孤独な先輩と空しか撮れない私の話。
入学式、臙脂色の仰々しいカーテンの前に立って、禿げ頭の校長先生がどうでもいいことを長々と話していた。
私はそれをちゃんと聞いているふりをしながら、体育館の2階通路の窓から見える僅かな青空を眺めた。
無理矢理にでもお祝いにこじつける紅白幕の上の、木々の隙間から差し込む青白い光。
その鋭さだけが、式の退屈さを切り裂く。
気を抜いているのをバレない程度に、横の人を見て、タイミングを合わせながら、体育館を退場していく。
体育館の出口をくぐった瞬間、向けられていた視線とカメラが消え去り、開けた空が視界一杯に広がった。

翌日、電車の窓に張り付いた朝の光は少し白く揺れていた。
その空をぼんやりと眺めているうちに、慣れない乗り換えを終え、気がつけば、高校の門の前に立っていた。
教室に入ると、もう小さな輪が、もういくつもできていた。
授業が始まるまでの僅かな時間でさえ、人気者の机に寄って、愛想笑いを浮かべている。
その光景を横目に、私は窓の外の空を見る。
今日の空は昨日より少しだけ青が薄い。
前から3列目の窓際の席。
「白川凪」
そう、ラミネートされた紙に丸っぽい担任の先生の手書きの字で書かれていた。
鞄から筆箱と提出物を出して、ぼんやりと窓の外の景色を眺める。
屈強そうな幹がくねくねと身を乗り出す桜。
花弁の付け根の部分は濃い紫色っぽいけれど、そこから段々と色が薄まって、ほぼ白が占めている。
なのに、桜の印象はピンクだ。
不思議だな、とぼんやり思った。

「ガラガラガラ」
四角ぶちの眼鏡をかけて、襟元に黄色い沁みが付着したポロシャツを着た担任が入ってきて、与太話に興じていた子が続々と自席に戻っていく。
「出席番号1番さん、号令お願いします」
「起立、礼。着席」
椅子を床に引きずり、気怠そうに私は礼をした。
先生は、文字が小さくて見えるはずもないB5サイズの日程表をマグネットで机に貼って、抑揚なく淡々と説明していく。
3時間の学活後、部活動見学。
時折、桜の上にそびえ立つ筋雲を眺めながら、延々と流れてくる読む気にならないA4サイズの白黒の紙を1枚取って、後ろに回すという作業。
それが終わると、背の順に並ばされて、体育館へ向かった。
私の身長は160㎝だから、真ん中くらいか。
適当に空いているところに入り、階段を降りていく。

体育館に入った途端、むっとした熱気が肌にまとわりついた。
先輩達のほぼ下着のようなユニフォームが汗を吸って少し暗く映る。
私はその蒸し暑さから逃げるように、紅白幕が取り外された窓の隙間を探した。
そこだけ、薄い青が切り取られている。
「さあさあ、お待ちかね!部活動紹介の時間です」
マイクの音割れした声が体育館に跳ね返って、うるさい。
その声で示し合わせたように、陸上部が流行りの歩き方で登場し、前に座る女子達が手を叩いて、大きな盛り上がりを見せる。
「イケメンだ~」
黄色い声を上げて、雰囲気を高ぶらせている。
こういう子が人には好かれるんだろうな。
全く関係のない感想を抱きながら、私はただ窓の外の青を追う。
「続いて、写真部です」
間延びした声に顔を上げると、金髪頭の男の人が片手を上げて舞台に出てきた。
どこか気の抜けた笑顔。
笑っているのに、目だけが少しだけ疲れている。
そんなように見えたけれど、周囲は歓声を上げていた。
「写真部でーす。これから新1年生の皆さんの写真を撮ろうと思いまーす。撮られたい人!」
その声に合わせて、また騒めきが広がる。
私はその波の外側で、ただ静かにその姿を見ていた。
顔の良さとコミュ力を活かして、持て囃されている。
ザ・人気者って感じか。

全部の紹介が終わると、担任から配られた校内地図を片手に、パソコン室に向かった。
廊下の窓から見えた空は、先より少し白くなっている。
その下で、小さな人だかりができていた。
写真部の活動場所。
まあ、写真は好きだし、部活は強制参加だからここでいい。
「副部長の一条世那だよ。よろしく」
細く綺麗な指を垂らして、どうでもいいことに大口開けて笑う。
チャラそうな男。
人当たりがよくて、悪事に簡単に手を染めながら、その隣で笑った誤魔化しが通用するような世渡り上手そうな奴。
なんて、妄想の延長線上のただの偏見だが。
「君、名前は?」
イケメンを目の保養にしたいだけの人間の波がボーとしていた間に、いつの間にか過ぎ去っていた。
「白川凪です」
嫌悪感を隠そうともせず、私は仏頂面で答えた。
イケメンパワーが通用しないと分かれば、面倒臭く絡まれることもないだろう。
「凪ちゃんは写真、日頃から撮ってるの?」
首に下げられた一眼レフのカメラ。
小学校高学年から着実に貯めて、中2の夏に買った10万円の物。
初対面で「ちゃん」付け。
距離感がバグってる。
でも、この顔で許されているんだろう。
なんなら、フレンドリーで親しみやすいまであるか。
「まあ、そうですね」
俯きながら喋ると、一番下のボタンを締めていないせいで露見した赤いネクタイが目に入る。
「へえ、見せてよ」
大きな掌をこちらへ向けて、愛されているであろう笑顔を向けてくる。
カメラに触れはしないけれど、どこか強引。
「どうぞ」
拒否できる深い理由もなく、私はカメラを渡した。
その写真をじっと見て、一枚一枚、ゆっくりとスクロールしていく。
真剣な目。
それから、挑発するような目をして言った。
「へえ、綺麗だね。空が好きなの?」
顔を持ち直して、また営業スマイルを浮かべている。
あの写真までは遡らなかったことへの少しの安堵。
「別に」
好きというのとは違う。
でも、説明したところで変に憐れまれるだけ。
周りからチヤホヤされてきた先輩と人が撮れない私、どう考えても別世界の人間。
「ふうん。そっか」
私の冷たい返事に対しては何も言わずに、先輩は長らくそのカメラに保存された青い空を眺めていた。

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