蝶よ花よ
第一章、平安奇譚
それは、私が京に来て三日ほど経った頃。
いつか京で自分の店を持ちたいと思っていたこともあって、居候先の薬師の先生から一日だけ休みをもらっていたこの日、私は一人で京の町を散策していた。
実際ゆっくり町を見てまわるのは、ここへ来て初めてのことだった。
さすが都というべきか。
京の町は発展していて、食事処に呉服屋、雑貨屋から宿屋まで、あらゆるお店が賑わいを見せている。
子供達が元気に走り回る姿もあった。
薬屋も何軒かあり、どこも老舗という雰囲気をかもし出している。
(もし本当に店を出すことになったら、挨拶に回らないと)
そんなことを考えながら歩いていると、鼻をくすぐるお茶と団子の香りに誘われ、気づけば甘味処へと向かっていた。
甘味処の数軒前まで差し掛かったところ、男の子が地面に座り込んで泣いていた。転んだらしい膝からは血が滲んでいる。
「君、大丈夫?」
思わず声を掛けると、その子は半べそをかきながら私を見上げて「痛い……」と言った。
「一人なの?誰かと一緒?」
「いっ、いない。おつかいで来ただけ、だからっ……」
聞けば六歳の男の子であるこの子は、町で宿屋を営んでいる両親に夕餉で出す料理の買い出しを頼まれたとのことだった。
道中で小石につまずいて転んでしまい、そこに私が偶然通りかかったらしい。
「ちょっと待ってね、布を濡らしてくるから」
まずは傷口を洗い流そうと、私は近くの川で手ぬぐいを濡らす。ひんやりとした水を染み込ませて戻ると、紫がかった黒髪の男性がすでに男の子に声をかけていた。
「あ、この子のご家族ですか?」
そう尋ねると、その男性は眉を下げて「違うよ。この子が怪我して泣いていたから」と、どこか優美に微笑んだ。
着ている狩衣は全て仕立てが良さそうで、所作の美しさからもすぐに身分の高い人だと思われる。
男性はそう言って、しゃがみ込んだまま男の子の視線に高さを合わせていた。
その仕草ひとつ取っても、どこか洗練されている。
「もう大丈夫そうかな。少し血が出ているけれど、深くはなさそうだね」
穏やかな声に、男の子はこくりと頷く。けれど、まだ痛むのか、眉を寄せていた。
手ぬぐいから水を絞って傷口を洗い流し、余計な水をまた拭う。
手ぬぐいは一枚しか持っていなかったので、傷口は自然乾燥の方が良さそうだ。
傷口にパタパタと風を送って乾かそうとすると、もう泣き止んだ男の子が「ありがとう」と少し笑ってくれた。
「君は随分と手際が良いんだね」
「ありがとうございます。一応、薬師をしていまして」
「薬師?へぇ、若いのに凄いね」
傍で手当てを見守っていた男性が、優しく声をかけてくれる。
「君はあの宿の子だよね。良ければ送っていくよ」
男の子の手を引いて三人でおつかいを済ませている途中、男性は名を『伊吹』と教えてくれた。
「お手を煩わせて申し訳ありません。本当にありがとうございます」
宿屋の女将さんは何度もお礼を言ってくれた。
丁寧すぎるお礼の言葉を何度も受け取って、私と伊吹さんは宿を後にする。
宿を出ると、通りの喧騒が再び耳に戻ってきた。
行き交う人々の声、店先の呼び込み、どこかで笑う子供の声。
「……賑やかだね」
伊吹さんが、どこか遠くを見るように呟く。
「はい!京はやっぱり違いますね」
「理世さんは、京に来てまだ日が浅いと言っていたよね」
「三日ほどです」
「そうなんだ」
それだけ言って、少しだけ間が空く。
「伊吹さんは京に住んでいるんですか?」
「そうだよ。最近仕事が忙しくて町に出れていなかったから、今日はのびのびと見てまわろうと思ってね」
「お仕事って何を?」
「弱きを助ける正義の味方」
「え?」
「なんてね。それは幼い頃の夢だったかな」
胡散臭い笑みを浮かべて笑う。
弱きを助ける正義の味方……どんな人が挙げられるだろうか?
