きみと描く青い未来。

第六章 空白の席

 その日、教室に七瀬結衣はいなかった。

 最初は、ただの遅刻だと思った。

 それくらいのことは今までにもあった。

 でも、昼になっても現れなかった。



 窓際の席だけが、ぽっかりと空いていた。

 いつもそこにあった“気配”が、丸ごと抜け落ちている。

 それが思った以上に、教室を静かにしていた。

 昼休み。

 俺は無意識のまま、美術室へ向かっていた。

 理由は分からない。

 でも足は迷わなかった。

 ドアの前。

 少しだけ開いている隙間。

 ――サラ、サラ。

 いつもの音は、今日はしなかった。

 中に入る。

 窓際の席には、誰もいない。

 イーゼルだけがそこに残っている。

 キャンバスは途中のまま止まっていた。

 何も描かれていないわけじゃない。

 でも完成にもなっていない。

 どこにも行けないままの線が、途中で止まっている。

 その瞬間、嫌な予感だけが遅れて来た。

「七瀬は?」

 近くの美術部員らしき先輩に聞く。

 少しだけ間。

「今日は来てないね」

 それだけだった。

 理由は続かない。

 ただ事実だけが置かれる。

 俺はそのまま、教室に戻った。

 でも戻った気がしなかった。

 午後の授業。

 黒板の文字が頭に入らない。

 時計の針だけがやけに遅い。

 何度も窓の外を見る。

 でも結衣は来ない。

 放課後。

 気づけばまた美術室の前に立っていた。

 ドアは、今日は少し重く感じた。

 中に入る。

 空気が違う。

 窓際の席は、やっぱり空のままだった。

 イーゼルの前に立つ。

 キャンバスを見る。

 途中で止まったままの絵。

 それは昨日までよりも、ずっと“未完成”に見えた。

 そこに結衣はいないのに、まだそこにいる気がした。

「……何してんの」

 背後から声がした。

 振り返ると、美術部の別の生徒だった。

「七瀬、今日来てないの?」

「ああ……うん」

 少しだけ間。

「体調悪いって聞いたけど」

 その言葉だけが、やけに重く落ちた。

 体調。

 その二文字が、急に現実の形を持つ。

「どこが?」

 思わず聞く。

「さあ……詳しくは知らないけど」

 曖昧な返事。

 それ以上は誰も知らない。

 知っていても言わないのかもしれない。

 俺はその場を離れた。

 帰り道。

 空はまだ明るいのに、どこか薄い。

 いつもと同じ景色なのに、どこかだけが違う。

 気づいてしまう。

 “いない”という事実は、思っていたよりずっと重い。

 そしてもう一つ。

 いなくても、まだあの場所にいる気がしてしまうことの方が、もっと重かった。

 その夜。

 スマホを何度も見た。

 連絡先はある。

 でも、何を送ればいいのか分からない。

 「大丈夫か?」

 その一言が、ひどく軽く見える。

 結局、何も送れなかった。

 ただ画面だけが暗くなる。

 翌日も、結衣は来なかった。

 その次の日も。

 空いている席は、もう“空いている”というより“そこに何かがあった痕跡”になっていた。

 俺は気づいてしまう。

 これはただの欠席じゃない。

 でも、それ以上のことを知るには、まだ何かが足りない。

 そしてその“足りなさ”が、いちばん怖かった。
< 6 / 10 >

この作品をシェア

pagetop