人生がにじみ出た膝頭が好きだ
人生がにじみ出た膝頭が好きだ

 僕が二十代後半のとき、週に一度くらいの割合で突然奇行を仕掛けてくる女性とお付き合いをしていた。「どういう志向経路でそういう行動に出るの?」彼女の奇行が表出するたびに、僕は戸惑いを隠せなかった。そう、それに慣れるまでは…
 キスをすると気まぐれに僕の下唇を噛み切るかの勢いで噛んでくる。僕の身体にかさぶたを見つけると168㎝56㎏の体躯で柔道の『横四方固め』を仕掛けてきて、出来立てだろうが古いものだろうが、お構いなしにひっぺがす。またどういうきっかけをもって思い立つのか、僕の耳を思いっきり噛みながらマイクタイソンよろしく「お前をホリフィールドにしてやる」なんて、シャレにもならないことを半笑いで仕掛けてくるのだ。
六月中旬のこと。彼女の誕生日を祝おうと僕はホールケーキを買って彼女の部屋を訪れた。僕がケーキを箱から取り出すやいなや、ドリフのギャグよろしく僕の後頭部に掌を当て、思いっきり顔をケーキにめり込ますようなことをする。そしてそんな『仕打ち』をしたすぐ後には、決まって「お嫁さんにしてね」と両手を太腿に置いてお辞儀をしながらしおらしく言うのだ。
 僕がお付き合いをしていた当時の彼女は満25歳になったばかり。高校では柔道部に所属していたようで、どのクラスで闘っていたかは口にしなかったが、決して軽量級ではなかったことだけは確かだった。化粧っ気がほとんどなく、ファッションは男物のダンガリーシャツにチノパン、たまに膝上までのスカートを穿くのだが、その「たまに」の姿が僕を虜にしてしまったのだった。
彼女がそのスカートを穿いているときに「お嫁さんにしてね」と掌を太腿の上に置いてお辞儀をする際、どうしても指先、そう膝頭が目に入る。僕にとってその膝頭が何とも愛おしいのだ。大柄で少し乱暴かつ理解できないようなふるまいをする彼女だが、膝小僧の容姿がたまらなく愛おしい。柔道部時代に畳でりつけた跡が彼女の膝頭の様態をオンリーワンにしている。そして彼女に属するこの膝頭は、普段どういう仕打ちを受けていようとも僕だけのもの、僕が独占しているという悦びを味わえるのだ。

 僕は彼女とつきあっているのか、それとも膝頭とつきあっているのか、日を追うごとにカオス状態に入っていく。そのうち僕の中で膝頭が人格を持ち始め、彼女その人よりも膝頭に恋しているような気持になっていく。人格を持つとなると、『人面瘡』に見えてこないかと自分自身心配になったが、杞憂だった。彼女の膝頭はそんな不気味な装丁を見せるのではなく、オシャンのままいてくれるのだった。この膝頭に対する思いは、ちょっと彼女には理解してもらえそうにないし、気持ち悪がられそうなので、僕の心の中に封じ込めておいたのだった。
 梅雨が明けて間がない七月の中旬のこと。僕は残業で退社が遅くなったので会社から直接彼女の部屋へと向かい、合鍵で部屋へと入った。インターフォンのボタンを押してもノックをしても返答がないからそうしたのだ。
 彼女は謎の絵が大きくプリントされたTシャツに膝上丈の薄手のパジャマパンツを穿き、パイプベッドの上で大の字になって寝ている。テーブルにはビールのロング缶が二缶、中央部をへこませて横倒しで無造作に置かれている。僕は彼女の名を呼んでみるが目を覚ます気配がない。ふと、彼女の膝頭に目がいく。
「…今だ…」
 僕は鞄をフローリングの床にそっと置き、彼女の左膝頭を左掌でそっと包んでみる。反応はない。そして掌を離し頬擦りをしてみる。なおも反応がない…
「よっしゃ…」
僕は彼女の左膝頭にキスをした。唇が触れたとたんに、彼女とキスをしているのではなく、『膝頭という一人格』と口づけをしているような錯覚、いや倒錯を覚え、長年の思いを果たしたかのような気になった。そして彼女の右膝頭に僕の右手を伸ばしたところで彼女は目を覚ました。
「何すんねんっ!」
彼女は第一声、普段は封じ込めている大阪東部の河内弁で僕をなじり、右肘で僕の脳天に一撃をくらわした。その衝撃で僕は自分の前歯と彼女の膝頭に挟まれた上唇を切ってしまい、口腔に『鉄臭い匂い』が広がった。思わず顔を上げると、彼女の左膝頭は鮮血に染まっている。僕は唇が熱を帯び始め腫れていくのが自覚できる。
「しょーもないこと、すなっ!」
「ずっと言えなかったことなんだけど、君の膝頭があまりにも愛おしくって、いつか触ってみたい、キスしてみたいって思ってたんだよ」
「なにそれ、キショいっ!」
「そう言われると思って、黙ってた。もう限界だったんだってば!」
「ふ~ん。ほな聞くけどな、あたしという人格よりも、パーツとしての膝頭の方が好きやっちゅうこと?」
「……」
「はっきりしぃや」
「そう、かも、知れん…」
「ああキショいっ!荷物まとめて出てってや。ヘンタイとは一緒にようおられん!」
「ヘンタイってなんだよ。膝頭が好きって言うの、ヘンタイか⁈」
「四の五の言わんと、早よ出てって。顔見とうない」

 という訳で僕は彼女から『三行半』を突き付けられ、腫れぼったい唇のまま置いてあった少量の荷物をまとめ、合鍵をビールの空き缶の横に置いて彼女の部屋を後にした。僕は彼女と別れたことよりも、もう彼女のあの膝頭に接触できなくなったことの方が辛く、心に影を落としてしまった。
それからというものは、いた電車で座っているときなど、反対側のシートに座っている女性の膝が見えていたら、見ていないふりをしながら『理想の膝頭』を探し求めていた。 
縦長の膝頭、笑った顔のような膝頭、ほとんど正座をしてこなかっただろうきれいすぎる容姿の膝頭…多種多様な膝頭があれど、三行半を突き付けた彼女のような人生の過程がにじみ出ている『味のある膝頭』には、いまだ出会えていない。こんな嗜好を持つ人物のことを、世間では『フェチ』と言うのだろうか…やっぱりそうなんだろうな…
あ、水着の女性の膝頭には全くもって興味が持てないのです。膝上までのスカートからチラリとのぞく膝頭にこそときめくのです。
彼女がなじったように、僕ってやっぱりヘンタイですか?単なるフェチですよねぇ…
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