっとあった。だから、誰かの「よかった」が積み重なってきた。その積み重なりが、ページを生んだのかもしれない。
「ページ」
『なんじゃ』
「この部屋は、昔の子たちに必要だった。今も、必要な子がいる」
『そうじゃな』
「それを、校長先生に伝えたい。文集の言葉と、今の気持ちを、ちゃんと形にして」
『どうやって』
「展示会を開く。ここに価値があることを、ちゃんと見せる」
ページの房が、すっと上に立った。
『……なかなか言える言葉ではないな、それは』
「ひなたちゃんに言われた言葉、借りました」
『突撃係の言葉は、たまによい』
「本人に言ったら、きっと喜びますよ」
『言うでない』
しおりは少し笑った。
方法はまだ分からない。校長先生が首を縦に振るかどうかも分からない。でも、何かをしなければ、何も変わらない。
それだけは、はっきりと分かった。
窓の外には、まだ明るい空が広がっていた。傾きかけた日の光が、だいだい色のカーテンをやわらかく透かしていた。