Bitter Peach
★本編 第1章 甘くない始まり<3月>
1.ルームシェア
大学を無事に四年で卒業できることが確定してから、北原柚月はずっと暮らしていた実家を出ることにした。と言っても一人暮らしには不安があったので、誰かとルームシェアすることにした。
『柚月ちゃん、大阪市内の会社に就職するの? ルームシェア? なら、良いとこがあるわよ!』
東京に住む祖母・北原サト子から久しぶりに電話があって、会社のすぐ近くに祖母が持っている物件があると教えてもらった。一軒家ではあるけれど、ルームシェアも可能な間取りになっているらしい。
「家賃いくら?」
『いいよいいよ、柚月ちゃんからお金なんて貰えないよ』
「あかーん、そんなん、私が気遣う……」
『本当に良いのよ。でもそうねぇ……少しだけ入れてもらおうかなぁ。あとは、ときどき顔見せに来てくれたら良いよ』
柚月は東京で生まれたけれど、父親の転勤によって人生のほとんどを大阪南部の祭が有名な地域で暮らしていた。だから祭には特に興味はないもののすっかり大阪のノリには馴染んでいるけれど、大阪市内は地元とは雰囲気が違うので少しだけ不安だった。
荷物は既に両親に手伝ってもらって運んでいたので、柚月は段ボール箱の中身をそれぞれの場所に収納していった。必要最低限の物を選んできたつもりだったけれど、それでも多くてなかなか片付かなかった。
「あー、ここ違う、私の部屋じゃないわ……」
ルームシェアの相手はそのうちで良いか、と思っていたけれど、少し経ってから祖母から連絡があったときに聞いた。
『ヒカルちゃんに決まったわよ』
「ヒカルちゃん……?」
『そうそう、よく気がきく子だから。仲良くね』
柚月はその名前に聞き覚えがあった。会ったことはないけれど、両親を早くに事故で亡くしたヒカルを祖母が面倒見ている、となんとなく聞いていた。ヒカルの両親と祖母は仲が良く、ヒカルも祖母に懐いていたらしい。
祖母と暮らしていた人なので、柚月はそれほど心配はしていなかった。それぞれ個別に使えそうな部屋はどちらも南向きの窓なので、もしも学生だった場合は勉強するのに良い。社会人だったとしても、明るい方がいい。勝手に選んだ部屋にとりあえず段ボール箱を運び、もう片方の部屋にヒカルは不満を言わないか、とあちこちチェックする。
「よし、こんなもんかな」
片付けの続きは今度にしよう、と区切りをつけて、柚月はリビングに置いたソファに座ってスマホを開いた。ズボンのポケットに入れて作業していて、ブブブ、と震えて何かが届く感覚が何度かあった。届いていたのはアプリからの通知が数件と、付き合っている恋人からの〝引っ越しは終わったか?〟というLINEだった。アプリからの通知はとりあえず置いておいて、恋人からの連絡を開いて既読をつけた。
彼・保田直幹は大学に入って始めたアルバイト先で知り合った社会人だ。柚月が大学一年のときに彼は三年で、柚月の教育担当になったのがきっかけで仲良くなった。なんとなく付き合い始めてすぐに直幹は就職活動のためアルバイトを辞めてしまったけれど、柚月も三年のときに同じ理由で辞めたけれど、一月に一度は会えているのもあって、彼が就職してからも順調に交際を続けていた。ちなみに彼との同棲を考えなかったのは、彼は全国転勤の仕事をしているからだ。関係は良好だけれど、彼との将来はまだ考えていない。
荷物は運んだけどまだ片付いていない、と返事をしてから、次はいつ会えるか伺いをたてた。近くのデートスポットはだいたい行ったので、いまは会ってもどちらかの部屋か、ドライブか、二人きりになれる場所だ。
これからルームシェアをすることを、柚月はまだ直幹には話していなかった。だからまだ来てもらうわけにはいかない。ヒカルと仲良くできそうなら良いけれど、もしも相性が悪かったときは、祖母には申し訳ないけれど引っ越すかもしれない。
