B型が、ひとりになるまで
少し肌寒い十一月のことだった。
相談支援専門員の山瀬さんに言われて仕方なく、私は、父親の車の送り迎えで、就労継続支援B型の「くっくらんど」へ向かった。
 就労継続支援B型とは、雇用契約を結ばずに、一般の企業で働くことが難しい障害者が働いて工賃をもらうところである。
私は発達障害の一種のASDと不安障害がある。
二十八歳にもなって、こういった施設に行かなければならないのは、正直、だるい。
私の住む地域は田舎なので、まわりには何もなく、車移動でなければ行けないところもある。
雨の雫が車のガラス窓に濡れている。不快だ。
 くっくらんどは、黄色い建物だった。
玄関から中に入ると、けっこう広かった。
 サービス管理者の女性の長野さんと同じく女性の管理者の松島さんと私の三人で面談をした。
「くっくらんど」は、飲食で、サンドイッチ班とフルーツサンド班とカップケーキ班に分かれている。
三日間で、それらの班の体験をすることになり、まずは、カップケーキ班から体験することになった。
シール貼りをした。
まあ、普通だった。
職員のメガネをかけた男性が「高杉です」と名乗った。
 私は「黒川です」と名乗った。
 作業が終わると、昼ごはんの時間になった。
 昼食は外部からの配達の弁当だそうだ。
 私は障害年金で、料金を支払い、適当に空いている席で、弁当を食べていた。
 すると、何を思ったのか、カップケーキ班の職員の高杉さんが向かいの席に座り「おいしいですか?」と訊いてきた。
 私は感染症が怖かったため「黙食ですか?」と訊いた。
 すると、高杉さんは「今は感染症は流行ってないので黙食じゃなくても大丈夫ですよ」と言った。
 なんとなく、私は、それ以上、話さずに、昼休みは、終了した。
 後日、サンドイッチ班とフルーツサンド班も体験したけれど、サンドイッチ班が一番、やりがいを感じたため、私はサンドイッチ班を希望した。
 なぜか希望は通り、十二月から、私はサンドイッチ班の利用者になることになった。
 サービス管理者の長野さんが朝に自動販売機のところに青い送迎車が来るから待っていてと私に伝えた。
 利用開始の日に指定された時間に、自動販売機のところで待っていると、青い送迎車が来た。
 高杉さんが車から降りて、送迎車に乗るように言った。
 なぜか「前の席に乗りますか?」と訊かれた。
 なぜか、私も前の席に乗った。
 だんだん、私は、どきどきしてきた。
 そもそも、どうして、体験の時に、私に弁当が、おいしいかどうかを高杉さんは、訊いてくれたんだろう。
 そんなふうに訊かれたのは、初めてだ。 
 今後も、ないだろう。
 「くっくらんど」に着くと、私は、白い制服と白い帽子に着替えた。
 サンドイッチ班の室内の近くに貼り紙がある。
「だれとでも、あいさつしましょう」
 それは嫌だな、と私は思った。
 サンドイッチ班の作業は、慣れなかった。
 大丈夫かな、と不安に思っているうちに、昼休みになった。
 私は配達の弁当を食べていたけれど、高杉さんは、カップラーメンを、なぜか食べていた。
 なんとなく休み時間は、読書をして、やり過ごしていたら、帰宅する時間になった。
 利用者の短い髪の女性を、「体が弱いから」とサービス管理者の長野さんが送迎車の前の席に座らせた。
 私は一番、後ろの席だ。
 車の送迎の職員は、バラバラと聞いていたが、なぜか、その日は帰りも高杉さんの車の送迎だった。
 短い髪の女性は、二十代前半くらいに見えるけれど、あきらかに歳上の高杉さんに甘えていた。
