凍てついた令嬢は、異国の太陽に抱かれる
第三十二話:檻なき世界の夜明け(エルサ・ゼオン視点)
【エルサ視点】最後の鎖が落ちた音
「もう、結構です。私の『過去』は、今、完全に終わりましたから」
私のその言葉を聞いた瞬間、謁見の間に満ちていたゼオン様の凄まじい殺気が、嘘のように凪いでいくのが分かった。
床に這いつくばったまま、呆然と私を見上げるキリアン、絶望に顔を歪める公爵、そして恐怖で声も出ないステラ。彼らはなおも何かを訴えようと口を動かしていたが、側近のカイル様が冷酷な手際で合図を出すと、近衛騎士たちによって引きずられるように退場させられていった。
静まり返った謁見の間で、私は自分の胸に手を当てた。
(本当に……何一つ、残っていない)
前世の二十五年、そして今世のこれまで、私の心を支配していたのは「役に立たねば捨てられる」という絶対的な恐怖の檻だった。けれど、その檻の鍵は、目の前で無様に崩れ去った亡霊たちが持っていたわけではなかったのだ。
「エルサ」
低く、けれどひどく甘やかな声に呼ばれ、振り返る。
玉座から下りてきたゼオン様が、私の前に立ち、その大きな両手で私の頬を包み込んだ。彼の紺色の瞳には、もう覇王の冷酷さはなく、ただ私一人を焦がすような、狂おしいほどの情熱だけが揺れている。
「本当に、あいつらと共に行かなくていいのだな? 俺の傍に、ガルディニアに、お前の意志で留まってくれるのだな?」
大国の王太子ともあろうお方が、まるで捨てられることを恐れる子供のように私を求めてくる。
そのあまりにも不条理で、計算の成り立たない歪な愛。
「はい、ゼオン様。私はもう、あの冷たい雨の降る場所には戻りません。貴方が私をここに置いてくださるというのなら……私は、貴方の傍で、生きることを選びます」
私がそう告げた瞬間、私の頭脳を縛り続けていた最後の「大人の防壁」が、完全に、心地よい音を立てて崩壊した。
【ゼオン視点】異邦人を我が腕に
「ーーっ、エルサ……!」
彼女の口から、ついに「自らの意志でここに留まる」という言葉が紡がれた。
その瞬間、俺は周囲の目も憚らず、彼女の細い身体を壊れそうなほど強く抱きしめていた。
前世の凄惨な記憶。四十年近くの歳月が彼女の魂に刻み込んだ、頑ななまでの拒絶と諦め。
大陸最高峰の医師たちも、高度な治癒魔術も触れることすらできなかったその凍てついた氷河を、俺の執着の熱が、今、ついに完全に溶かし尽くしたのだ。
腕の中のエルサは、もう怯えるように身を固くすることはない。
それどころか、彼女の小さな手が、躊躇いがちに、けれど確かに俺の背中に回され、そっと衣を掴んだ。
(捕まえた。もう、絶対に離さない)
お前が前世でどれほど孤独に泣いていた。今世でも不当に扱われていた。だが、これからの未来は俺がそのすべてを塗り替えてやる。
お前を「便利な道具」としてしか見なかった世界に代わり、俺が一生を賭けて、お前を世界で一番甘やかされ、愛される「一人の女」にしてやる。
窓から差し込むガルディニアの眩い陽光が、ようやく檻の外へと歩み出た、我が最愛の異邦人を祝福するように温かく照らしていた。
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