托恋 〜鳥ノ神は女中娘を翼に匿す〜
『水無月』 庇う
槍で一突きでもすれば、今にも降り出しそうな曇りの日。
今日は厨様と一緒に、気の遠くなるような大量の梅仕事に精を出していた。
砂糖煮や梅酒を好む神様は大勢いる。完成次第、甕を全て空にされるなんてことは毎年しょっちゅうなので、沢山作っておくに越したことはないのだ。
「で、どうなのよここ最近は?」
そんな私達を眺めつつ、昼間から酒を煽っているのは湯ノ様こと『湯ノ神』だ。
乳白色の髪と、大胆に胸元を開けた着流しをした男性の姿……をしているのだが喋り方は女性そのもので、初めてあった頃は内心大混乱したのをよく覚えている。
「どう、とは。なんのことしょうか、湯ノ様」
「いやぁねぇとぼけちゃってさ。鳥のことよ、鳥。あんた近頃あいつに言い寄られてるらしいじゃない」
「えっ!?」
湯ノ様はただの女中である私にも気さくに接してくれる方なのだけど、たまにこうやって突飛なことを言い出すところがあった。
とはいえ、あれ以来バードさんが話しかけてくれるのは本当のことだ。
出会い頭の挨拶や世間話はもちろん、業務中にもさっと現れて重い物を運んでくれたり雑事すら笑顔を絶やさず手伝ってくれる。
が、最近は湯ノ様が言うような『言い寄られてる』なんてことは別になかったはずだが。
「誤解ですよ湯ノ様。バードさんは私が困ってるところを助けてくださってるだけです」
「ほ〜ん助け、ねぇ。あいつに抱きしめられてたって猿ちゃんは言ってだけど」
「あー……れは本当にあの時だけですよ!というかそもそも、あんなに素敵な神様がただの女中に言い寄るわけが」
「うっそ、本当に抱きしめられたのかい!?コリャアひょっとするとひょっとするかもしれないね……」
「だからなんでもないんですって」
勝手に盛り上がっている湯ノ様にため息を吐きながら、梅酒を仕込んだ甕に封をする。慣れた作業ではあるけれど、今年はさらに疲れるのが早い気がした。
「無駄話はそこまでにしておけ」
突然、厨様が静かに言った。
いつにも増して迫力のある横顔に、背中に冷や汗が流れ落ちるのを感じる。
湯ノ様の様子をチラッと伺うと「やっべ」と露骨に顔に現れていた。
「暇なら手伝わせるぞ」
「いよーーーしっ暇酒終了!出撃した連中が帰ってきた時に向けて、風呂の温度でも調整してくるかねぇ」
お猪口と徳利を懐に入れ、慌ただしく立ち上がった湯ノ様は暖簾をくぐり出て行った。
途端に、厨が静かになる。これでやっと作業に集中できそうだ。
「あまり奴には近付かないほうが良い」
そう言う厨様の声は、先程と違ってとても冷たかった。
思わずギョッとして、厨様の方へ振り返る。
湯ノ様がこうして厨に飲みに来るのはいつものことだから『奴』というのは湯ノ様のことではないのだろう。
ならバードさんしかいないのだが——
「どうして、ですか」
「……」
結局その後、厨様から返事が返ってくることはなかった。
◇
それから作業すること一時間。
仕込みを終え、並ぶ大量の甕の姿は壮観だ。
大変だけども毎年終わる度に「頑張って良かった」と、そう思える。
「お疲れ様でした。今年も美味しくなりそうですね」
「だな……予定よりも早く済んだ。三十日に出すようの水無月を試作しているが、食うか?」
「是非!!」
思いがけないおやつに、心がはずむ。
なんだかんだでこの務めを頑張れるのは、厨様のおかげである。
「無いっ!無いっ!無いー!!」
屋敷中が、その悲痛な叫びで震えた。
今のは確か、鈴様の声だったような。
しかも結構、ここから距離が近かったような。
思わず厨様と顔を見合わせた後、暖簾からそっと廊下の様子を伺う。
案の定、一番近い広間の前で鈴様が泣きじゃくっていた。
そばにいる衣ノ様こと『衣ノ神』が鈴様の肩をさすりつつ、優しい声で「ちゃんと探したの?もう一度、朝から自分が何をしていたか思い出してみなさい」と宥めていた。
「朝は、ちゃんと、あっだのよ……それがら、昼餉の時も、楽器仲間と舞をして、庭の紫陽花を見に行って……」