「ねぇ、今日、しんどいから、家まで送って」
 タメ口ですか。
 高杉さんは「えっ、しんどいの?」と、その女性を、道を訊いて家まで送迎した。
 私は「くっくらんど」から、一番、離れたところに家があるため、必然的に、車内に高杉さんと二人だけになってしまった。
 高杉さんが、私に訊ねる。
「後ろ、狭くないですか?前の席に来ますか?」
 私は、いろいろと、やさしさへの耐性がないため、こう言った。
 「後ろの席でいいのだ!」
 なぜか、だである調になってしまった。
 すると、高杉さんは、後ろの席のままにしてくれた。
 とはいえ、高杉さんと私しか車内にいないため、なんか、ときめいて.....いや、違う。
 高杉さんの運転が安全運転で安心しました。
うん。これでいこう。
 一週間ほどすると、だいたい、利用者や職員の名前を覚えた。
 サンドイッチ班のリーダーは青山さんで、高杉さんに前の席で「しんどいから家まで送って」と甘えている利用者の女性は、深田さんというそうだ。
 勝手にタイムカードを見て、高杉さんの下の名前を覚えてしまった。
 優介さんだそうだ。素敵です。
 私は時々、高杉さんのところに行って、「高杉さんが、生きていると、うれしいのだ!」と言ってしまった。
 急な存在への喜びに対して、高杉さんは「はい」とか「ありがとうございます」とか、そんな感じだった。
 特に土曜日が、自由時間が多いため、土曜日に、私は言ってしまった。
 二月に入り、バレンタインデーに、高杉さんを見て、勝手に、どきどきしている私に、サービス管理者の長野さんが笑って言った。
 「高杉さん、結婚しているし四十代だし、職員だから、困らせないで」
 私は、高杉さんのところに行って言った。
 「高杉さんに、変なこと、言わないのだ!」
 高杉さんは、うなずいていた。やっぱり嫌なんだ。
 その日の帰りの車の送り迎えは、女性の職員だった。 
 深田さんが女性の職員に「しんどいから家まで送ってー」と甘えていて、女性の職員は、仕方なく、家まで送迎していた。
 帰宅した後、私は、部屋で泣いた。
 やっぱり高杉さんは、私が嫌なんだ。
 高杉さんは、私が、いないほうがいいんだ。
 高杉さんは、私に「死んでくれ」と言いたいんだ。
 私は次の日、「くっくらんど」 に欠席の連絡を入れた。
 そして、精神科を受診した。
 私が「高杉さんは、私が、いないほうがいいんだ」と言うと、担当医の女性の医師の大川先生は、冷静な感じで、こう言った。
 「多分、それ、違うと思う。高杉さんに、私は、いないほうがいいですか?って訊いてみたら?」
 私は、それを採用することにした。 
 それで、多分、高杉さんが、私に「迷惑なんだ。死んでくれ」って言うはずだから、高杉さんの頼みなら、叶えてやろう。
 次の日は、土曜日だった。土曜日は、自由時間が多い。
 事務室にいる高杉さんのところに行って、私は訊ねた。
 「高杉さんは、私が、いないほうですか?」
 高杉さんは驚きながら訊ねた
「なぜ、そんなことを訊くのですか?だれかに言われたのですか?」
 えっ!?なにっ?予想と違う!
私はパニックになって、言われてないような気がしてきて言った。
「言われてません」
 すると、高杉さんは「言われてないということは、そうではないということです」と私に伝えた。
 一生の思い出になった。
 私を嫌がらない人は、高杉さんが初めてだった。今後も、私を嫌がらない人は現れない。