例えば、都を守る検非違使の人達。
あるいは、怪異を祓う陰陽師のような存在だろうか。
そう一所懸命に考えていると、隣を歩く伊吹さんが「ふふ」と、面白い物を見ているかのように笑った。
「伊吹さん?」
思わず問いかけると、伊吹さんは首を横に振る。
「いいや。ただ、真剣に考えてくれているんだなと思って」
「……からかっているんですか!?」
それから二人で見てまわっていると、鳥を売っているお店が目に留まった。
ござの上に竹で編まれた鳥籠の中には色とりどりの小鳥が飛んでいる。
「わぁ!」
「いらっしゃい。ここにいる鳥は全部、希少な鳥達だよ」
「本当だ。見たことない鳥ばかりだ」
「可愛いですね〜!」
思わず声が弾む。
「鳥が好きなの?」
「好きというか……見てると癒されるんです」
そう答えると、伊吹さんは鳥籠をじっと見つめたまま言う。
「閉じ込められているのに?」
「え?」
思わず振り返る。
伏せられた長いまつげが物憂げな影を落としている。
「いや」
すぐに小さく首を振る。
「気にしないでいいよ。ただの独り言だから」
そう言って微笑むが、その目は笑っていなかった。
鳥達を眺めていると、怪我をしている鳥が目に留まった。
羽が傷ついているのか、ぐったりとしている。
ピィピィと、弱々しく鳴くその声に、胸がぎゅっと締めつけられる。
思わず鳥籠に手を伸ばしかける。
「触らない方がいいよ」
はっとして手を止める。
「でも、このままじゃ……」
「死ぬかもしれないね」
あまりにもあっさりとした声音に、胸がひやりとした。
穏やかな顔のまま、感情だけがすぽりと抜け落ちているようで――思わず、言葉を失う。
その横顔は、やっぱり穏やかなままで――けれど、どこか冷静すぎる気がした。
「助けたいの?」
「はい」
迷いはなかった。
「……そう」
短く返して、伊吹さんは鳥籠の前にしゃがみ込む。
「この鳥はいくら?」
「それかい?そいつは売り物にはならねぇよ。もう長くねぇしな」
「じゃあ、処分する予定だったのかな?」
「売り物にならねぇからな。ったく、高い値で仕入れたのに」
商人はぶつぶつと呟く。
「あのっ!この子を治療することってできますか?」
「馬鹿言っちゃいけねぇよ、嬢ちゃん。商品にならねぇ奴に金をかけられるか」
気を悪くしたらしい商人が肩をすくめた。
「でも……」
「あんたが治してくれるっているなら、買い取りな。ひやかしなら帰った帰った」
しっしっと、私達を追い払うように手を向ける。
「……買います」
気づけば、そう口にしていた。
「おいおい、本気かよ」
商人が眉をひそめる。
「はい。……できるだけのことはしたいんです」
物言いたげな商人を制し、伊吹さんがじっと私の目を覗き込んだ。
「残酷なことを言うけど、ここまで酷いと治るかも分からないよ」
「……もしそういう運命だとしても、私は見過ごしたくありません。人の子と同じです。疎まれて虐げられるために生まれてくる存在はいないでしょう?」
「どうだろうね。……俺には分からないなぁ」
声色は、いつもの軽さのままなのに、どこか乾いているように聞こえた。
その言葉の意味を、深く考えない方がいい気がして、私は視線を逸らし、商人と向き直る。
値段を尋ねると、商人は私を頭から爪先まで舐めるように見てから、わざとらしく間を置いて口にする。
覚悟していたこととはいえ、やっぱり高い。 正直、手持ちでは少し厳しい。
「分割ってできますか?」
「あー、ダメダメ。ちゃんと払ってもらわないと。ったく、これだから世間知らずの女は。金もねぇのに安い同情で手を出すなんて」
「……っ」
言い返せない。
悔しさと情けなさで、思わず唇を噛んだ、その時。
「世間知らずの女性を馬鹿にするのが、世間を知った人のすること?」
横から、やわらかい声が差し込む。
けれどその声音には、どこか冷えたものが混じっていた。
「もっとも、手に職もつけて立派に生きてる理世さんが世間知らずとは思わないけどねぇ」
(伊吹さん……!)
