定刻の鐘と、ケーキと、王太子と~前世は検察事務官。断罪を止めたら、恋人役のはずが本物の婚約者になりました~
第十一話 書庫で見つけた七年分の嘘
翌日から、私は王宮文書保管庫に入り浸ることになった。
文書保管庫は王宮の地下にある、薄暗くて、少し黴臭い場所だ。
壁一面に棚が並び、何百という羊皮紙の束がぎっしりと収まっている。
人によっては息が詰まりそうな場所かもしれないが、私にとっては天国みたいなものだった。
書類が好きなのだ。
整然と並んだ文書の山を、ひとつずつ掘り起こしていくのが前世から好きだった。
書類は嘘をつかない。書かれた文字は勝手には消えない。改竄の跡も、よく見れば必ずどこかに残る。
嘘をつくのは、いつだって人間の方だ。
王太子殿下の手配で、私には『書庫整理担当』という名目が与えられていた。
他の書記官はまず立ち寄らない薄暗い書庫の中で、私は五年分の記録をひたすら丹念にめくり続けた。
作業を始めて三日目。
ようやく、最初の手がかりが見つかった。
物資調達記録の中に、毎年ほぼ同じ時期、同じカテゴリの書類だけが欠落しているパターンがあったのだ。
『建材調達』『軍備補給』『食料確保』の三種類。
しかも欠けているのは、年度末の一か月分だけ。
年度末の一か月というのは、翌年の予算を確定する前の、金額の帳尻合わせが行われる時期だ。
そこの書類だけが、驚くほどきれいに消えている。
「……なるほど、そういう手口か」
私は書庫の薄明かりの下で、小さく独り言をこぼした。
年度末に架空の取引を大量に計上し、翌年度初めに書類を差し替えるか廃棄する。
それを繰り返せば、帳簿の上では一見きれいに見えても、実際の資金はいくらでも横流しできる。
前世でも、類似の手口を見たことがあった。
企業の不正経理で、わりとよく使われる方法だ。
私は見つけたパターンを記録していく。
「……うん、これは証拠になる」
欠落のパターンそのものが証拠になる。
偶然ではあり得ない規則性。
しかも過去五年間、毎年繰り返されている。
ただ、まだ足りない。
欠落の事実だけでは、ドレイクが関与したとは直接言えない。
書類管理の担当者が別にいて、そちらの独断だったと言い逃れされる可能性がある。
必要なのは、『誰が書類を管理していたか』と、『誰が書類の廃棄権限を持っていたか』を示す記録だった。
私は黙々と作業を続けた。
書庫の中は静かだ。
外の世界の騒がしさが嘘みたいに、ここだけ時間がゆっくり流れている気がする。
こんな仕事が、意外と嫌いではない自分にも気づいていた。
前世でも、書類を読んでいる時間は嫌いではなかった。
膨大な記録の中から、小さな矛盾を見つける時の感覚。
ばらばらだったパズルのピースが、ひとつずつはまっていく感覚。
「……ミルフィ書記官」
声がして振り返ると、殿下の側近であるラルフが、書庫の入り口に立っていた。
「殿下から差し入れです」
ラルフが、持っていたバスケットを私の方へ差し出した。
開けてみると、中には小さな紙袋がひとつ。
リボンのかかったその袋をそっと開くと、マドレーヌが四個、きちんと並んで入っていた。
「……」
マドレーヌだった。
バターの香りにまじって、ほんのり柑橘の匂いがする。
その甘い香りが、カビ臭い書庫の空気の中へふわっと広がった。
「殿下が、今日は書庫に差し入れてこいと仰って」
「……ありがとうございます」
私はひとつ摘まんで口に運んだ。
美味しい。
しっとりしているのに、縁のあたりだけほんの少しカリッとしている。
レモンの皮でも入っているのか、後味が爽やかだ。
しかも、明らかに食べ慣れた町の焼き菓子とは違う。
こう、きちんと値段のする店の味がした。
「殿下は今日も書庫を確認に来られますか」
「夕方頃に立ち寄ると仰っていました」
「わかりました。報告できることがあればお伝えします」
ラルフが去ると、また書庫は静かになった。
私はもう一個マドレーヌを食べながら、作業を続ける。
甘いものが入ると、頭の回転が少しだけましになる気がする。
夕方、約束通り殿下が書庫に現れた。
私がまとめた欠落パターンの一覧を差し出すと、殿下はしばらく無言で目を通した。
「……精度が上がっている」
「三日かけて整理しましたので。欠落のパターンと、その書類に関連する担当者の署名記録を照合しました」
「何かわかったか」
「はい。欠落している書類の年度末処理に関与していた文官は、過去五年間で延べ七名います。ですが、そのうち全ての年度に関与しているのは一人だけです」
私は該当の名前を指し示した。
