『身代わり結婚』いただきます!不浄の辺境伯様は、どうやら私の◯◯がお気に召した御様子です。
「たとえ体は温まろうとも、この冷え切った心は回復のしようがない。我が身を賭して妻のために極上の魔石を得たというのに、肝心の妻からは変態と罵られ」

「ところでアレクシス様の怪我ってどこなんですか?」

「腕を浅く切っただけ。血もほとんど流れてないから放っとけばいい。それよりベルちゃん、あーんして食べさせてくれる?」

「ではわたしが。さあコンラート、裂ける寸前まで口をかっぴろげなさい」

「聞けよお前ら」

 ますます不機嫌を加速させるアレクシス様をなだめつつ、ほどよく冷めて飲みやすくなったお茶をすすめる。
 パンに切れ目を入れてバターを塗り、分厚いハムを無理やり挟んでアレクシス様の口に詰め込んだ。

「はい夫、あーん」

「げほッ、順番が逆だろう! なぜ突っ込んでから『あーん』と言う!?」

 そりゃあもう、ささやかな嫌がらせ?

 だって仕方ないではないか。
 アレクシス様が無事でよかったという安堵と、私のために綺麗な魔石を手に入れてくれたという嬉しさと、体目当てってそれだったんかいというガッカリ感と、頬をつねってるときのウットリとろけた表情ないわ~というドン引き具合いと。

 様々な感情がごった煮されて、自分でも何が何だかわからないのだ。

「……なぁんか、話だけ聞いて想像してたのと違ったな。ベルちゃんとアレクシス、案外うまくやってるじゃないか」

「そうよ、ベルさんはとっても出来た娘なのだから。だからコンラート、余計な横やりはおやめなさい」

 肩をすくめるコンラートを、ソニアさんが横目で睨みつけた。
 ……案外、うまくいっている? コンラートってば騎士のくせに目でも悪いのではなかろうか。

「私たち、見ての通り絶賛夫婦喧嘩中なんですけど?」

「喧嘩するほど仲がいいようにしか見えないけどなぁ。ま、親友としては安心したけど。ソニアちゃんと一緒になって、そろそろ結婚しろってアレクシスを焚き付けたのはオレなんだよ」

 うぅん、なるほど。
 お母さん代わりであるソニアさんと、親友であるコンラートからの説得に負けて、堅物モテないアレクシス様も妻を迎える気になったってわけか。

「ちなみにコンラートは結婚してるんですか?」

 興味しんしんで尋ねたら、私作のハムパンと格闘していたアレクシス様が「……はあ?」と剣呑な声を上げた。

「いや、オレは自由を愛する男だからね。いついかなる時も全力で恋に落ちたいから、一人に絞るなんて愚かな真似は絶対にしないのさ」

 なんというチャラ男理論。
 あきれ果てた私は、馴れ馴れしく伸びてきたコンラートの手を容赦なくひねり上げる。

「コンラートってば最悪だ。自分は最も結婚に縁遠いクセして、親友だけそそのかしちゃったわけ?」

「そそ。でもね、だからこそベルちゃんが檻からの解放を望むなら、オレが責任持って君をさらってあげるよ?」

「結構です!」

 まったく。
 アレクシス様もアレクシス様なら、親友も親友だ。誠実さを一体どこに置いてきた?

「――どうして」

 低く押し殺した声に、私はびくりと肩を跳ねさせる。
 慌てて視線を向ければ、アレクシス様が険しい顔で私を見ていた。

「……どうしてコンラートを呼び捨てにしているんだ。いつの間にそんなに親しくなった?」

「え……、夫が瘴気で気を失ってる間に?」

 別に親しくはなっていないけれど、そう素直に答えてみる。するとなぜか、アレクシス様の瞳がますます剣呑な光を帯びた。

「コンラートは女ならば誰に対してもこの調子だから、予想はしていたが。それでもお前だけは絶対に、なびくことはないと信じていたのに……っ」

「全然なびいてませんけど? 夫の目は節穴か」

 額に手刀を落とし、会話を強制終了。
 何を一丁前に嫉妬してるんだか。変態夫の次は束縛系夫でも目指しているのか?

