その崩れ方が、好きです〜完璧なホテルマネージャーは、私にだけ素顔を見せる〜

こっそり様子を窺っていると、段ボールの陰に猫がいた。冬毛でふっくらと丸く見える、オレンジのトラ模様。

人懐こそうな顔をしているくせに、藤堂さんの手から距離を置いて、値踏みするように彼を見ている。

ホテルの裏手には古くからの住宅街が続いており、敷地に野良猫が迷い込んでくることがあるのは知っていたが。

「……ねえ、来る?」

藤堂さんが言った。湿り気を帯びた、ひどく甘い声だった。

あの背筋を伸ばさせる低い声とは、似ても似つかない──無防備にさらけ出された熱が、冷え切った廊下の空気にゆっくりと溶けていく。

その声に、私は息の仕方を忘れた。ぞくり、と甘い戦慄が背中を駆け抜ける。

これだ、と思った。私が弱い「崩れる瞬間」が今、目の前で起きている。

猫は走って逃げた。段ボールの裏へするりと身を隠して、しっぽだけがちらりと見えた。藤堂さんがわずかに肩を落とす。

振られている。あの、一分の隙もない人が、猫に振られて傷ついている。

もう一度、彼の手が伸びる。その瞬間、藤堂さんが眼鏡を外した。レンズを軽くスーツの内側で拭いて、そのまま胸ポケットに仕舞う。眼鏡のない横顔を、私は初めて見た。

ああ、そうか。この人にも、こういう顔があったのか。いつもは細いフレームに切り取られていた輪郭が、ふいに曖昧になる。

きりりと整っていた印象がどこかほどけて、ひどく人間くさい顔になった。
< 3 / 7 >

この作品をシェア

pagetop