「ラントン・シア文書主任です」
「シア……知っている。ドレイクの側近だ」
「そうですか。であれば繋がりますね。シア文書主任が年度末の書類処理を担当し、その後書類が廃棄される。この人物が鍵だと思います」
「シアを直接調べることはできるか」
「書類の上では、もう少し追えます。ただ、物理的な証拠——たとえば廃棄した書類の控えが残っているかどうかなど——は、書庫の外での調査が必要になります」
「それは別の者が動く」
「わかりました。私は引き続き、書庫の記録を精査します」
殿下は私の横に立ち、手元の書類を覗き込んだ。
近い。
なんとなく、近いと思った。
書庫の薄明かりの中で、殿下の横顔がすぐ間近にある。
気にしすぎだろうかと思いながら、私はあえて少し身を引き、メガネを掛け直すふりをした。
「……他に気になることはあるか」
「えと、はい。もう一点あります」
私は続けて別の書類を取り出した。
「ボルゲン商会への支払い記録を遡ったところ、一番最初の取引は七年前に始まっています。その時期に、ドレイク宰相が宰相に就任しているはずです」
「そうだ」
「就任直後から取引が始まっているということは、あらかじめ準備されていたということです。宰相への就任を見越して、関係構築が進んでいた可能性があります」
「つまり、ドレイクは宰相就任前から不正を計画していたと」
「少なくとも、就任直後に体制を整えるだけの準備をしていた、ということになります」
殿下は低く唸った。
「七年か」
「長い積み重ねです。証拠は一点ずつ積み上げていくしかありません」
「わかった。引き続き頼む」
殿下は書類から目を離し、私を見た。
「マドレーヌはどうだった」
「……美味しかったです。ありがとうございます」
「好きか、ああいう菓子は」
「はい。バターの多いものは好きです。フィナンシェも」
「そうか」
また短い返事だった。
殿下はそのまま書庫を出て行く。
私は残りのマドレーヌをもう一個食べた。
……なんとなく、殿下と話すのは嫌ではない、と思い始めている自分に気づく。
この人は無駄な世辞を言わない。
必要なことだけを言って、余分なことは言わない。
だから、会話をしていて疲れない。
前世の職場で苦手だった、『上司へのご機嫌取り』みたいなやりとりが一切ないのも助かる。
……それだけのことだ。
特別な感情ではない、と私は自分に言い聞かせた。
文書保管庫は王宮の地下にある、薄暗くて、少し黴臭い場所だ。
壁一面に棚が並び、何百という羊皮紙の束がぎっしりと収まっている。
人によっては息が詰まりそうな場所かもしれないが、私にとっては天国みたいなものだった。
書類が好きなのだ。
整然と並んだ文書の山を、ひとつずつ掘り起こしていくのが前世から好きだった。
書類は嘘をつかない。書かれた文字は勝手には消えない。改竄の跡も、よく見れば必ずどこかに残る。
嘘をつくのは、いつだって人間の方だ。
王太子殿下の手配で、私には『書庫整理担当』という名目が与えられていた。
他の書記官はまず立ち寄らない薄暗い書庫の中で、私は五年分の記録をひたすら丹念にめくり続けた。
作業を始めて三日目。
ようやく、最初の手がかりが見つかった。
物資調達記録の中に、毎年ほぼ同じ時期、同じカテゴリの書類だけが欠落しているパターンがあったのだ。
『建材調達』『軍備補給』『食料確保』の三種類。
しかも欠けているのは、年度末の一か月分だけ。
年度末の一か月というのは、翌年の予算を確定する前の、金額の帳尻合わせが行われる時期だ。
そこの書類だけが、驚くほどきれいに消えている。
「……なるほど、そういう手口か」
私は書庫の薄明かりの下で、小さく独り言をこぼした。
年度末に架空の取引を大量に計上し、翌年度初めに書類を差し替えるか廃棄する。
それを繰り返せば、帳簿の上では一見きれいに見えても、実際の資金はいくらでも横流しできる。
前世でも、類似の手口を見たことがあった。
企業の不正経理で、わりとよく使われる方法だ。
私は見つけたパターンを記録していく。
「……うん、これは証拠になる」
欠落のパターンそのものが証拠になる。
偶然ではあり得ない規則性。
しかも過去五年間、毎年繰り返されている。
ただ、まだ足りない。
欠落の事実だけでは、ドレイクが関与したとは直接言えない。
書類管理の担当者が別にいて、そちらの独断だったと言い逃れされる可能性がある。
必要なのは、『誰が書類を管理していたか』と、『誰が書類の廃棄権限を持っていたか』を示す記録だった。
私は黙々と作業を続けた。