 三月になると、晴山さんという体の大きい男の利用者が入院から復職したとサービス管理者の長野さんが私に伝えた。
 「よろしくお願いします」と私は言ったけれど、晴山さんからの返事は、なかった。
 晴山さんは、作業に入らずに、ほうきをはいているだけだった。
 深田さんは、座り続けているか寝ているかだ。
 
 その日も私はサンドイッチ班の作業を、なんとかした。
 帰りの送迎車の運転は、高杉さんだった。
 私は高杉さんへの耐性がゼロだから、一番後ろの席に座った。
 高杉さんが、会話の流れで、なにげなく言った。
 「東京に行きたかったなぁー。若いころはね」
 私は、高杉さんの優しい声を聴いて、一瞬で負けてしまい、吐いてしまった。
 「高杉さんが、東京に行かなくて、良かったのだ!」
 だから、なんで、だである調になるんだ。
 こんなのコクハラだ。
 高杉さんは、特に何も言わなかった。
 もう慣れたのかもしれない。
 
 次の日、サンドイッチ班に行くと、フルーツサンド班から、体験に、加藤さんというメガネをかけた女性の利用者が、入ってきた。
 班を変えたいらしい。
 すると、目の前で、信じられないことが起きた。
 晴山さんが、加藤さんに、こう叫んだ。
 「お前なんか、もう二度とサンドイッチ班に来るな!」「メガネザル!」
 えっ......。
 なんでこんな人が、ここにいるの?
 私は突然のことで、驚いてしまった。
 加藤さんはサンドイッチ班に変更するのを、やめた。
 私はサービス管理者の長野さんと管理者の松島さんに、晴山さんが、加藤さんに暴言を吐いていたことを伝えた。
 すると長野さんは、晴山さんをかばった。
 「でも、晴山さんを、辞めさせたら、居場所が、なくなって、かわいそうだから」
 は?
 あいつの居場所?
 私が何も言えずにいると、松島さんが、さらに重ねた。
「黒川さんも、いろんな人に慣れていかなきゃね」
ないな。
ない。
 あいつに慣れるなんて、百パーセントないな。
 私は、そう思った。
 私は自分が、加藤さんを守ることにした。
 もうそれしかない。
 「かち殺すぞ!」とか「燃やしてやる!」とか「覚えていろよ!」とか叫ぶ晴山さんの前に立って、私は震えながら「やめてください」と言った。加藤さんは、守る。
 大丈夫。こんな晴山さんみたいなザコに私が負けるはずがない。
 だけど、だんだん私は疲れてきた。
 昼休みや休み時間に、ずーっと気を張っていなければいけないのが、こたえた。
 ある日、サンドイッチ班のリーダーの女性の職員の青山さんに、晴山さんの件を報告した。
 すると、青山さんは、こう言った。
「そういう時は、加藤さんを連れて逃げればいいよ」
 無理です、と疲れていて言えなかった。
 そして、青山さんは、やっぱり、晴山さんへ注意をすることは、なかった。
 他の女性の職員に言っても、「黒川さんは、そんなこと、しなくていいよ。職員がいるから」と言われたりして、対応は、全く、してもらえなかった。
 女性の職員は、全員、見て見ぬふりだ。
 同調圧力ってやつだろう。
 ASDで、暗黙の了解が通じない私には、全く理解できない。
 仕事しない女性の職員がいても、何にもならない。
 高杉さん以外は、全員女性の職員だ。
 高杉さんといると、どきどきしてしまうため、私は休み時間に警察に相談した。
 警察官は、「暴力ではないため、警察での対応は、できないのですが」と前置きしつつ、「その男の利用者の名前は?」などの質問をいくつかした。私は答えた。
 私は、晴山さんは暴力男ではないため、「私が相談先を間違えましたか?」と訊くと、警察官は、黙った。
 警察官は「間違えている」とは言わなかった。
 警察官は「暴力を、その人が振るったら、すぐに電話してください」と言ってくれた。
 なんか、しっかりしている警察官だった。
 やっぱり、私が加藤さんを守るしかないようだ。
 その後も「メガネザル!」などのレベルが低すぎる悪口を言う晴山さんに「やめてください」と私が言って、加藤さんを守るのが日常になった。
 精神科に行っても、大川先生に「立ち向かっていくのは、やめて」とか「加藤さんと逃げればいい」と無理なアドバイスをされて、ストレスだった。
 ドクターストップは、かからない。
 
 ある日、しんどくなって、私が泣きながら事務室に行って、高杉さんに「相談があるのだ」と言うと、高杉さんは、隣の相談室に案内した。
 私は、涙が止まらない中で話した。 
 「晴山さんから、加藤さんを守らなきゃいけないのだ」
 「あいつが怖い」
 「でも自分が守らなきゃいけないから」
 高杉さんは、優しい声で言った。
 「晴山さんは、ああいう人です」
 「怖い人からは離れましょう」
 「職員を呼んでください」
 