「ああ、耳が悪くて聞き間違いをしたなら、彼女は薬師だ。治療をお願いするといいよ」
「馬鹿にしてんのか!」
声を荒げる商人を無視するように、伊吹さんは懐からトンッと銭を取り出し、商人の前に置いた。続けて、躊躇いなく腕輪を外し、同じように並べた。
「お望み通り、一括で払うよ。これで充分だよね?」
(え?)
「へ?」
商人も同じように、間の抜けた声を漏らした。
その視線が、お金と腕輪を行き来する。
「そ、そんな大金お借りするわけにはいきません!」
「貸すんじゃなくて、俺が払うつもりだったんだけどなぁ」
あまりにも軽い調子で言われて、言葉が詰まる。
「尚更ダメです!」
(こんな大金をパッと払えるなんて……)
「君はどう?」
不意に向けられた問いに、商人は一瞬だけ言葉を失う。
「え、いや……そういうことなら」
さっきまでの不機嫌そうな顔は消え、代わりに露骨な戸惑いと、欲の色が浮かんでいた。
思わず腕輪に目をやる。細やかな細工が施され、光を受けて静かに輝いていた。
腕輪は、素人目で見ても高価なものだと分かる。
お金だけでも充分な額なのに、その腕輪まで加われば明らかに払い過ぎだ。
「言っとくが、釣りは返せねぇぜ」
腕輪を食い入るように見つめながら商人が呟く。
「ん?良いよ。それくらい」
(それくらいって……!)
止めようと口を開きかけたその時。
「そこの商人、少し待て」
背後から、どこかで聞いたことのある声が割り込んだ。
思わず振り返る。
そこに立っていたのは、紫髪の気だるげそうな男性だった。
伊吹さんの方を見ると、にっこりとした笑顔のまま、わずかに動きが止まっている。
(……知り合い?)
「随分と酷いぼったくりみたいだ。正規価格とは思えない」
男性の言葉に商人の顔がぴくりと引きつる。
「確かにその鳥は珍しい種類だが、近年はよく出回ってるし、しかも怪我をしている。いくらなんでもふっかけ過ぎではないだろうか」
恐る恐る商人の顔を見ると、焦りと怒りで真っ赤になっていた。
どうやら図星みたいだ。
「……じゃあ、いくらならいいってんだよ!」
「最初に提示した額の三分の一」
三本指を立てて、男性は即答した。
「……ちっ」
やがて、商人は舌打ちをした。
「……いいだろう。それで持ってけ」
ぶっきらぼうに吐き捨てる。
「話が早くて助かる」
男性は肩をすくめた。
この男性、どこかで見たことがあるんだよなぁ……。
「無事に京に辿り着いたみたいだな」
「……え?」
思わず間の抜けた声が出た。
目の前の紫髪の男性を、まじまじと見つめる。
気だるげな立ち姿、どこか物憂げな目つき——それなのに、妙に目を引く雰囲気。
「え、あ……っ!」
胸の奥に引っかかっていたものが、ぱちんと音を立てて繋がった。
「もしかして……あの時の!」
山道で迷った時、京へ向かう途中に一度だけ道を教えてくれた人だ。
「あの時は手が離せない用事があって夜分遅かったのに宿まで送れなくてすまない。あれから何もなかっただろうか?」
謝罪の言葉を口にする男性に、私は慌てて頭を下げた。
「こちらこそ、ちゃんとお礼も言えなくて……あの時は本当に助かりました!」
「大したことはしていない」
男性は軽く手を振って、こちらの礼を受け流した。
「それより——」
ちらり、と視線が伊吹さんへ向く。
「厄は何をしているんだ」
「厄?」
「君は人の楽しみを奪うのが上手いよねぇ」
厄と呼ばれた伊吹さんは相変わらずの笑みを崩さないまま、腰に下げた飾り刀を手にかける。