それでも祖母が知っている人だから、柚月はヒカルと会うのを楽しみにしていた。ヒカルが到着する前日には共有部分の片付けは全て終わらせ、自分の部屋もできるだけ綺麗にしておいた。ヒカルが到着するという三月上旬の朝、柚月は早起きして買い物に出かけ、リビングに花を飾った。
ピンポーン、とインターホンが鳴ったのは、午後一時を過ぎた頃だった。モニターで確認すると顔は見えなかったけれど、荷物を持った人が少し遠くに見えた。柚月は小走りで玄関へ向かい、ドアを開けた。
「はい──?」
「あ──田﨑ですけど」
「田﨑さん……?」
「田﨑輝生。ばあちゃんから聞いてると思うけど」
「え……、おと、男性……?」
「なにか?」
祖母は〝ひかるちゃん〟と言っていたので、女性だと思い込んでいた。けれど柚月の前に現れたのは紛れもなく男性で、それも柚月よりもきっと年上だ。スラリと長身で春らしいお洒落なコートに髪も少しウェーブがかかって、いかにもモテそうな男だ──、と見惚れている場合ではなく、想定外の展開に、ことばが出てこない。
「車、そこに停めたけど、良い?」
「あっ、はい……」
「とりあえず、入って良い?」
「──どうぞ」
柚月が少し下がると、輝生は〝お邪魔しまーす〟と言いながら中に入った。大きい荷物はまだ車の中のようで、身の回りの鞄ひとつだけ持って靴を脱いでリビングへ向かった。柚月はワンテンポ遅れて玄関に鍵をかけ、輝生を追うようにリビングへ向かう。
「女っぽい部屋だな」
柚月がリビングに戻ると、輝生は歩きながら棚の中や窓の外を見ていた。
「それはっ、おばあちゃんが、ひかる〝ちゃん〟って言うから、女性だと思って」
「……なるほど。それで、まさかの男で焦ってるってわけ?」
「そう、です。ひか──、田﨑さんは、私が女ってわかってここに来たんですか?」
「うん。大学卒業を控えた女の子、って聞いてる」
輝生は話しながら、先ほどまで柚月が座っていたソファに腰かけた。既にコートは脱いでいて、中に着ていたセーターもなんとなく上品に見えた。今まで柚月も服装には気を遣ってきたけれど、輝生には勝てないと思った。
「あんたも座れば?」
座れと言われても、二人掛けのソファに並んで座れる関係ではない。先に暮らし始めたのは私なのに、と言うのを我慢して、柚月は床になぜか正座した。
『柚月ちゃん、大阪市内の会社に就職するの? ルームシェア? なら、良いとこがあるわよ!』
東京に住む祖母・北原サト子から久しぶりに電話があって、会社のすぐ近くに祖母が持っている物件があると教えてもらった。一軒家ではあるけれど、ルームシェアも可能な間取りになっているらしい。
「家賃いくら?」
『いいよいいよ、柚月ちゃんからお金なんて貰えないよ』
「あかーん、そんなん、私が気遣う……」
『本当に良いのよ。でもそうねぇ……少しだけ入れてもらおうかなぁ。あとは、ときどき顔見せに来てくれたら良いよ』
柚月は東京で生まれたけれど、父親の転勤によって人生のほとんどを大阪南部の祭が有名な地域で暮らしていた。だから祭には特に興味はないもののすっかり大阪のノリには馴染んでいるけれど、大阪市内は地元とは雰囲気が違うので少しだけ不安だった。
荷物は既に両親に手伝ってもらって運んでいたので、柚月は段ボール箱の中身をそれぞれの場所に収納していった。必要最低限の物を選んできたつもりだったけれど、それでも多くてなかなか片付かなかった。
「あー、ここ違う、私の部屋じゃないわ……」
ルームシェアの相手はそのうちで良いか、と思っていたけれど、少し経ってから祖母から連絡があったときに聞いた。
『ヒカルちゃんに決まったわよ』
「ヒカルちゃん……?」
『そうそう、よく気がきく子だから。仲良くね』
柚月はその名前に聞き覚えがあった。会ったことはないけれど、両親を早くに事故で亡くしたヒカルを祖母が面倒見ている、となんとなく聞いていた。ヒカルの両親と祖母は仲が良く、ヒカルも祖母に懐いていたらしい。
祖母と暮らしていた人なので、柚月はそれほど心配はしていなかった。それぞれ個別に使えそうな部屋はどちらも南向きの窓なので、もしも学生だった場合は勉強するのに良い。社会人だったとしても、明るい方がいい。勝手に選んだ部屋にとりあえず段ボール箱を運び、もう片方の部屋にヒカルは不満を言わないか、とあちこちチェックする。