よく見ると鈴様の髪から、いつも八本挿してある簪のうちの一本が無くなっていた。神楽鈴の形をした黄金の簪はそれは見事な物で、たとえ一本といえ鈴様があんなに悲しむのも納得だ。
(あの様子じゃ、外は探せてなさそうかな)
「厨様、すみません。私ちょっと庭に行ってきます」
私の上から顔を出している厨様に声をかけ、そのまま裏口から外に飛び出した。
◇
屋敷の庭には、季節に合った植物(雑草も含めて)をそのつど咲かせる力があった。
湯ノ様曰く、この不思議な現象は四季に関する神様が揃ったからこそできることらしい。
そして今一番、六月の庭を占めているのが紫陽花だ。
紫陽花園と化した庭に到着するなり、屈んで鈴様の簪を探す。
どんな風に見て回ったのかはわからないが、結構活発な動きをする鈴様のことだ。飛んでいって紫陽花の根元にまで落ちていないか一応、葉をかき分け覗いてみる。
無い、無い、無い、あっ……無い。
とにかく紫陽花の数が多いし、ずっと屈んでいたせいで腰や膝が痛くなってきた。
オマケにさっきからポツポツと、首筋になんだかひんやりとした——ひんやり?
ザァッと容赦なく、バケツをひっくり返したような大雨が降りそそいだ。
数秒放心したのち、探し物を再開する。
ひょっとしたら屋敷の中にあって、もうとっくに誰かが見つけている可能性もあるけれど、そうじゃなかったら大変だ。
命じられた訳でもないのにどうしてここまでするのか、自分でも不思議だった。
でもあの綺麗な簪が今頃、泥に塗れているんじゃないかと思うと、なんだか辛い。
「お嬢さん」
急に音を残して、雨が止む。
見上げた先にあったのは、鬱陶しいくらい降り注いでいた雨粒を遮ったのは、あの美しい翼だった。
「バードさん!?」
「只今、出撃より戻りました。イヤァ〜なンだか、貴女がこちらにいらっしゃる気がしたンですよねぇ。それで真っ直ぐ来てみればホラこのとおり!濡れたままでいると風邪を引いてしまいますよ。屋敷に戻りましょう」
「そうしたいんですが、実は——」
鈴様の簪を探していることを説明すると、バードさんは珍しく両目を閉じて「やれやれ」と冷たく笑った。
その姿にどうしようもなく、申し訳ない気持ちになる。きっと、ただ闇雲に探している私に呆れてしまったのだろう。
「バードさん。探しに来ていただいて申し訳ないのですが、私はあともう少しそこらを探しますので、どうか先に屋敷に戻って」
「駄目ですよ、お嬢さん。貴女が貴女の優しさで、無理をすることをアタクシは許しませン」
翼で引き寄せられ、バードさんの胸部に顔を埋める姿勢になる。本当ならバードさんを濡らさないよう離れなければいけないのに、着物越しでも温かく感じる羽根に、つい少しだけまどろみそうになった。
「あったかい……」
「とはいえ、お嬢さんの気遣いを無碍にするのも不粋というもの。ここはさっさと見つけ出して、早く風呂に入ることにしましょう!」
そう言って、バードさんは辺りを見回した。
ただ見るだけで探せるのだろうか、いや神様ならできるのかもと静かに待つこと数秒。「お嬢さん、ありましたよー!」とバードさんが叫んだ。
「ど、どこですか!?」
「あそこにある、紫陽花の葉の間が光っています。ちょいと掻き分けてみなさい」
言われた紫陽花に手を入れると、あの綺麗な黄金の神楽鈴の、鈴様の簪が出てきた。
良かった、やっぱり外にあったんだ。
「バードさん、ありがとうございます!一体どうやって見つけたんですか?」
「ンーフフフフフ簡単ですよ。アタクシ達鳥はね、目が良いからキラキラした物に敏感なんです。だから僅かな輝きでも、逃したりはしませン」
「すっごいですね……私一人だったら、きっと見つかりませんでした」
「アタクシが探す気になれたのはお嬢さんのおかげですよ。ですから、ささっ、お嬢さんも胸を張って屋敷に戻りましょう」
◇
屋敷の中は、飛び出した時よりも何故か騒然としている。