「こんなんでも、頭を打ったら痛いよ?」
「どうやら俺より後に生まれた奴は、俺より先に死にたがるらしい」
「それはどうだろうねぇ。試してみる?」
けれど、その声にはほんの少しだけ棘が混じっている。
交差した視線上でバチバチと花火が散っているのが目に見えて、はらはらする。
「……お知り合い、なんですか?」
なんとか和ませようと問いかけると、二人は一瞬だけこちらを見る。
「「知り合いじゃない」」
息ぴったりだった。
勢いを削がれた商人から伊吹さんが小鳥を買い取ったあと、私達はその場を離れた。
お金を払ってくれた伊吹さんと、最初に手当てがしたいと言い出した私。どちらの下で飼うかは話し合って決めた。
適正価格とはいえ、決して高くない値段に気が引けたんだよね。
小鳥はあとで伊吹さんの家に届けられるそうだし、ひとまず良かった。
通りの喧騒から少し外れた路地に入ると、さっきまでの騒がしさが嘘みたいに静かになった。
「……で、なんで厄までいる」
男性が、露骨に面倒くさそうな声を出した。
「うわぁー面倒だなぁ……」
「なぜ二助はこんなやつの下で働いているんだ……百害あって一利なしだろう」
にこにこと笑う伊吹さんと、聞こえるようにわざと嫌味を口にする男性。
(やっぱり仲良いのでは……?)
そんなことを思いながら、私はそっと歩幅を揃えた。
「そういえば……お名前、まだ聞いてませんでした。私は理世です。よろしくお願いします」
思い切って尋ねると、男性は一瞬だけこちらを見てから、短く答えた。
「安達俊輔」
短く名乗ったその声は、先ほどまでのやり取りと同じく、どこか乾いている。
安達……。
名字があることから、武士の方だろうか?
「悪いことは言わない。厄から手を切った方が良い」
唐突に向けられた言葉に、思わず驚く。
さっきから厄扱いされている伊吹さんは、隣でくつくつと喉を鳴らして笑った。
「手を切るには少し遅すぎたかもね。まさに手遅れってことかな?」
「別に上手いことは言えていない。……これ以上、厄の傍にいるのはごめんだ。あとで厄除け買おうかな……」
そう伊吹さんに吐き捨てて、俊輔さんは踵を返した。
「伊吹さん」
「何?」
「小鳥の治療をさせて下さい」
深々と頭を下げて申し出ると、参ったなぁと呟きながら頭を掻く。
「本来それは飼い主の俺が言う立場なんだけどなぁ……」
「偉そうに言いながら、私は小鳥を買ってあげることができませんでした」
視線を落としながら、言葉を続ける。
私はただ願うだけで何一つ、現実を動かせなかった。
「理世さんには、確固たる意志があった。金銭や手段よりも尊ばれることだよ」
「それでも、手立てもないのに、助けたいっていう私の我儘を叶えてくれて、ありがとうございました」
沈黙ののち、伊吹さんが再び口を開く。
「お礼を言わなきゃいけないのは、俺の方だよ。小鳥を憐れんでくれて、ありがとう」
静かな口調に何か言葉以上の意味が含まれている気がして、ハッとする。
(伊吹さんは、謎めいているけど良い人だ)
ほんの少しだけ、伊吹さんのことが分かったのが嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。
いつか京で自分の店を持ちたいと思っていたこともあって、居候先の薬師の先生から一日だけ休みをもらっていたこの日、私は一人で京の町を散策していた。
実際ゆっくり町を見てまわるのは、ここへ来て初めてのことだった。