「よし、こんなもんかな」
片付けの続きは今度にしよう、と区切りをつけて、柚月はリビングに置いたソファに座ってスマホを開いた。ズボンのポケットに入れて作業していて、ブブブ、と震えて何かが届く感覚が何度かあった。届いていたのはアプリからの通知が数件と、付き合っている恋人からの〝引っ越しは終わったか?〟というLINEだった。アプリからの通知はとりあえず置いておいて、恋人からの連絡を開いて既読をつけた。
彼・保田直幹は大学に入って始めたアルバイト先で知り合った社会人だ。柚月が大学一年のときに彼は三年で、柚月の教育担当になったのがきっかけで仲良くなった。なんとなく付き合い始めてすぐに直幹は就職活動のためアルバイトを辞めてしまったけれど、柚月も三年のときに同じ理由で辞めたけれど、一月に一度は会えているのもあって、彼が就職してからも順調に交際を続けていた。ちなみに彼との同棲を考えなかったのは、彼は全国転勤の仕事をしているからだ。関係は良好だけれど、彼との将来はまだ考えていない。
荷物は運んだけどまだ片付いていない、と返事をしてから、次はいつ会えるか伺いをたてた。近くのデートスポットはだいたい行ったので、いまは会ってもどちらかの部屋か、ドライブか、二人きりになれる場所だ。
これからルームシェアをすることを、柚月はまだ直幹には話していなかった。だからまだ来てもらうわけにはいかない。ヒカルと仲良くできそうなら良いけれど、もしも相性が悪かったときは、祖母には申し訳ないけれど引っ越すかもしれない。
それでも祖母が知っている人だから、柚月はヒカルと会うのを楽しみにしていた。ヒカルが到着する前日には共有部分の片付けは全て終わらせ、自分の部屋もできるだけ綺麗にしておいた。ヒカルが到着するという三月上旬の朝、柚月は早起きして買い物に出かけ、リビングに花を飾った。
ピンポーン、とインターホンが鳴ったのは、午後一時を過ぎた頃だった。モニターで確認すると顔は見えなかったけれど、荷物を持った人が少し遠くに見えた。柚月は小走りで玄関へ向かい、ドアを開けた。
「はい──?」
「あ──田﨑ですけど」
「田﨑さん……?」
「田﨑輝生。ばあちゃんから聞いてると思うけど」
「え……、おと、男性……?」
「なにか?」
祖母は〝ひかるちゃん〟と言っていたので、女性だと思い込んでいた。けれど柚月の前に現れたのは紛れもなく男性で、それも柚月よりもきっと年上だ。スラリと長身で春らしいお洒落なコートに髪も少しウェーブがかかって、いかにもモテそうな男だ──、と見惚れている場合ではなく、想定外の展開に、ことばが出てこない。
「車、そこに停めたけど、良い?」
「あっ、はい……」
「とりあえず、入って良い?」
「──どうぞ」
柚月が少し下がると、輝生は〝お邪魔しまーす〟と言いながら中に入った。大きい荷物はまだ車の中のようで、身の回りの鞄ひとつだけ持って靴を脱いでリビングへ向かった。柚月はワンテンポ遅れて玄関に鍵をかけ、輝生を追うようにリビングへ向かう。
「女っぽい部屋だな」
柚月がリビングに戻ると、輝生は歩きながら棚の中や窓の外を見ていた。
「それはっ、おばあちゃんが、ひかる〝ちゃん〟って言うから、女性だと思って」
「……なるほど。それで、まさかの男で焦ってるってわけ?」
「そう、です。ひか──、田﨑さんは、私が女ってわかってここに来たんですか?」
「うん。大学卒業を控えた女の子、って聞いてる」
輝生は話しながら、先ほどまで柚月が座っていたソファに腰かけた。既にコートは脱いでいて、中に着ていたセーターもなんとなく上品に見えた。今まで柚月も服装には気を遣ってきたけれど、輝生には勝てないと思った。
「あんたも座れば?」
座れと言われても、二人掛けのソファに並んで座れる関係ではない。先に暮らし始めたのは私なのに、と言うのを我慢して、柚月は床になぜか正座した。