書庫の中は静かだ。
外の世界の騒がしさが嘘みたいに、ここだけ時間がゆっくり流れている気がする。
こんな仕事が、意外と嫌いではない自分にも気づいていた。
前世でも、書類を読んでいる時間は嫌いではなかった。
膨大な記録の中から、小さな矛盾を見つける時の感覚。
ばらばらだったパズルのピースが、ひとつずつはまっていく感覚。
「……ミルフィ書記官」
声がして振り返ると、殿下の側近であるラルフが、書庫の入り口に立っていた。
「殿下から差し入れです」
ラルフが、持っていたバスケットを私の方へ差し出した。
開けてみると、中には小さな紙袋がひとつ。
リボンのかかったその袋をそっと開くと、マドレーヌが四個、きちんと並んで入っていた。
「……」
マドレーヌだった。
バターの香りにまじって、ほんのり柑橘の匂いがする。
その甘い香りが、カビ臭い書庫の空気の中へふわっと広がった。
「殿下が、今日は書庫に差し入れてこいと仰って」
「……ありがとうございます」
私はひとつ摘まんで口に運んだ。
美味しい。
しっとりしているのに、縁のあたりだけほんの少しカリッとしている。
レモンの皮でも入っているのか、後味が爽やかだ。
しかも、明らかに食べ慣れた町の焼き菓子とは違う。
こう、きちんと値段のする店の味がした。
「殿下は今日も書庫を確認に来られますか」
「夕方頃に立ち寄ると仰っていました」
「わかりました。報告できることがあればお伝えします」
ラルフが去ると、また書庫は静かになった。
私はもう一個マドレーヌを食べながら、作業を続ける。
甘いものが入ると、頭の回転が少しだけましになる気がする。
夕方、約束通り殿下が書庫に現れた。
私がまとめた欠落パターンの一覧を差し出すと、殿下はしばらく無言で目を通した。
「……精度が上がっている」
「三日かけて整理しましたので。欠落のパターンと、その書類に関連する担当者の署名記録を照合しました」
「何かわかったか」
「はい。欠落している書類の年度末処理に関与していた文官は、過去五年間で延べ七名います。ですが、そのうち全ての年度に関与しているのは一人だけです」
私は該当の名前を指し示した。
「ラントン・シア文書主任です」
「シア……知っている。ドレイクの側近だ」
「そうですか。であれば繋がりますね。シア文書主任が年度末の書類処理を担当し、その後書類が廃棄される。この人物が鍵だと思います」
「シアを直接調べることはできるか」
「書類の上では、もう少し追えます。ただ、物理的な証拠——たとえば廃棄した書類の控えが残っているかどうかなど——は、書庫の外での調査が必要になります」
「それは別の者が動く」
「わかりました。私は引き続き、書庫の記録を精査します」
殿下は私の横に立ち、手元の書類を覗き込んだ。
近い。
なんとなく、近いと思った。
書庫の薄明かりの中で、殿下の横顔がすぐ間近にある。
気にしすぎだろうかと思いながら、私はあえて少し身を引き、メガネを掛け直すふりをした。
「……他に気になることはあるか」
「えと、はい。もう一点あります」
私は続けて別の書類を取り出した。
「ボルゲン商会への支払い記録を遡ったところ、一番最初の取引は七年前に始まっています。その時期に、ドレイク宰相が宰相に就任しているはずです」
「そうだ」
「就任直後から取引が始まっているということは、あらかじめ準備されていたということです。宰相への就任を見越して、関係構築が進んでいた可能性があります」
「つまり、ドレイクは宰相就任前から不正を計画していたと」
「少なくとも、就任直後に体制を整えるだけの準備をしていた、ということになります」
殿下は低く唸った。
「七年か」
「長い積み重ねです。証拠は一点ずつ積み上げていくしかありません」
「わかった。引き続き頼む」
殿下は書類から目を離し、私を見た。
「マドレーヌはどうだった」
「……美味しかったです。ありがとうございます」
「好きか、ああいう菓子は」
「はい。バターの多いものは好きです。フィナンシェも」
「そうか」
また短い返事だった。
殿下はそのまま書庫を出て行く。
私は残りのマドレーヌをもう一個食べた。
……なんとなく、殿下と話すのは嫌ではない、と思い始めている自分に気づく。
この人は無駄な世辞を言わない。
必要なことだけを言って、余分なことは言わない。
だから、会話をしていて疲れない。
前世の職場で苦手だった、『上司へのご機嫌取り』みたいなやりとりが一切ないのも助かる。
……それだけのことだ。
特別な感情ではない、と私は自分に言い聞かせた。