さすが都というべきか。
京の町は発展していて、食事処に呉服屋、雑貨屋から宿屋まで、あらゆるお店が賑わいを見せている。
子供達が元気に走り回る姿もあった。
薬屋も何軒かあり、どこも老舗という雰囲気をかもし出している。
(もし本当に店を出すことになったら、挨拶に回らないと)
そんなことを考えながら歩いていると、鼻をくすぐるお茶と団子の香りに誘われ、気づけば甘味処へと向かっていた。
甘味処の数軒前まで差し掛かったところ、男の子が地面に座り込んで泣いていた。転んだらしい膝からは血が滲んでいる。
「君、大丈夫?」
思わず声を掛けると、その子は半べそをかきながら私を見上げて「痛い……」と言った。
「一人なの?誰かと一緒?」
「いっ、いない。おつかいで来ただけ、だからっ……」
聞けば六歳の男の子であるこの子は、町で宿屋を営んでいる両親に夕餉で出す料理の買い出しを頼まれたとのことだった。
道中で小石につまずいて転んでしまい、そこに私が偶然通りかかったらしい。
「ちょっと待ってね、布を濡らしてくるから」
まずは傷口を洗い流そうと、私は近くの川で手ぬぐいを濡らす。ひんやりとした水を染み込ませて戻ると、紫がかった黒髪の男性がすでに男の子に声をかけていた。
「あ、この子のご家族ですか?」
そう尋ねると、その男性は眉を下げて「違うよ。この子が怪我して泣いていたから」と、どこか優美に微笑んだ。
着ている狩衣は全て仕立てが良さそうで、所作の美しさからもすぐに身分の高い人だと思われる。
男性はそう言って、しゃがみ込んだまま男の子の視線に高さを合わせていた。
その仕草ひとつ取っても、どこか洗練されている。
「もう大丈夫そうかな。少し血が出ているけれど、深くはなさそうだね」
穏やかな声に、男の子はこくりと頷く。けれど、まだ痛むのか、眉を寄せていた。
手ぬぐいから水を絞って傷口を洗い流し、余計な水をまた拭う。
手ぬぐいは一枚しか持っていなかったので、傷口は自然乾燥の方が良さそうだ。
傷口にパタパタと風を送って乾かそうとすると、もう泣き止んだ男の子が「ありがとう」と少し笑ってくれた。
「君は随分と手際が良いんだね」
「ありがとうございます。一応、薬師をしていまして」
「薬師?へぇ、若いのに凄いね」
傍で手当てを見守っていた男性が、優しく声をかけてくれる。
「君はあの宿の子だよね。良ければ送っていくよ」
男の子の手を引いて三人でおつかいを済ませている途中、男性は名を『伊吹』と教えてくれた。
「お手を煩わせて申し訳ありません。本当にありがとうございます」
宿屋の女将さんは何度もお礼を言ってくれた。
丁寧すぎるお礼の言葉を何度も受け取って、私と伊吹さんは宿を後にする。
宿を出ると、通りの喧騒が再び耳に戻ってきた。
行き交う人々の声、店先の呼び込み、どこかで笑う子供の声。
「……賑やかだね」
伊吹さんが、どこか遠くを見るように呟く。
「はい!京はやっぱり違いますね」
「理世さんは、京に来てまだ日が浅いと言っていたよね」
「三日ほどです」
「そうなんだ」
それだけ言って、少しだけ間が空く。
「伊吹さんは京に住んでいるんですか?」
「そうだよ。最近仕事が忙しくて町に出れていなかったから、今日はのびのびと見てまわろうと思ってね」
「お仕事って何を?」
「弱きを助ける正義の味方」
「え?」
「なんてね。それは幼い頃の夢だったかな」
胡散臭い笑みを浮かべて笑う。
弱きを助ける正義の味方……どんな人が挙げられるだろうか?