急いで鈴様が騒いでいた広間に向かうと、いつの間にか集まった付喪神と動物に関する神々が、広間の中心で睨み合っていた。
それを脇で見ている他の神々の中に、厨様と湯ノ様が混ざっている。近寄って小声で「皆様どうされたんですか?」と尋ねてみた。
「あんまりにも簪が見つかんないからさ、ついに鈴ちゃんが『盗まれた』って騒ぎ出したのよ。しかも『獣が怪しい』って言うからもう連中カンカンになっちゃってね」
「獣の分際でよくも!とっとと私の簪を返しなさいよ!!」
「憶測で物を言うのはやめんか。大体、わしらはあんな喧しい物は好かん」
「犬の言う通り。むしろ私達よりも、今あんたの横で味方ヅラしてる衣ノ神の方が怪しいんじゃニャいの?簪をバラして服の素材にしてるかもしれないし」
「それは聞き捨てなりませんね『猫ノ神』。私は誰かの物を盗んで服を仕立てるほど、誇りのない仕事はしませんよ」
両陣営共、気が立っているせいで間に火花が発生している。こういう時に場を納めるのが旦那様の務めなのだが、出撃から帰った今なら入浴中だろう。
チラッとバードさんを伺えば、いつも以上に優しく微笑んで翼で私を促した。
不思議だ。それだけでもう、荒ぶる神々の元へ飛び込むのが怖くなくなった。
「鈴様、お忙しいところ失礼します」
一言かけると、泣き腫らした瞳で睨まれる。
布巾で包んでいた簪を開いて見せれば、驚愕の表情を浮かべた。
「嘘…どこに……」
「庭の、紫陽花の中にありました。バードさんが見つけてくださったんです」
「真っ先に庭へあたりをつけたのはお嬢さんですよ。雨が降り出してもずっと探していたんですから、貴方ちゃあンとお嬢さんに感謝なさい」
騒動の元である簪が見つかったことで、周りの空気が少し和らいだ。やれやれと言った様子で広間から出ていく神や、雑談を始める神が増えてゆく。
「全く、人騒がせならぬ神騒がせな奴だ」
「もういっそのこと、持ち物全てを紐で括っておけばいいのに」
「——違う、あんたが」
「鈴様?どうされ」
「あんたが盗んだんでしょ!私の簪を‼︎」
「でえええ!?」
すっごい、もう本当にすっごい。
いったい何がどうなったらそんな考えになるのだろう。
息を荒げる鈴様と戸惑う私の間に、バードさんが庇う様に片翼を広げ割り入った。
「一応——聞いておきますが、何を根拠にそんな馬鹿事を?」
「これはただの簪じゃない、神の私物よ!人間なら一目見ただけで欲しくなったって、おかしくないわ!!」
「ですが、見つけて持ってきたのはお嬢さんですよ」
「きっと私が騒いだから、怖くなって落ちていたのを見つけた体で持ってきたんでしょう。そうすれば盗みも手柄になるもの!!」
「それはない」
背後から現れた厨様と湯ノ様が、それぞれ私の肩に手を置いた。
厨様はいつも以上におっかない雰囲気だし、湯ノ様にいたっては見たことのない険しい表情をしている。
「この子は、昼からずっと私を手伝ってくれていた。お前に昼餉まで持っていた記憶があるのなら、この子に盗む時間はなかったはずだ」
「あたしもいたからね、証言できるよ」
私の擁護にさらにニ柱が加わったことで、流石の鈴様もたじろいだ。さっきまでの怒声もしどろもどろになり、一気に気の毒な様子になってくる。
「鈴様」
「だ、だって。そうじゃないと、おかしいっ」
「失礼します」
背後に周り、鈴様の髪に、あるべき場所にそっと簪を挿した。
七本の簪が八本に戻り、一層その輝きを増す。
その様子に、なぜ自分があれほど必死に簪を探したのかようやく気付けた。
「あ…」
「鈴様。確かにこの簪はとても素晴らしい物ですが、貴方様の髪にある時が一番美しいと私は思っています」
「……」
「だから盗もうだなんて愚かなこと、考えたことすらありません。私には、どう転んでも釣り合わない逸品ですから」
あるべき場所に、ようやくあるべき物が戻った。
それにたまらなく安心する。
胸を撫で下ろす私に対し、鈴様はぽつりと少しずつ言葉をこぼす。
「……あんなこと、言って」