「そんなことより、さっさと食べて。食事を終えたらすぐに夫婦会議を始めますからね」

「……夫婦会議? 議題は何だ?」

「私のほっぺを好き放題にもてあそんだ慰謝料について」

「ぶッ!!」

 咳き込む夫にお茶のお代わりを注いでやって、私はぐすっと聞こえよがしに鼻を鳴らした。
 アレクシス様は慌てた様子でパンを飲み下すと、目に見えて動揺しながら首を振る。

「違っ、それにあれはお前が、手を出していいと許可をくれたからっ」

「まさかあんな目に合うとは思わなかったんですもん。それに、これからも瘴気を浄化するために私の体を利用するおつもりですよね?」

「いや言い方よ」

 頭を抱え込むアレクシス様を、不思議と楽しい気分で見下ろした。

 さて、どうやり返してやろうかな。
 どうせ私の生活費は全額アレクシス様から出ているし、夫婦間で金品のやり取りをするのも抵抗が――……って。

 ああそうだ、いいこと思いついちゃった!

 つむじをぐりぐりと指で押し、私はいたずらっぽくアレクシス様の顔を覗き込む。

「別に構わないんですよ? 瘴気の浄化は、アレクシス様が健やかに生活するためには必須ですし」

「ほ、本当か!?」

 ガバッと顔を上げるアレクシス様に、しかつめらしくうなずいた。

「――その代わり、きっちり対価はいただくことにします」

「ええ!? ちょっ待て、ベルそれはっ」

 アレクシス様がぎょっとするのと同時に、コンラートとソニアさんも目を丸くする。

「うっわベルちゃん、夫婦間で金を取るのか? 見た目と違って意外とがめついのな。うん、そんな小悪魔な君もオレは好きだ!」

「女好きは黙っていなさいコンラート。それから旦那様も、ベルさんの話はまだ終わっていませんよ」

 そう、まだ終わっていない。

 慌てるアレクシス様を楽しく眺め、私はすっと人差し指を彼に押し当てた。

「夫婦なんだもん、お金のやり取りなんかいたしません。でも私のほっぺをつねりたいなら、それ相応の善行を積んでいただきたいと思います」

「……善行?」

「そう。んん……例えば、そうですね。私のほっぺをアレクシス様が十秒間好きにできる権利を、仮にイチほっぺと名付けるとします」

 イチほっぺ!?

 この場の全員の声が唱和した。そ、イチほっぺ。

「アレクシス様は善行を積んで、頑張ってほっぺを貯めてください。貯めて一気に使うもよし、計画的に小出しにするもよし」

「いやそもそも、善行の定義とは何なのだ?」

 眉間に皺を寄せ、アレクシスが懸命に考え込んでいる。
 その答えは簡単だ。私はにやりと笑った。

「私たち夫婦にとって、ためになることです。例えば働きすぎなアレクシス様が、一日お休みを取ってくれたらジュウほっぺ差し上げます」

「っ本当か!?」

「夜ふかしせずに早寝をしたら、サンほっぺ。朝食をしっかり取ったらイチほっぺ。私を喜ばせたらボーナスほっぺ」

「ボーナスほっぺ!」

 しめしめ。
 まんまとアレクシス様を釣り上げた。

 ちらりとソニアさんを窺えば、ソニアさんは音を立てずに拍手をしてくれていた。どうやら賛成してくれるらしい。

 私は澄まし顔でアレクシス様に手を差し伸べる。

「さ、どうします? 夫婦間ほっぺ取引、乗りますか?」

「乗る」

 私たちはガッチリと固い握手を交わした。ようし、これにて契約成立。

 アレクシス様の机から紙とペンを借りて、私は今日の日付と現時点でのアレクシス様の所有ほっぺ数を書き込んだ。

「はい、ではここからスタートですね」

 ほっぺ取引表を手渡せば、アレクシス様がすぐさま目を走らせる。
 そして、みるみる顔色を悪くした。

「えっ何だよ。どうした、アレクシス?」

「旦那様?」

 コンラートとソニアさんも一緒になって取引表を覗き込む。
 二人は一瞬黙り込み、それから手を打って爆笑した。

「あははははッ、やられたなアレクシス!」

「そういえば確かに、ベルさんは『慰謝料について』だとはっきり言ってましたものね」

 そう。
 慰謝料ほっぺはきちんと計算済み。そしてついでに、出会ってから今日までに触られたほっぺの分もきっちり加算しておいた。

 アレクシス様が絶望のうめき声を上げる。

「マイナス……サンゼンほっぺ、だと!?」

「正確にはマイナスサンゼンとサンほっぺ、です」

 こうしてアレクシス様の、ほっぺ借金苦な生活がスタートした。
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