例えば、都を守る検非違使の人達。
あるいは、怪異を祓う陰陽師のような存在だろうか。
そう一所懸命に考えていると、隣を歩く伊吹さんが「ふふ」と、面白い物を見ているかのように笑った。
「伊吹さん?」
思わず問いかけると、伊吹さんは首を横に振る。
「いいや。ただ、真剣に考えてくれているんだなと思って」
「……からかっているんですか!?」
それから二人で見てまわっていると、鳥を売っているお店が目に留まった。
ござの上に竹で編まれた鳥籠の中には色とりどりの小鳥が飛んでいる。
「わぁ!」
「いらっしゃい。ここにいる鳥は全部、希少な鳥達だよ」
「本当だ。見たことない鳥ばかりだ」
「可愛いですね〜!」
思わず声が弾む。
「鳥が好きなの?」
「好きというか……見てると癒されるんです」
そう答えると、伊吹さんは鳥籠をじっと見つめたまま言う。
「閉じ込められているのに?」
「え?」
思わず振り返る。
伏せられた長いまつげが物憂げな影を落としている。
「いや」
すぐに小さく首を振る。
「気にしないでいいよ。ただの独り言だから」
そう言って微笑むが、その目は笑っていなかった。
鳥達を眺めていると、怪我をしている鳥が目に留まった。
羽が傷ついているのか、ぐったりとしている。
ピィピィと、弱々しく鳴くその声に、胸がぎゅっと締めつけられる。
思わず鳥籠に手を伸ばしかける。
「触らない方がいいよ」
はっとして手を止める。
「でも、このままじゃ……」
「死ぬかもしれないね」
あまりにもあっさりとした声音に、胸がひやりとした。
穏やかな顔のまま、感情だけがすぽりと抜け落ちているようで――思わず、言葉を失う。
その横顔は、やっぱり穏やかなままで――けれど、どこか冷静すぎる気がした。
「助けたいの?」
「はい」
迷いはなかった。
「……そう」
短く返して、伊吹さんは鳥籠の前にしゃがみ込む。
「この鳥はいくら?」
「それかい?そいつは売り物にはならねぇよ。もう長くねぇしな」
「じゃあ、処分する予定だったのかな?」
「売り物にならねぇからな。ったく、高い値で仕入れたのに」
商人はぶつぶつと呟く。
「あのっ!この子を治療することってできますか?」
「馬鹿言っちゃいけねぇよ、嬢ちゃん。商品にならねぇ奴に金をかけられるか」
気を悪くしたらしい商人が肩をすくめた。
「でも……」
「あんたが治してくれるっているなら、買い取りな。ひやかしなら帰った帰った」
しっしっと、私達を追い払うように手を向ける。
「……買います」
気づけば、そう口にしていた。
「おいおい、本気かよ」
商人が眉をひそめる。
「はい。……できるだけのことはしたいんです」
物言いたげな商人を制し、伊吹さんがじっと私の目を覗き込んだ。
「残酷なことを言うけど、ここまで酷いと治るかも分からないよ」
「……もしそういう運命だとしても、私は見過ごしたくありません。人の子と同じです。疎まれて虐げられるために生まれてくる存在はいないでしょう?」
「どうだろうね。……俺には分からないなぁ」
声色は、いつもの軽さのままなのに、どこか乾いているように聞こえた。
その言葉の意味を、深く考えない方がいい気がして、私は視線を逸らし、商人と向き直る。
値段を尋ねると、商人は私を頭から爪先まで舐めるように見てから、わざとらしく間を置いて口にする。
覚悟していたこととはいえ、やっぱり高い。 正直、手持ちでは少し厳しい。
「分割ってできますか?」
「あー、ダメダメ。ちゃんと払ってもらわないと。ったく、これだから世間知らずの女は。金もねぇのに安い同情で手を出すなんて」
「……っ」
言い返せない。
悔しさと情けなさで、思わず唇を噛んだ、その時。
「世間知らずの女性を馬鹿にするのが、世間を知った人のすること?」
横から、やわらかい声が差し込む。
けれどその声音には、どこか冷えたものが混じっていた。
「もっとも、手に職もつけて立派に生きてる理世さんが世間知らずとは思わないけどねぇ」
(伊吹さん……!)