 相談室を出ると、サービス管理者の長野さんから、話しかけられた。
 「晴山さん、グレープフルーツ無理なんだけど、黒川さんは大丈夫?」
 「大丈夫です」と私は答えた。黙れと言いたかった。 私は、あいつとは違う。
 長野さんは、そんな私が気に食わなかったらしく、さらに質問を重ねた。
 「服は、お母さんが買ってるの?」
 「自分で買いました」と冷たく私は回答した。
 私は、不要な会話終了後、すぐに女子更衣室の自分のロッカーに向かい、サイフを取り出した。
 そして、「くっくらんど」内の自動販売機で、ピンクグレープフルーツの飲みものを買った。
 ソファに座って、私は心の中で言った。
 「私はグレープフルーツ、大好きです」
 心理戦、開始だ。
 グレープフルーツジュースを、私は飲み干した。 
 やっぱり、うまい。
 最初からラブコメの要素は一ミリもない。
 私は高杉さんに「好きです」とか「結婚してください」とかは、一度も言ってない。
 私に、恋愛ものは、不要だ。
 
 その後も、私が晴山さんを注意して、加藤さんを守るのが当たり前になった。
 サービス管理者の長野さんに、再度、報告しても、「ありがとう」と言われた。
 勝手に利用者のあなたが、めんどうな人の対応をしてくれて、助かるわという意味にしか聞こえなかった。
 もしも、私が晴山さんを放置したら、加藤さんは震え上がって、ニュースみたいに自殺する気がした。
 加藤さんは、女性で障害者だから、社会的な立場は弱い。
 自殺だけは、避けなければならない。
 別に、加藤さんとは班も違うし、仲がいいわけでも悪いわけでもないけれど、加藤さんが自殺するのは、避けなければならない。
 デスゲームには、させない。
 私の正義感は、暴走していない。
 悪いのは、あいつと安全配慮義務違反で、合理的配慮のない女性の職員全員だ。
 
 加藤さんが、「いつも、私を守ってくれる」と私にポツリと言ったことがあった。
 「そうですね」と私は言った。
 私は不安なので、スマホと白いねこのぬいぐるみを持ち歩くようになった。
 今日は、加藤さんの近くに座っている。
 本当は、以前のように高杉さんのところに行って「高杉さんが生きていると、うれしいのだ!」と言いたいけれど、無理になった。
 そもそも高杉さんはカップケーキの配達で、「くっくらんど」の中にいないことが多い。
 その日も、晴山さんが、加藤さんに、「加藤、ドロボウ!」とか言っていた。みんなの前で。
 私は方法を変えて、以前読んだ本の「おとめ六法」(上谷さくら、岸本学、Caho)に書いてある通り、スマートフォンの録音のアプリで、晴山さんの音声を録音した。正直、楽勝だった。
 晴山さんは、年一で、年賀状くらいしか、暴言以外のやりとりができない人だから、携帯電話の操作は、分かるはずがない。
 録音していても、気づかずに晴山さんは、加藤さんに「お前が悪い!」などの暴言を吐いていた。
 私は録音しているから何も言っていない。
 何も言っていないのに、高杉さんが、駆けつけてきて、強めに晴山さんを注意した。
 「やめてください!!」
 「やめてください!!」
 大事なことなので二回言ったそうだ。
 今日は、高杉さんは配達ではないみたいだ。
 晴山さんは黙った。
 すごい。私は晴山さんを黙らせたことはない。
 私が「やめてください」って言っても、晴山さんは、加藤さんに暴言を吐き続ける。
 高杉さん、超カッコイイ
 でも、本心を言ったら、サービス管理者の長野さんの目が怖いから言えない。
 高杉さんは、その後、事務室に戻った。多分、仕事。
 すると、晴山さんは、また、加藤さんに、「覚えていろよ」などの暴言を吐き始めた。
 私は録音が完了したスマホを置いて、晴山さんの目の前に、白いねこのぬいぐるみを突きつけた。
 白いねこのぬいぐるみが何か言いたそうだ。
 晴山さんの大きな声に気づいたのか、高杉さんが、駆けつけてきて、私を見ていた。
 み、見られた。ぎくり。
 ぎくりなのだ!
 高杉さんは、私を見て、「危ないから近づかないでね」 と優しい声で言ってくれた。
 完全に敗北して、戦闘モードが終了した私は、その日は、晴山さんから離れた。 
 そして、ノートを開いて、日記を書いた。 
 本の「おとめ六法」に日記をつけるといいと書いてあったからだ。
 つまり、犯人(晴山さん、安全配慮義務のサービス管理者と管理者と女性の職員全員)について記録した。
 
 
 

 
 
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