浄御原の追憶〜礎のはじまり〜
序章
 時は六七二年のこと、近江の湖から少し離れた、小高い地に造られた大江大津宮(おうみおおつのみや)
 掘立柱を打ち込み、そこを塀で大きく囲む。中に踏み入れば、白く真新しい板壁が、柱に支えられ整然と立ち並んでいるのが見える。
 大王の住まいはその奥にひっそりと佇んでおり、宮内の静けさが漂った大王の寝床では、家臣たちが息をひそめて集っていた。
 湖より来る強い風が、壁と柱の間をさっと通り抜け、部屋の中までも入ってきていた。
「大王、ど、どうか......お気を確かに」
 大王の体は重い病に侵されていた。すでに意識は朦朧とし、口から声を発することすら叶わない。病を治す手立てもなく、命の灯は今まさに消えようとしていた。
(大王はもう、助からない)
 家臣たちは思わず顔を下に向けた。皆が、その瞬間を悟ったのだ。
 その場に重たい沈黙が広がっていき、部屋の空気が一瞬で凍りついていく。
 後に天智天皇(てんちてんのう)と呼ばれる大王は、彼らに見守られながらその日突然に、崩御する。

 この知らせを受け、国中に衝撃が広がっていった。伝達の馬が一斉に駆け走り、人々は噂として人づてに知らされていく。
 白村江の戦いの敗北、倭国はこの先どうなっていくのだろうか。
 だがそれよりも、もっと悲惨な不測の事態を招くこととなっていく。大王の死は、皇子の大友皇子(おおとものみこ)と、彼の叔父で大王の弟にあたる大海人皇子(おおあまのみこ)との対立を生んだのだ。
 ――壬申の乱(じんしんのらん)、古代日本の最大の内乱と、人々は呼んだ。

 大海人皇子は身を寄せていた吉野を妻子らを連れて出発。また近江に置いてきた彼の他の皇子らも続いて宮を脱出し、父側に付いた。
 彼は、高市皇子(たけちのみこ)を軍の総大将とすると、決戦の場である、瀬田の橋にて彼らは苦戦の末に、ようやく大友皇子の率いる大津朝を打ち倒した。
「大海人皇子と、高市皇子......何て強さなんだ」
 周りの人々も、これには様子を窺うほかなかった。
 大海人皇子はその勢いのままに、他の地域の鎮圧を進める。
 戦地では白い煙が上がり、一斉に矢が飛び交うなか、人の呻き声が至る所から悲しく聞こえてくる。
 そして最後は、死体の臭いと、燃え尽きた木板の焦げ臭さが、周囲を覆っていた。

 六七三年二月、大海人皇子はついに壬申の乱の勝利を収める。
 彼は飛鳥の浄御原にて、妃の鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)を皇后に据え、ようやく大王として即位する。
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