「ああ、耳が悪くて聞き間違いをしたなら、彼女は薬師だ。治療をお願いするといいよ」
「馬鹿にしてんのか!」
声を荒げる商人を無視するように、伊吹さんは懐からトンッと銭を取り出し、商人の前に置いた。続けて、躊躇いなく腕輪を外し、同じように並べた。
「お望み通り、一括で払うよ。これで充分だよね?」
(え?)
「へ?」
商人も同じように、間の抜けた声を漏らした。
その視線が、お金と腕輪を行き来する。
「そ、そんな大金お借りするわけにはいきません!」
「貸すんじゃなくて、俺が払うつもりだったんだけどなぁ」
あまりにも軽い調子で言われて、言葉が詰まる。
「尚更ダメです!」
(こんな大金をパッと払えるなんて……)
「君はどう?」
不意に向けられた問いに、商人は一瞬だけ言葉を失う。
「え、いや……そういうことなら」
さっきまでの不機嫌そうな顔は消え、代わりに露骨な戸惑いと、欲の色が浮かんでいた。
思わず腕輪に目をやる。細やかな細工が施され、光を受けて静かに輝いていた。
腕輪は、素人目で見ても高価なものだと分かる。
お金だけでも充分な額なのに、その腕輪まで加われば明らかに払い過ぎだ。
「言っとくが、釣りは返せねぇぜ」
腕輪を食い入るように見つめながら商人が呟く。
「ん?良いよ。それくらい」
(それくらいって……!)
止めようと口を開きかけたその時。
「そこの商人、少し待て」
背後から、どこかで聞いたことのある声が割り込んだ。
思わず振り返る。
そこに立っていたのは、紫髪の気だるげそうな男性だった。
伊吹さんの方を見ると、にっこりとした笑顔のまま、わずかに動きが止まっている。
(……知り合い?)
「随分と酷いぼったくりみたいだ。正規価格とは思えない」
男性の言葉に商人の顔がぴくりと引きつる。
「確かにその鳥は珍しい種類だが、近年はよく出回ってるし、しかも怪我をしている。いくらなんでもふっかけ過ぎではないだろうか」
恐る恐る商人の顔を見ると、焦りと怒りで真っ赤になっていた。
どうやら図星みたいだ。
「……じゃあ、いくらならいいってんだよ!」
「最初に提示した額の三分の一」
三本指を立てて、男性は即答した。
「……ちっ」
やがて、商人は舌打ちをした。
「……いいだろう。それで持ってけ」
ぶっきらぼうに吐き捨てる。
「話が早くて助かる」
男性は肩をすくめた。
この男性、どこかで見たことがあるんだよなぁ……。
「無事に京に辿り着いたみたいだな」
「……え?」
思わず間の抜けた声が出た。
目の前の紫髪の男性を、まじまじと見つめる。
気だるげな立ち姿、どこか物憂げな目つき——それなのに、妙に目を引く雰囲気。
「え、あ……っ!」
胸の奥に引っかかっていたものが、ぱちんと音を立てて繋がった。
「もしかして……あの時の!」
山道で迷った時、京へ向かう途中に一度だけ道を教えてくれた人だ。
「あの時は手が離せない用事があって夜分遅かったのに宿まで送れなくてすまない。あれから何もなかっただろうか?」
謝罪の言葉を口にする男性に、私は慌てて頭を下げた。
「こちらこそ、ちゃんとお礼も言えなくて……あの時は本当に助かりました!」
「大したことはしていない」
男性は軽く手を振って、こちらの礼を受け流した。
「それより——」
ちらり、と視線が伊吹さんへ向く。
「厄は何をしているんだ」
「厄?」
「君は人の楽しみを奪うのが上手いよねぇ」