「はい」
「ごめんなさい。あなたは、そんな子じゃないのに」
「いえそんな。それよりも、無事に見つかって良かったです」
鈴様自身も簪が元に戻って、大分落ち着かれたみたいだ。
もしかすると、顕現当時から身につけていた物が意図せず欠けるということは、神様にとって相当な心労になるのかもしれない。
だとしたらあれほど荒ぶられるのも当然だ。
(まぁそれならそれで、次からはちゃんとご自分で管理してほしいな。はっ)
「えっっっっぐしっ!おぁあい」
不意に飛び出したクシャミに、慌てて横を向き口元を手で押さえる。
そういえば自分やバードさんはまだ濡れた状態なのだった。
「バードさ、ほっ!?」
バードさんの方に向き直るよりも早く、その両翼に包まれ担ぎ上げられる。
「これはいけない!湯ノ神、今すぐ一番効果のある薬湯を風呂場に!」
「あいよっ任せな!」
「あの、バードさ」
「厨ノ神、貴方はお嬢さんの湯上がりに白湯か緑茶を!」
「わかった」
「あの」
「衣ノ神はお嬢さんに温かい着物を!」
「ご依頼、承りました」
「あ」
「お嬢さん!今すぐ風呂場に連れて行きますからね!気をしっかり、湯に浸かることだけを考えてなさい!!」
有無を言わさない迫力に、とりあえずその場は閉口するしかないのだった。
◇
失せ物騒動から二日後。
例の広間を掃除していると、バードさんがやってきて廊下から手招きならぬ、翼招きをしていた。
いつもと同じ笑顔だが、心なしかいつもより高揚しているように見える。
何かいい事でもあったのだろうか。
「どうされました、何か用事でも?」
「いやいや、違いますよ。お嬢さんに渡したい物があるンです。だからはい、両手を出して」
渡したい物?
(洗濯物とか繕い物とか……普通にごみとかかな)
言われた通りに両手を広げて出すと、掌に小さく細長い、これは
「簪、ですか?」
「はい。お嬢さんにと思ってアタクシが選びました」
「そんな、受け取れませんよ!女中の分際で……」
「いーーですかお嬢さん!!」
急に、バードさんの言葉に圧がこもった。
反射的に身がすくんで、何も言えなくなってしまう。
「これはね、貴女の為なンです。この間のことはまだ覚えてますでしょう?これはまたあの時みたいに、簪を無くした神に勝手なことを言われない為の物なンですよ」
「でも、あんなことが起きたのは初めてで」
「それは鈴ノ神が卯月に顕現したばかりの神だからですよ。これからさらに沢山の神が顕現するとしたら、また因縁をつける神がいても不思議じゃございませン」
「そんな」
「だからこそ、これを髪に挿しておいた方が良いンですよ。それでまた疑われた時に言ってやりなさい。『私には、私だけの大切な簪があります。貴方の物は必要ありません』と——」
なるほど。もう解決したから大丈夫だと思っていたけれど、またあんなことが起きる可能性があるのか。
渡された簪を改めて眺めてみる。
黒甲の軸に、赤い平打ちには金で縁取られた燕の絵が描かれている。
少し平打ちが小さめなのも、頭に布巾を被る時に引っ掛からなくてちょうどいい。
自惚れかもしれないが、ただ美しいだけじゃなく、私にぴったりな簪だと思ってしまう。そんな逸品だった。
「本当に、私に……」
「そうですよ。ささっ、屈んでください。アタクシが挿しますから」
「ありがとうございます。大切にします」
◇
その様子を、厨から二柱が覗いていた。
「あっらっまぁ〜〜なんだい!やっぱり結構いい感じなんじゃないの!」
「……気を抜くな、まだ奴があの子を利用している可能性もある」
楽しげな湯ノ神に対し、厨ノ神の警戒心は半面越しからでも伝わるほどだ。
その様子に、湯ノ神はやれやれと両肩をすくめる。
「もうちょい信用してあげたら?あの子がくしゃみした時だって、えらく心配してたし。ここじゃ皆んな、幽鬼を狩る仲間なんだから」
「だからと言って、必ずあの子にとって安全とは限らない。鳥ノ神は享楽的で、残酷で……何より」
「人間嫌いなんだからな」