厄と呼ばれた伊吹さんは相変わらずの笑みを崩さないまま、腰に下げた飾り刀を手にかける。
「こんなんでも、頭を打ったら痛いよ?」
「どうやら俺より後に生まれた奴は、俺より先に死にたがるらしい」
「それはどうだろうねぇ。試してみる?」
けれど、その声にはほんの少しだけ棘が混じっている。
交差した視線上でバチバチと花火が散っているのが目に見えて、はらはらする。
「……お知り合い、なんですか?」
なんとか和ませようと問いかけると、二人は一瞬だけこちらを見る。
「「知り合いじゃない」」
息ぴったりだった。
勢いを削がれた商人から伊吹さんが小鳥を買い取ったあと、私達はその場を離れた。
お金を払ってくれた伊吹さんと、最初に手当てがしたいと言い出した私。どちらの下で飼うかは話し合って決めた。
適正価格とはいえ、決して高くない値段に気が引けたんだよね。
小鳥はあとで伊吹さんの家に届けられるそうだし、ひとまず良かった。
通りの喧騒から少し外れた路地に入ると、さっきまでの騒がしさが嘘みたいに静かになった。
「……で、なんで厄までいる」
男性が、露骨に面倒くさそうな声を出した。
「うわぁー面倒だなぁ……」
「なぜ二助はこんなやつの下で働いているんだ……百害あって一利なしだろう」
にこにこと笑う伊吹さんと、聞こえるようにわざと嫌味を口にする男性。
(やっぱり仲良いのでは……?)
そんなことを思いながら、私はそっと歩幅を揃えた。
「そういえば……お名前、まだ聞いてませんでした。私は理世です。よろしくお願いします」
思い切って尋ねると、男性は一瞬だけこちらを見てから、短く答えた。
「安達俊輔」
短く名乗ったその声は、先ほどまでのやり取りと同じく、どこか乾いている。
安達……。
名字があることから、武士の方だろうか?
「悪いことは言わない。厄から手を切った方が良い」
唐突に向けられた言葉に、思わず驚く。
さっきから厄扱いされている伊吹さんは、隣でくつくつと喉を鳴らして笑った。
「手を切るには少し遅すぎたかもね。まさに手遅れってことかな?」
「別に上手いことは言えていない。……これ以上、厄の傍にいるのはごめんだ。あとで厄除け買おうかな……」
そう伊吹さんに吐き捨てて、俊輔さんは踵を返した。
「伊吹さん」
「何?」
「小鳥の治療をさせて下さい」
深々と頭を下げて申し出ると、参ったなぁと呟きながら頭を掻く。
「本来それは飼い主の俺が言う立場なんだけどなぁ……」
「偉そうに言いながら、私は小鳥を買ってあげることができませんでした」
視線を落としながら、言葉を続ける。
私はただ願うだけで何一つ、現実を動かせなかった。
「理世さんには、確固たる意志があった。金銭や手段よりも尊ばれることだよ」
「それでも、手立てもないのに、助けたいっていう私の我儘を叶えてくれて、ありがとうございました」
沈黙ののち、伊吹さんが再び口を開く。
「お礼を言わなきゃいけないのは、俺の方だよ。小鳥を憐れんでくれて、ありがとう」
静かな口調に何か言葉以上の意味が含まれている気がして、ハッとする。
(伊吹さんは、謎めいているけど良い人だ)
ほんの少しだけ、伊吹さんのことが分かったのが嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。
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